空の宇珠 海の渦 外伝 魂の器 その三
「千潮、先に帰ってくれ、俺は直ぐに行く…」
坊主の少年が、少女の名を呼んだ。
それを聞いた少女は、黙って頷いた。
しばらく、少年の後ろ姿を見ていたが、振り返って岩場を後にした。
「聡真はいいよなぁ…」
「魚だって食べ放題、何をするにも自由だし…」
「俺は、毎日塩作り…」
「あ~あ」
「俺に自由なんてないのかぁ~」
そう言って、岩場の上に寝転んだ。
「いてっ!」
富士壺が背中に当たった。
「貝まで俺を…」
その先を言うのを止めた。
その理由に、今は気付いていなかった。
真魚と嵐は、しばらく海に沿って歩いていた。
「早くしてくれ!俺はもう限界なのだ!」
嵐は自らの事情を、真魚に訴えた。
「まあ、そう言うな、人がいると面倒であろう?」
「それは、そうだが、ものには限度があるのじゃ!」
真魚の言うことも正しいが、嵐の言う事も正しい。
どちらも正しい場合、どちらかが折れない限り、平行線が続く。
「ほう…」
真魚がつぶやいた。
「嵐、お主の声を聞かれたかも知れぬぞ…」
岩の影に少女の顔が見えていた。
千潮であった。
千潮が、嵐のことを見ている。
「仕方ない…」
嵐はそう言うと、千潮の側まで走って行った。
千潮と嵐が、目を合わせている。
「お主、なかなかのものじゃな…」
嵐のその声に、千潮の目と口が全開になった。
「あ、あ…」
千潮は、驚きのあまり、声にならぬ声を出していた。
「お主、しゃべれないのか?」
嵐の問いかけに、千潮が首を横に振った。
「驚かしてすまない、訳あってその犬と旅をしている」
真魚が千潮に声をかけた。
その声を聞いて、千潮が岩陰から出てきた。
そして、膝をついた。
自らの意思では無い。
何かが、千潮にそうさせた。
磁石に引き寄せられるように、嵐に触れた。
「俺は、こう見えても神だ…」
嵐がそう言った。
驚いたように、千潮が瞬きをした。
次の瞬間…
千潮の瞳から、光がこぼれた。
嵐の波動が、千潮を包んでいる。
「ほう…」
真魚はその様子に、笑みを浮かべていた。
千潮が、目を開けたまま泣いていた。
瞳から止めどなく溢れる光の粒。
その一つ一つが、千潮の想いであり、過去であった。
その想いを、千潮は手放した。
この真実を手に入れるために…
千潮は、全てを解放し、受け入れていた。
「壱与には…及ばぬが…」
嵐が、そう言った時であった。
「お前ら!何をしている!」
「千潮に何をした!」
岩の上に少年が立っていた。
怒りの形相で真魚達を睨んでいる。
その怒りが広がっている。
その波動が、次元の膜を揺らす。
それが、きっかけであった。
光は闇を呼ぶ。
少年の波動に、食らいつくものがあった。
その前には、光が存在した。
「嵐!」
真魚が叫んだ。
真魚は、直ぐに千潮を引き離す。
「弦!後ろ!」
千潮が少年に向かって叫んだ。
弦と呼ばれた少年が振り返った。
「ああ!」
驚いた少年が、足を滑らせた。
宙に浮いた少年を、光がさらった。
次の瞬間、少年は千潮の側にいた。
「ど、どうなっているんだ!」
千潮は弦にしがみついていた。
空中に穴が開いていた。
その穴が、蠢いている。
寒気がした。
弦は、恐怖そのものを見ていた。
全てが、その穴にある。
左腕を握る千潮の力が、尋常ではない。
それだけの恐怖を、千潮も感じているのだ。
「あれは…何なの…」
千潮が声を出した。
「千潮…お前…」
弦が驚いている。
「闇と呼んでいる…」
真魚が答えた。
「闇…」
弦と千潮の目が、闇に捕まっていた。
霊力を解放した嵐が、その黑い穴を睨んでいた。
続く…