空の宇珠 海の渦 外伝 精霊の叫び その二十一
役人の男が、手にした紙を見ていた。
「約束の時は迫っておるのだ…」
その紙には、納める物の詳細な内容が、記載されているようだ。
そこに、付き人の一人が走って来た。
「た、大変でございます!」
息が切れている。
それを言うのが精一杯であった。
「何が、大変なのだ!」
役人の男は、強い口調で言った。
「木樵共は、川の上流で堰を拵えております…」
男は、その付き人の言葉で、感情の行き場を失った。
「何だと!仕事もせずにか!」
「馬鹿者!即刻、木樵の頭を連れて参れ!」
「いや、儂が行く!」
「儂が行ってやる!」
「待っておれ!馬鹿共め!」
それだけの言葉を付き人に浴びせ、役人は歩き出した。
付き人は、その姿を呆然と見ていた。
「何をしておる!案内せんか!」
付き人に怒鳴った。
「は、はい、只今!」
付き人は慌てて役人の後を追った。
前鬼は、木の上からその状況を見ていた。
「妙な感じがするとは思っていたが…」
「ややこしくなりそうだな…」
前鬼が頬を人差し指で掻いた。
困ったときのくせである。
「真魚殿のことじゃ、既に気づいているとは思うが…」
一抹の不安がよぎった。
前鬼は、しばらく後を付けることにした。
真魚達は二つ目の堰に取りかかっていた。
それが、大方できあがっている。
二つ目ともなれば、皆が要領を覚える。
作る速度は、倍ほどに上がっていた。
距離をとって全部で三つ。
それで、段階的に水を止める。
土砂の湖の水量。
それが、三つの堰でほぼ止まる計算だ。
「俺たちにも、これだけの物が造れるのだな」
「どうした…谺…」
崑が手を止めた谺を見ていた。
「これは…」
谺が気づいた。
覚の叫ぶ声。
「いつもの獣の声ではないか…」
崑にとってはただの声だ。
だが、谺にとってはそうではない。
ただの獣では無い。
覚はこの山を司る神だ。
たきにそう聞かされてきた。
「聞いているのか、谺…」
「ああ、聞いている…」
「だけど、俺たちだけでは造れない…」
谺は真魚の存在を意識している。
真魚がいなければ到底出来ない仕事だ。
勿論、村の人も救えない。
「あの男の事か…」
「何だ、谺、妬いているのか…」
「妬いている?どうしてだ?」
「菜月があの男に、べったりだからだ…」
崑はそう言って谺をからかった。
「菜月が…どうしてだ…」
谺はその事に気づいてはいない。
だが、崑はそう思っている。
「俺は、気に食わぬがな…」
崑が言った。
「桜のことか?」
「そうだ、桜も菜月もどうかしている…」
「どこの誰かもわからぬ男に…」
「だいたい、貴族の者が俺たちと仕事をすると思うのか?」
崑はそう言って額の汗を拭った。
「とんだ食わせ者かも知れぬぞ…」
崑の言ったことは間違いでは無い。
その事実はあり得ないことなのだ。
「俺はそうは思わない…」
谺が空を見た。
「この世に一人ぐらい…」
「そういう男がいてもいい…」
「俺はそう思う」
谺は心の底からそう思っていた。
谺が真魚に感じたもの。
それは、そういうものであった。
言葉では無い。
谺に伝わる真魚の波動。
今まで感じた事はない。
耀きが存在していた。
それは、菜月や桜も感じている筈だ。
「そういうお方だ…」
谺はそう思っていた。
続く…