空の宇珠 海の渦 外伝 迷いの村 その十一
嵐が子犬の姿に戻った。
「かわいい!」
響が思わず声を上げた。
村の外れの森の影。
そこに嵐は降りた。
響がいる以上、人目につく訳にはいかない。
それは真魚の指示だ。
「こんなにかわいい子犬さんだったなんて!」
響が逆の意味で感動している。
「言っておくが、犬ではない、神だ!」
子犬の姿では説得力が全くない。
本来の姿のように、神々しさも消えている。
響は思わず嵐を撫でている。
「犬ではないと言っておろうが!」
子犬の扱いに嵐は不機嫌だ。
「それで、どうやって母を説得するの?」
奏が真魚に聞く。
「さて、どうするか…」
「考えてないの?」
真魚の煮え切らない答えに、奏が口をとがらせている。
「手は幾つもある…」
真魚が奏の態度にそう答えた。
「幾つも?」
幾つもあるというのが、 奏には想像がつかない。
それは予想外の答えだった。
心はそうそう変われるものではない。
神の祟りという恐怖に縛られた母の心。
それをどうやって解きほぐすのか、奏には想像すらつかない。
「恐怖には、恐怖か…」
真魚はそう言って口元に笑みを浮かべた。
「奏の母は屍を見ていないのか?」
「どうして?見たのは私と稜だけ…」
「では、亡骸はどうやって弔ったのだ」
真魚が奏の答えにそう問いかけた。
「そのまま山に葬ったんだと思う」
「村の男衆が手伝った様な気がする…」
幼き頃の記憶は定かでは無い。
「自らが見たものの記憶は鮮明だ」
「そうだろ、奏…」
真魚が奏の記憶を確かめている。
「うん…」
奏は頷いた。
「見た奏の記憶と、それを聞いただけの響…」
「二人の記憶では絶対的な違いがある」
「絶対的な…違い…?」
奏は考えた。
「その違いが呪縛を解く鍵だ」
真魚の言葉が奏の考えを結びつける。
「呪縛を解く鍵…」
奏の中で思考の断片が繋がっていく。
「奏は覚えているけど、私はもう悲しみしか覚えていない」
響がそう言った。
「私は何もかも覚えている…」
奏は目を瞑っていた。
「忘れることなんか出来ない!」
奏の記憶からその事件が消えることはない。
「その違いは何だ?」
真魚が奏と響に聞いた。
「見たか…見ていないか…」
奏が答えた。
「そうだ、だがもう少し詳しく言うと…」
「体験したか、しないかだ」
真魚は二人にそう言った。
「体験こそが人を変えるのだ…」
「その時、心で生み出すものが全てを繋ぐ」
母の心を目覚めさせるにはそれしかない。
「その力が人を変えるの…?」
響が可能性を見つけた。
「母も変われる…」
奏が希望を見つけた。
「でも、どうやって…」
奏にはその先が分からない。
「母は偽物の神を信じている…」
真魚が二人を見て言った。
「そうか…」
真魚の言葉で響が気づいた。
「本物を…!」
奏がその扉を開けた。
「だが、本物を見るには少し段取りが必要だ…」
「直ぐにとは行かぬ…」
真魚の中では既に何かが動き始めている。
「でも、私達は見ることが出来たじゃない!」
奏が真魚に詰め寄る。
「二人には特別な力がある…」
真魚が二人を指さした。
「私達が…特別?」
奏と響が同時に言った。
「それだ…」
真魚は口元に笑みを浮かべた。
「神が向こうから降りてくることは先ずない…」
「こちらから出向く必要がある」
「私達は何もしていない!」
また二人の声が揃った。
「仕方ない奴らだ…」
嵐が呆れていた。
奏と響は顔を見合わせて笑った。
「神に近い、恐ろしいものがいるだろう?」
真魚がその波動を感じたようだ。
「おっ、そう言う手があったか!」
嵐が二人より先に気づいた。
「なにっ?嵐?」
響が嵐に聞いている。
「そういえば…お主はまだ見ておらぬ…」
「あっ、そうか!」
嵐と響のやりとりで奏がようやく気づいた。
「噂をすれば…」
嵐がその波動に気づいた。
だんだんと近づいてくる。
「えっ、何?」
その波動を感じた響が、答えを知りたがっている。
突然…
空から人が降ってきた。
響はそう感じた。
「どうした?うちの顔に何かついておるのか?」
光を追ってきた後鬼が到着した。
響はその姿に口を開けたままだ。
「お、鬼…」
響の足が震えている。
立っているのがやっとだ。
だが、踏みとどまれたのは奏を見たからだ。
奏は畏れていない。
響はその奏の心を感じ取っていた。
「ひょっとして…これが…答え?」
響がその答えにたどり着いた。
『二人が持つ特別な力…』
それが分かったような気がした。
「これとはどういうことじゃ!」
後鬼は少しだけ勘違いをしていた。
「うちは後鬼じゃ!」
「お主とは初めてじゃったな」
後鬼が響を睨んだ。
だがその口元に笑みがある。
その様子を見て皆が笑っていた。
続く…