空の宇珠 海の渦 外伝 命の絆 その十三
突風が吹いた。
男だけが取り残されて立っていた。
廻りの役人も人も吹き飛ばされて転がっている。
「ああ…」
一瞬の出来事だ。
男は何が起こったか理解出来なかった。
嵐が光となり父の側を抜けた。
父が倒れなかったのは嵐が支えたからだ。
「何だ…今のは…」
その一瞬何かを見たような気がした。
ただの風ではない。
恐ろしいもの…
男はそう感じた。
手に木の札を持ったまま震えていた。
「あの男か?」
真魚が蓮に聞いた。
「父ちゃんだ…」
「生きていたんだ…」
蓮の目に涙が溢れている。
今にも飛び出していきたい。
子供ならなおさらだ。
その衝動を抑え込んでいる蓮は、大したものだ。
「だけど…」
蓮は涙を拭って言った。
「どこかちがう…」
蓮はその違和感を真魚に告げた。
「望みどおりにしてやったぞ!」
気がつくと子犬の嵐が側にいた。
「ん、どうしたのだ?」
嵐は蓮の様子がおかしいことに気がついた。
「どうやら父に何かが起こっているらしい…」
真魚が嵐に説明する。
「なるほどな…俺も感じたぞ…」
嵐は笑みを浮かべた。
「抜け殻のようであった…」
嵐は続けてそう言った。
短い時の中でも嵐には関係ない。
その全てを把握している。
「抜け殻…」
真魚の中に蝦夷と倭の戦いが浮かぶ。
「あの時、闇に食われたのか…」
嵐がそれを口にした。
闇に食われることは死を意味する。
肉体から魂が無理矢理はがされる。
その生命を食らう。
肉体はかろじて残った魂だけで生きる事になる。
「どうなるの…」
蓮が不安そうな顔で真魚を見た。
「心配ない…」
「だが、一度看た方がいいな…」
真魚は蓮を見て笑った。
その笑顔に蓮は救われた。
「どうする?」
嵐が真魚に聞く。
「一度、この場を離れよう、帰り際に仕掛ける!」
「では、飯にするか?」
嵐が言った。
「さっき食べたよ」
蓮に言い返された。
「一仕事終わった後は飯だ!」
それが嵐の道理なのだ。
「では、そうするか…」
「そうこなくてはなぁ!」
真魚の許しに嵐が喜んでいる。
「どれだけ食べたら気が済むの?」
蓮の問いかけの答えは存在しない。
「蓮の十日分くらいか…」
「うそ…」
真魚の冗談に蓮が驚いている。
「それは違うぞ…」
嵐が言った。
「気が済むまでだ!」
蓮が嵐の答えに呆れていた。
「嵐って本当に神様?」
父を心配しながらも、蓮は救われたような気がしていた。
柊は華の変化に気づいてはいた。
だが、その変化が特別なものだと言うのはわからなかった。
丁度、黑が来た頃であった。
黑を連れてきたのは父の朔三であった。
しばらくたってから『黑と話をしてくる』と言って牛小屋に行くことが多くなった。
まさか、本当に牛の黑と話をしているとは思いもしなかった。
「ねえ、赤鬼さん、青鬼さんはどこに行ったの?」
心地良い朝であった。
丁度、後鬼を見送ったあとだ。
後鬼の姿が見えないことに華が気づいた。
「華は鬼に出会った事があるか?」
前鬼は華に問いかける。
「ううん、赤鬼さん達が始めてよ」
華は首を横に振った。
「鬼って赤鬼さん達の他にもいるの?」
「いるぞ、柊が出会ったのもそうかも知れぬぞ…」
前鬼は華の疑問に答える。
「だが、華よ、鬼と呼んだのは人だ」
「人が勝手にそう呼んでおるだけじゃ」
前鬼は華に優しく説明した。
「魔物や妖怪、それに人でさえもそう呼ばれることがある」
「儂らは説明が面倒なので鬼と名乗っておるがな…」
「ふうん、鬼の世界もややこしいのね」
華はそう言って考え込んでいる。
「で、青鬼さんは…」
華が話を元に戻した。
「その鬼を捜しに行った?」
前鬼より先に華がそう言って山を指さした。
「華は頭がいいな、その通りだ」
前鬼が華の推理に感心している。
「青鬼さん、一人で大丈夫なの?」
同時に後鬼の身を案じている。
「ああ見えて結構強いぞ」
その事実は前鬼が一番良く分かっている。
「それなら心配ないね…」
華はそう言って笑った。
「だが、なぜそんなことを気にしている?」
前鬼が逆に華に質問した。
「さっき黑が言ったの、気をつけろって」
「黑が…どういうことだ!」
華の言葉の意味を前鬼は量りかねた。
「何かが起こるのは間違いないわ」
「黑は嘘はつかないもの…」
華も嘘はつかない。
「媼さんの身に何か起こるのか…」
「それとも…蝦夷の…」
前鬼は考えを巡らした。
だが、その答えは見つからなかった。
続く…