空の宇珠 海の渦 外伝 沈黙の微笑 その八
庭に別の小屋があった。
何もないただの箱。
そう言う印象を受ける。
神社でも神殿の奥には何もない。
ただの空間があるだけだ。
だが、それこそが重要である。
穢れ無き清浄な空間。
それが、神を呼ぶためには必要なのだ。
「それでは始めるか…」
足が不自由な陽炎は背もたれのない椅子に座った。
その前に雫が座っている。
他の者は雫の後ろの床に腰を下ろした。
木葉が榊の葉で水を蒔いている。
場を清めている。
大麻を持った陽炎が雫の前でそれを振った。
穢れを祓う。
木葉が鈴を鳴らす。
その波動が場を整える。
陽炎が手を合わせ呪を唱えた。
陽炎をを中心に波動が広がって行くのがわかる。
雫に当たり跳ね返る。
波紋が乱れ、また広がっていく。
それが、少しずつ雫を包み込んでいく。
陽炎が雫の心に触れる。
雫が陽炎を感じている。
「これは…」
陽炎の顔色が変わった。
「同じ…ものか!」
雫が持つ霊力は陽炎のものと似ていた。
ちりぃぃぃぃん
真魚が五鈷鈴を鳴らした。
それがきっかけであった。
突然、陽炎の心の奥に光が見えた。
生命が膨れあがる。
その光が広がっていく。
陽炎の身体が震えている。
そして、雫も揺れていた。
ちりぃぃぃぃん
二度目が鳴った。
陽炎の心の奥から、途方も無い光が溢れ出した。
雫にも同じ事が起こっている。
共振共鳴。
二つの心がつながり、光が溢れた。
「こんな…」
「こんな事って…」
陽炎は涙をながしていた。
夢を見ているようであった。
暗くなりつつある山道を、陽炎は懸命に捜していた。
黒い霧の中を走っている。
気がつくと、いなくなっていた。
ほんの少しの間。
干したものを取り入れていた。
その間に、娘が消えた。
生まれたばかり。
まだ半年も経たない。
一人で歩けるはずもない。
その娘が消えた。
残された犬の足跡。
陽炎は必死になって捜した。
愛しき娘…陽向。
足は裸足であった。
傷が分からないほど血が出ていた。
だが、痛みなど感じない。
犬に連れ去られた。
陽炎はそう思った。
早く見つけなければ命がない。
懸命に走った。
その焦りが陽炎の足を掬った。
山道で足を踏み外した。
そこからの記憶は無い。
気がつけば自分の家で寝ていた。
足の骨が折れていた。
一人では歩けなかった。
捜しに行きたいが動けない。
心が壊れた。
一晩中泣き明かした。
村の者が総出で捜索にあたってくれた。
だが、手がかりは何も見つからなかった。
神隠し。
村の者はそう言った。
恋人が去った時、子供が出来たことを知った。
その子を産んだ。
その子は陽炎の生き甲斐になった。
そして、その子も神隠しに遭って消えた。
悲しみが陽炎を包み込んでいた。
それから数年。
陽炎は生きる希望を見失っていた。
庭の椅子に座り、何年も空だけを見つめる毎日が続いていた。
続く…