空の宇珠 海の渦 外伝 精霊の叫び その七
木樵の作業場では、一息入れに谺が下りてきた。
「あ~腹が減った~」
谺は菜月が持って来た包みを見つけた。
その横で、崑は相変わらず酒を飲んでいた。
「谺、あの男を知っているのか?」
崑は真魚の事が気になっていた。
「菜月が連れて行った男の事か?」
「そうだ…」
「いや、見たことも無い…」
谺は包みの中のものを口に入れた。
いろんな穀物を混ぜた餅のようなものだ。
「高価な酒を、よく飲めるものだな…」
貴族でもない崑が、昼間からする行為としては度が過ぎている。
「頭に見つかったら大目玉だぞ…」
谺は雑穀餅を口に入れながらそう言った。
「頭は役人に呼び出されて来ない…」
「それに、これは自家製の酒だ…俺の趣味でな…」
「崑が作っているのか!その酒!」
人は見かけによらぬ。
そんな顔をして谺は驚いていた。
「だが、まだまだ…だな…」
崑がそう言って一口飲んだ。
その味には納得していないようだ。
「それで、気になることがあるのだ…」
「珍しいな、お主でも気になることがあるのか?」
谺がそう言って笑った。
「これは、お主にも関係しているかも知れぬぞ…」
「何だ、それは?」
「水だ…」
「水…だと」
谺は驚いた。
この崑が、水ごときに疑問を抱いているとは思わなかった。
「確か、崑の所は…」
「谷の水だ…」
谷の水は森が生んでいる。
「酒造りにとっては水は命だ…」
「何が気になっているのだ…」
「味だ…しかも、気づいているのは俺だけだ…」
崑はその事実を谺に言った。
崑の味覚が、人並みでは無い事がそれで分かる。
「なるほど…」
谺がそう言ったきり黙ってしまった。
何かを考えている。
「婆ちゃんの言うことも、そういうことか…」
谺がつぶやいた。
「気にならぬのか、あの男…?」
「菜月が連れて行った…男か…」
「旅の者と言っておったが、どうも怪しい…」
崑は真魚に何かを感じていた。
「それに、谺の婆さんの話をしていたぞ…」
崑は谺の知らない事実を告げた。
「精霊の声か…」
谺がそう言って山を見た。
「あの男にも聞こえたのか…」
谺の中にふとその考えが浮かんだ。
真魚達はたきの家に向かっていた。
それは即ち谺の家ということにもなる。
「ところで菜月、おなごのくせにどうして髪が短いのじゃ…」
嵐が珍しく人のことを気にしている。
「邪魔なのよ、ただそれだけ」
菜月はあっさりと言った。
「お主にとって髪はそういうものか…」
嵐が勝手に納得していた。
「お母さんには、うるさく言われているけどね…」
側を歩いている睦月が言った。
「もっと女の子らしくしなさいって」
菜月が母親の真似をした。
「だいたい女の子らしいって何なのよ…」
「私が女の子らしくないっていうの…」
菜月自身はそのこと自体が気に入らない。
「俺はどっちでも構わぬがな…」
嵐がそうつぶやいた。
「私は時々…お姉ちゃんが羨ましいって、思うことがあるよ」
睦月が菜月に向かって言った。
「睦月、そんなこと言うの初めてよね…」
菜月は驚いている。
睦月の中で何かが変わった。
体験が全てを変える。
睦月の心も変わって行くのだろう。
菜月はそう感じた。
「無理をする必要なんかない…」
真魚がそう言って笑っていた。
「そ、自然体が一番なのよ!」
菜月がその言葉で、全てを片づけてしまった。
「ここよ!」
話している間に、たきの家の前まで来た。
「私、呼んでくる!」
睦月が走って行った。
しばらくすると杖をついた老婆が現れた。
真魚は一度遭っている。
「思った通りじゃな…」
「秘密の場所も知られたか…」
真魚を見るなり、たきは笑みを浮かべた。
「ま、こちらへ…」
たきは真魚を家に招き入れた。
「お姉ちゃんすごいよ!」
たきを呼びに行った睦月が興奮している。
「ん!」
「ん!」
「く、食い物か!」
嵐が興奮している。
「はやく!」
睦月が手招きをしている。
「俺に任せろ!」
嵐が堪らずに駆けだした。
ふふっ
「嵐って食いしん坊なのね…」
菜月が笑っていた。
続く…