空の宇珠 海の渦 外伝 命の絆 その十七
楠に宿る神。
その神の言うとおり後鬼は山の頂上に向かった。
もうすぐ日が暮れる。
だが、鬼の波動は感じない。
「はて、楠の言う所はこの辺りではなかったのか…」
木の上を跳びながら後鬼は迷っていた。
「うちは…迷っているのか…?」
後鬼はその事実に気がついた。
「結界か…」
「柊の言うことが本当なら、それも仕方あるまい…」
哀れな鬼。
後鬼はそう考えていた。
「さて、どこから間違えたのか…」
後鬼は辺りを見渡した。
空間のわずかな歪み。
大地の波動の乱れ。
それを見つけようとした。
「柊が出会ってから二十年ほど経っておるか…」
その間この山にいたのかは分からない。
「ん!」
「何じゃ…この感じ…」
後鬼が何かを見つけた。
一際高い木が立っている。
「あの木に聞いてみるか…」
後鬼が独り言をつぶやいて跳んだ。
三度ほど跳んだ時であった。
「おっ!」
急に足下を掬われた。
そのまま落ちた。
だが、後鬼は木の枝を上手く利用して無事に着地した。
「手荒なまねをする…」
後鬼は口元に笑みを浮かべている。
「私を捜しておるのであろう…」
「この木が言っておる…」
大木の根元に一人の女が座っていた。
銀色の髪が長く腰の辺りまである。
若く整った美しい顔立ち。
だが、それも恐らく仮の姿だ。
その容姿で獲物を引き寄せ食らう為だ。
「あの楠の計らいか…」
「だが、これほど美しい鬼とは想像もしなかったわ…」
後鬼がその鬼に言った。
「そんな幻想に惑わされるお主でもあるまい…」
その鬼は後鬼の力量を見抜いている。
「見た所それほどでもないのだが…」
後鬼はその鬼の何かを量っている。
「何の事だ…所でお主は誰じゃ…」
鬼は後鬼の名を知りたがっている。
「うちは金峰山の後鬼じゃ…」
後鬼はご丁寧に出身地まで付け加えた。
「ほう…金峰山の後鬼、遠路遙々ご苦労だったな…」
その女の鬼はそう言って頭上を見上げた。
「私は百目鬼、この辺りをうろついている…」
そして、何かを感じている。
「誰かに見られているような気がするな…」
百目鬼は言った。
「そうかも知れぬ…なにせうちらは人気者なのでな…」
「気にするな…」
後鬼はそう言って懐から例の丸薬を出した。
「これはお主が拵えたものか…」
後鬼は袋から丸薬を出し百目鬼に見せた。
「ほう、それをどこで手に入れた…」
覚えがあるらしい。
「柊という女が持っていたものだ」
「女…はて?」
百目鬼は考え込んでいる。
「あれから何年経つと思っている…」
「私を救ったあの娘か…」
百目鬼はそのことを思い出した。
「その娘がこれを使ってしまったのじゃ…」
後鬼がその事実を百目鬼に伝えた。
「それで厄介なことになっておる」
それがここに来た理由だ。
「厄介…だと?」
「あれは命を犠牲にして願いを叶えるものであろう?」
「そうだ…それほどの願いがあればの話だがな…」
百目鬼はそう言った。
「柊は既に病に侵されておった…」
後鬼はその事実を百目鬼に告げた。
「それは放っておけば死ぬと言うことか…」
百目鬼の顔がが険しくなった。
「どうなったと思う…」
後鬼は百目鬼に問いかける。
「うむ…」
百目鬼はそのまま考え込んだ。
「生命の力がなければ願いは叶わぬ…」
「それは成立しない…」
百目鬼は後鬼にそう答えた。
「お主の薬が柊の病魔を食ったのだ…」
「なに…!」
百目鬼は驚いていた。
「生命を食らうはずのものが、病を食ったのだ…」
「それでどうなったのだ…」
予想外の出来事。
百目鬼の心が揺れている。
「まだ、柊の中にいる…」
「今は小さくなっておる、うちらがちと細工を施したのでな…」
後鬼がそう説明する。
「そうか…」
百目鬼は少し安心した様子だ。
「解く方法はないのか…」
後鬼が百目鬼に袋に入った丸薬を投げた。
「これは虫だ…」
「虫?」
後鬼には意外なものであった。
「願いをかけると羽化する」
「その者の生命の力で言霊の羽を広げる…」
「なるほど…そういうことか…」
後鬼のなかでその心象が描かれている。
「願いが叶う頃には生命の力が食べ尽くされる…」
後鬼はその仕組みを理解した。
その仕組みは神が創りしものだ。
「待て!そうすると柊の願いはまだ…」
後鬼はそう考えた。
「虫の羽は広げられている…」
「願いの言霊は伝わっている筈だ…」
百目鬼はそう言った。
「では、なぜ生命を食らう虫がなぜ病魔を食らっておる?」
後鬼にはその事実が腑に落ちない。
「わからぬ…」
百目鬼の考えが届かない。
「だが、虫がいなければ柊は命を落とすだろう」
図らずも百目鬼が出した答えは、後鬼と同じであった。
続く…