空の宇珠 海の渦 外伝 迷いの村 その四
「前鬼、後鬼いるのだろう?」
真魚がそう言って振り返った。
うひゃひゃひゃひゃ~
「爺さん今日はうちの勝ちじゃな…」
後鬼の右足が前に出ている。
真魚に気づかれた時、どちらが真魚の近くにいるか…
今日はそれを賭けて楽しんでいたようだ。
「お主ら相変わらずじゃのう…」
嵐が呆れている。
嵐にとってはどうでもいいことだ。
「それより真魚殿、あれじゃ…」
後鬼が山の灯りを指さした。
「おかしなことになっておる…」
前鬼がその状況をそう表現した。
「生け贄の儀式か…」
嵐が吐き捨てる様に言った。
その情報は既に奏から聞いている。
「おや、さてはお主、先に見てきたのか?」
その後鬼の言葉で状況がわかる。
「奏の妹らしい」
真魚が言った。
「奏…この娘のことじゃな…」
「おや!」
後鬼が気づいた。
「似ておるぞ…」
前鬼が気づいた。
「二人は双子だ」
嵐が答えを言った。
「助けに行こうとしたのか…」
後鬼が落ちている斧を見つけた。
「この村はどうなっておるのじゃ…」
後鬼がこの出来事に憂いでいる。
「今時、生け贄とは…」
前鬼が同じ事を考えていた。
「いくぞ!」
真魚がそれだけ言った。
「真魚殿もお好きですな…」
前鬼が笑っている。
「それは、うちらも同じか…」
後鬼が自らに呆れていた。
「ひょっとして…鬼…なの…」
額の角。
奏はそれを恐る恐る聞いた。
勿論、本物の鬼など見たことはない。
「真魚の友達?…」
神の犬と鬼が友達。
そんな人などいない。
いるわけがない。
それは、奏にとって常識の範疇を超えた事実であった。
「うちは真魚殿のお供をしている後鬼…」
「この爺さんが前鬼だ」
後鬼が奏に名乗った。
「真魚って何なの…」
奏はそう言いながらも、真魚に救われていた。
どんどん心が軽くなっていくような気がしてした。
『響を助けられるかも知れない!』
奏の心の中で何かがそう言っている。
根拠はない。
心の中を吹き抜けた風。
その時の感覚。
『信じてみよう!』
奏の心は既に決まっていた。
一人の少年が人混みの中をうろうろしている。
誰かを捜している様だ。
「早くしないと響が…どうする、奏…」
奏と同じぐらいの年頃。
少しくせのある髪。
大きい瞳。
太い眉がなければ、女に間違われそうである。
村の者達は社の方を見ている。
だが、少年は逆の方を見ていた。
石段の方へ人混みをかき分け進んで行った
「いない…」
奏の姿を捜している様だ。
その時であった。
がおぉぉぉぉっ!
雷鳴の様な音が聞こえた。
その音で社の廻りは静寂に包まれた。
大いなる獣の叫び声。
生命がそれに敬意を払っているかのようだ。
次の瞬間。
おおおおおおお
村人がどよめいた。
社の屋根の上に巨大な人影が立っていた。
村人の意識は屋根の上に注がれた。
そして、次の瞬間。
突風が吹いた。
巨大な何かが、大気の中をものすごい速さで走り抜けた。
おおおおおお
村人がどよめいた。
御輿が地面に落ちていた。
その風に触れた者は皆、吹き飛ばされた。
その衝撃で立つことも出来なかった。
御輿を担いでいた者たちもその中にあった。
『私は神の使いだ!』
社の上の影が言った。
『娘は頂いていく…』
『だが、生け贄はこれで最後だ』
『次からは採れた作物を積んでおけ…』
おおおおおおお
村人のどよめきは安堵だったのかも知れない。
その後に広がった波動は、今までの重いものとは違っていた。
「ちぃっ!」
御輿の前で一人の老婆が舌を鳴らした。
着物の汚れを手で払いながら立ち上がった。
「余計な事を…」
その言葉は神に対しての冒涜だ。
「埜枝大丈夫か…」
その傍らに老人が立っていた。
髪の毛はほとんど無いが、髭を生やしている。
「何だ、今のは…」
その老人がそう言った。
慌てている様子はない。
だが、その言葉は予定外の事が起こったことを示している。
今から起こるはずであった何か…
それを、知っていたに違いない。
「嫌な予感がしていたが…これか…」
埜枝が社の屋根を見たときには巨大な影は 消えていた。
続く…