空の宇珠 海の渦 第五話 その十四
田村麻呂は迷っていた。
帝からもらった刀。
真魚という男の言葉。
どちらが真実なのか…
田村麻呂には分からなかった。
無益な戦は望まない。
しかし、それが帝の命令であれば仕方が無い。
だが、大義がいる。
戦とは言え大勢の人を殺さねばならない。
それには、自分が納得出来る大義が必要なのだ。
「あれから半月が過ぎたのか…」
田村麻呂が馬に乗ったままつぶやいた。
半分の月が輝いていた。
半分は光、半分は闇
丁度、田村麻呂の心を写しているかの様であった。
あれからとは真魚と出会ってからだ。
あの時から田村麻呂の心はさまよっていた。
その心がこの場所に引き寄せていた。
迷ったままこの場所にたどり着いた。
そこは神社であった。
諏訪大社。
現代ではそう呼ばれている。
ここには建御名方神が軍神として祀られている。
田村麻呂は戦の神に救いを求めたのだ。
だが、その救いは本当の救いではない。
田村麻呂は戦をするために、何かを求めに来たのだ。
決して戦を止めるためではない。
止めるわけにはいかない。
帝の命令は絶対である。
しかし、田村麻呂の心は晴れてはいない。
この自分の思いを、他の者に見せるわけにはいかない。
これから戦に向かう大将が迷っていては誰もついてこない。
だから一人でここまで来たのだ。
「おや!」
「まあ!」
「来たか!」
前鬼と後鬼は動いた。
田村麻呂の姿が見える前に波動を感じ取っていた。
先回りをし本殿の屋根の裏側に隠れた。
しばらくすると田村麻呂がやってきた。
歩いている。
馬は何処かに繋いできたらしい。
本殿のすぐ前まで来ると片膝をつき座った。
そして目を瞑った。
なにやらつぶやいている。
その時…
「迷うておるのか…」
声がした。
本殿の上から聞こえてくるようであった。
「だ、だれだ!」
田村麻呂の手は刀に触れる。
「神だ…」
「建御名方神の使い神じゃ」
その声は言った。
「なんだと…」
田村麻呂は声が出なかった。
「お主は迷うておるな…」
その声は再度聞いた。
「こんなことが…」
田村麻呂は信じられなかった。
その時本殿の上に黒い影が現れた。
田村麻呂は刀を抜こうとした。
「慌てるな!」
「お主が信用しないので姿を見せてやったのだ」
人の二倍ほどの天狗が屋根に腰掛けていた。
「これで信用したか…」
「は…」
田村麻呂は震えている。
自分の願いが通じたと思っていた。
神の使いだと信じ切っていた。
「なぜ、迷うておる」
「お主の道は決まっておるはずじゃ」
天狗は言った。
「意味の無い戦いではないのかと…」
それが田村麻呂の真意だ。
「はっはっはっは~」
天狗は笑った。
「もともと意味のある戦いなどないわ」
「この世は二極、白か黒かじゃ」
天狗は、田村麻呂の言葉を切り捨てた。
「だが、間違うではないぞ、二極があるだけじゃ」
「どちらも正しい事もあると…」
田村麻呂は天狗に問うた。
「どちらも正しいと思っておるから戦が起こるのじゃ」
「白と黒があるだけで、善悪はまた別の話じゃ」
天狗は言った。
「この戦いに悪は存在しない…」
田村麻呂は言いかけて止めた。
「わかっておらんの~」
「この世に悪など存在せん」
「善とて同じじゃ」
「ひとつのものがあるだけじゃ」
「それを勝手に善だの悪だのと言っておるだけじゃ…」
天狗の言葉は田村麻呂の心の曇りを消していく。
「それは…そうだが…」
田村麻呂は見えない何かを見つけた。
「後にお主は一人の男に出会う」
「いや、もう会ってるかも知れぬのう」
「ああっ…」
田村麻呂は思わず声を上げた。
その男が真魚だとすぐに分かった。
「その男だ」
天狗が言った。
「その男が全てを導く」
「力を貸せ、ならばお主の心も晴れる…」
そう言うといつの間にか天狗の姿は消えていた。
田村麻呂は、心に明かりが灯るような感覚を覚えた。
「佐伯真魚…」
田村麻呂は月を見たまま、しばらく動こうとはしなかった。
続く…