空の宇珠 海の渦 外伝 心の扉 その十二
空は星の渦であった。
星の川の中に浮かんでいる。
光に溢れた空と闇に包まれた地上。
どちらもこの宇宙の一部に変わりは無い。
闇の森に虫の音だけが響いている。
神の山の一部だ。
その音色は、聴く者がいるからこそ存在できるのだ。
「最近、こんな役ばかりが回ってくるのう…」
後鬼がぼやいている。
「媼さんにしか出来ない仕事じゃ…」
そう言いながら前鬼は笑っている。
「化け物の真似がか…?」
後鬼が呆れ顔で前鬼を見ている。
後鬼は紗那の着物を着ている。
紗那の姿を真似て髪を後ろで編み込んでいた。
「いや、なかなかそういう髪型もお似合いじゃぞ」
「おや、そうかい…」
前鬼はあからさまなお世辞で、後鬼の機嫌を取ろうとしている。
そんなことは後鬼も分かっている。
だが、二人の関係はこうして成り立っている。
「恐らく一人では来ぬであろうな…」
子犬の嵐が暗闇の中でつぶやく。
多少の月明かりがあるとは言え、森は闇の中だ。
しかも、屍を確認しに来るのだ。
さすがの仲成も、自ら足を運ぶとは考えにくい。
「一人で来るような男なら、紗那に刃を向ける事などあるまい…」
真魚が行動から仲成の器を量っている。
「それで、俺はどうすればいいのだ」
紗那が闇の中で不安に怯えている。
「お主は見ていればいい…」
嵐の声がする。
「見ると言ってもこれでは…」
「心配するな…そのうち灯りが見える」
真魚は紗那の不安を感じていた。
ちりぃぃぃん
虫の音に紛れて鈴の音が鳴った。
「来たか…」
真魚のそのつぶやきを最後に人の声が消えた。
「おい、本当に大丈夫なのか…」
「仲成様の言いつけだ…」
二人の男が闇の森の入り口にいた。
「何をこそこそ話しておるのじゃ!」
少し離れた後ろからその男がついてきていた。
「ここから…入るのでございますか…」
男の声は震えている。
木の枠に布か紙を貼った灯りを持っている。
その中で小さな炎が揺れていた。
闇の森を進むには十分な灯りとは言えない。
それはその男の震える声でわかる。
灯りは二つ。
一つはその男が持っていた。
藤原仲成。
藤原種継亡き後、式家をこの男が引き継いでいる。
「そうだ、そこからすぐだ…獣道に沿って真っ直ぐ進め…」
「はい…」
二人の男は仕方なく森に入っていく。
虫の音が聞こえている。
それだけが救いであった。
闇の中でも生命の音がする。
それだけで心が救われる。
闇の中を手探りで進んでいく。
幸いにして、獣道以外に歩けそうな場所はない。
しばらく行くと少しだけ森が開けた場所に出た。
「その辺りだ…」
仲成が二人の男に言った。
「あれか!」
一人の男が指を指した。
人らしきものが地面に横たわっている。
「動きませぬ…死んでいるようです…」
「確かめるのじゃ!」
怯える男の言葉を仲成が押さえつける。
「あっ!」
その時である…
もう一人の男が声を上げた。
その声でもう一人が屍に目を向けた。
「動いた…」
屍である筈のものが、動いたような気がした。
「なに…」
男の声は震えている。
二人の男は屍を見つめてまま動けない。
頭の中では次に起こる事を考えている。
それは恐怖だ。
その屍が立ち上がる。
二人の男が同じ事を考えている。
かさっ
かさっ
音が鳴った。
草を擦る音。
その音は屍の辺りから聞こえる。
「お、お、おい…」
「う、う、う…」
男達が描いた恐怖が、現実になろうとしている。
かさっ
手が動いた。
ばさっ
大きな音がした。
その時には屍が立ち上がってた。
「神の山で人を殺めるのはどいつじゃ!」
頭に角が生え、恐ろしい顔で二人の男を睨んでいた。
「お、お、お」
「鬼だぁ…」
その姿を見た二人の男は逃げ出した。
後ろにいた仲成にもその声は届いていた。
「仲成様!お逃げください!」
二人の男はその恐怖に混乱していた。
主人である仲成を二人で抱え、森の外に向かって逃げた。
「おい、こら!」
仲成のその言葉は耳には聞こえない。
仲成を連れ帰る事と逃げる事。
今の二人にはそれ意外、考えることが出来なかった。
続く…