空の宇珠 海の渦 外伝 沈黙の微笑 その七
陽炎の住まいは、整理が行き届いていた。
身の回りの世話は木葉がしているようだ。
それには幾つかの理由があった。
「こちらです」
部屋に通されるとそこに陽炎がいた。
椅子に座っている。
この辺りでは見かけない四本足の椅子であった。
真魚よりは幾つか年上に見える。
一目で美しいと言える顔立ちであった。
目が切れ長で鼻筋が通り、下唇が厚めだ。
長い髪は編んで後ろで束ねている。
その美しさを、放つ波動が際立たせる。
「陽炎様、お連れいたしました」
木葉の誘導で皆が部屋に入った。
「これは、あなたですね…」
陽炎は直ぐに真魚を見た。
南瓜を膝の上に置いていた。
「そうだ、試すような真似をしてすまない…」
真魚が陽炎に詫びた。
「この世にも、あなたのような方がいたのですね…」
陽炎は膝の上の南瓜に手を添えた。
伝わる波動。
命の耀き。
込められた想いは陽炎に届いている
雫の父と母は、二人が何の事を言っているのか分からない。
だが、雫は違った。
雫が少しずつ目覚め始めている。
自らの心を開き始めている。
「兄が失礼な事をしたようで、申し訳ありません」
「あの男が…お主の兄なのか…」
真魚は驚いていた。
驚いたと言うよりは呆れたに近い。
塊と陽炎。
兄妹とは思えぬほどの距離が、二人の間にはある。
だが、その言葉で全てが繋がった。
陽炎の力を利用できることも、そう言う理由だったのだ。
「それで、ご用件は何でしょう?」
「娘の雫を観てもらいたい…」
雫の父、辰が言った。
ふふふっ
陽炎が笑った。
辰は陽炎がなぜ笑ったのか分からなかった。
「兄上に無駄金を与えたか…」
陽炎はそう言って雫を見た。
「無駄金…ですか…」
辰は更に迷路に迷う。
「その娘はどこも悪くない!」
「それは、その男も知っている筈だぞ!」
「さ、佐伯様が…」
辰は真魚を見た。
「陽炎とやらに会ってみたかったのでな…」
真魚はそう言って笑った。
「それで、それだけか?」
真魚は陽炎に何かを問うた。
「それだけ?」
陽炎は怪訝な表情を見せた。
「お主は雫の中に何も感じないのか?」
「それならば一度、観た方がいいのではないか?」
真魚は陽炎にそう言った。
「俺は一つ、引っ掛かっている…」
真魚は陽炎を見つめた。
「なるほど…」
「では、そうすることにしよう」
陽炎は膝の上の南瓜を見ていた。
「これを頂いて、このまま返すのは気が引ける…」
陽炎は真魚を見た。
「お主、名は何というのだ」
「佐伯真魚だ」
「佐伯氏の…」
この土地のおいて、佐伯の名を知らぬ者はいまい。
「そのような者がどうして…」
陽炎はそれが気になった。
「この国を見ながら旅をしている」
その旅が真魚の未来を創造する。
「変わった男だ…」
「それで、この親子に出会ったのか…」
「そんなところか…」
真魚は言葉を濁した。
雫親子が陽炎に会いに来たのは間違いない。
だが、真魚もこの地に向かっていたことに違いはない。
陽炎が引き寄せた可能性も否定は出来ない。
それぞれの行動が交わった点。
それが、今なのだ。
「木葉、あちらへ案内を…」
陽炎は木葉に声をかけた。
「足が悪いのか?」
真魚が陽炎の身体の変化を感じた。
波動が乱れている。
「昔、崖から落ちて、骨を折った…」
「命が助かっただけでも有り難い話だ…」
側に置いてあった杖を持って陽炎は立ち上がった。
陽炎の過去に何かがあった。
それは、間違いなかった。
「日常の営みには問題ない」
陽炎は杖をつきながらゆっくりと歩いて行った。
一度、外に出た。
庭を抜けないとその場所には行けない。
陽炎は直ぐに嵐を見つけた。
「あの犬か!」
ただの犬ではない。
「ただの腰抜け貴族ではないらしいな…」
その事実を陽炎は一目で見抜いた。
「俺の連れで、嵐という」
真魚は笑った。
これだけの感度を持ちながら、たどり着けない場所がある。
自らの悲しみで包まれたその奥…
真魚は陽炎の中に潜む、深い悲しみを感じていた。
続く…