空の宇珠 海の渦 外伝 迷いの村 その二十六
人の形をした闇。
それに二人の男が対峙している。
一人は稜の父、渡。
もう一人は奏と響の父、透だ。
透が手に持った弓を引く。
放たれた矢が闇に吸い込まれる。
だが、効果は無い。
「化け物め…」
透は二本目、三本目と次々に矢を放つ。
矢は確実に命中している。
だが、全く効果は無い。
闇はゆらゆらと揺らめきながら近寄ってくる。
「渡、この化け物はなんだ!」
奏と響の父、透が叫んだ。
「分からぬ!」
「尊はどこだ!この化け物にやられたのか!」
「この先に、洞窟がある」
「そこに行った筈だ!」
稜の父、渡が叫んでいる。
様子のおかしい尊を追いかけて来た。
だが、そこに待っていたのは、黒い化け物であった。
うおぉぉぉぉ~
透が剣を抜いた。
剣と言っても獲物を捌くためのものだ。
それほど長くはない。
透はそのものに切り込んでいった。
黒い触手が透に触れた。
「!」
「…そんな…」
透の動きが止まった。
「どうした!透!」
渡も剣を抜いた。
その仕草がぎこちない。
初めて持つ真剣。
足元さえおぼつかない。
身を守るためにだけに携えてきた剣。
それを渡は抜いた。
友を守る為に。
うおぉぉぉっ~
渡がその者に向かって奔る。
「止めろ!」
突然、透が叫んだ。
「何故だ!」
渡が叫んだ。
二人を黒い霧が包んでいく。
「これは…ぶちだ…」
透が渡に言った。
「 ぶち…」
顔に痣のある友を「ぶち」と呼んでいた。
「なんだと!」
渡がその事実を受け入れられない。
「何故だ…」
透が膝を着いた。
そして、泣いていた。
闇が二人を包んでいく。
「その悲しみを…何故言わなかった…」
「その苦しみを…分かって…なぜ…」
透の心が闇に触れ、揺れた。
闇の一部に浮き上がる形。
尊の顔がそこにあった。
「ぶち…」
二人がその顔を見た。
ぶちは泣いていた。
悲しみに包まれていた。
そして…
その顔で笑った。
それは、別れの笑顔であった。
ぶちは自らを闇に沈めようとした。
「待て!ぶち!」
透と渡が闇に飛び込んだ。
ぶちを救うために自らの全てを賭けた。
だが、闇は容赦なく二人を飲み込んだ。
奏が泣いていた。
響が泣いていた。
稜が泣いていた。
埜枝も泣いていた。
闇から溢れた光の中に真実があった。
真魚が切り裂いた闇の隙間から、その真実が見えた。
光が広がっていく。
奏と響と稜。
三人が開いた扉。
その中から美しい鈴の音が響いてくる。
舞い降りる光の粒。
その波動が鈴の音のように響いている。
そして…
開かれた扉の中から、大いなる存在が現れた。
途方も無い生命の中に大いなる意識が存在していた。
その光が、真魚が切り裂いた闇の隙間を広げた。
その隙間から三つの光の塊が、引き寄せられる様に近づいてきた。
「ああ…」
光の塊。
無数の生命が集まり、輝く。
その光が何であるかは誰もが気づいていた。
奏の手が、響の手が、稜の手が、そして、埜枝の手がその光に触れた。
「ありがとう、お父さん…」
奏と響が同時に言った。
光から伝わる波動。
言葉ではない。
だが、その中に全てがあった。
「…」
稜は言葉が出なかった。
「父さん達がおじさんを救ったんだね…」
稜はその事実に感動していた。
闇に沈む尊を二人で抱え離さなかった。
「ありがとう、父さん」
言葉にはならない。
だがその想いは伝わっている。
そして、稜は父の想いを受け取った。
「すまぬ…すまぬな…」
埜枝がその光に詫びた。
『このものはお主の師だ…』
大いなる存在から伝わる波動。
「…有り難い…」
残酷な事実の中にも、真実が存在した。
『どちらが先かは関係ない…何を学ぶかだ…』
『答えはお主の中にある…』
その存在は光で全てを包んでいた。
『尊き光は連れていく…』
大いなる光が輝いた。
一瞬、その光で何も見えなくなった。
その光に触れた闇はなすすべもなく消えていた。
「俺の出番はなしか…」
嵐が諦めて笑っていた。
光の粒が引き上げている。
大いなる光も今はいない。
扉が閉じようとしていた。
三つの光が飛び去っていく。
戯れながら、その扉の中に消えていった。
奏と響が抱き合って泣いていた。
二人の肩を稜が抱いている。
埜枝は手の中に何かを感じた。
「こ、これは!」
一輪の菫の花があった。
埜枝が犯した過ち。
その意味の全てがそこにあった。
「すまぬ…すまぬ…菫…」
埜枝は泣き崩れた。
尊は一番大切なものを、闇に導かれ殺めた。
だが、友の心が、自らを裁く尊を止めた。
全てを止めるために力を合わせた。
そして…
最後に尊を救ったもの…
それは一輪の菫の花であった。
それは、菫の母である蓬の、最後の願いでもあった。
続く…