空の宇珠 海の渦 外伝 心の扉 その六
「もう、戻れまい…」
真魚がその事実を告げる。
兄の仲成に全て知られた以上、残された道は二つしかなかった。
このまま引き下がるか…
奪い去って逃げるか…
どちらにしても想いは途切れる。
全てがうまく行く話ではない。
引き下がればお互いが想いを残したままになる。
だが、帝に見初められた姫は、これまで以上の生活が出来るかも知れない。
奪い去って逃げる事は可能だが、兄の仲成が黙ってはいまい。
いずれ見つかってしまうだろう。
それよりも貴族の娘が、今より不便な生活が出来るはずがなかった。
更に帝の感情が一族の未来をも左右する。
「奴の剣術で、紗那を殺すのは容易いはずだが…」
真魚はある事実が気になっていた。
引き際の速さ。
ただの貴族ではない剣術の腕。
その裏に何か不気味なものを感じていた。
「だが、殺さなかった…」
前鬼は真魚の言葉の裏を読んでいる。
「簡単には殺さぬ、そう言う奴だ…」
紗那がそう言って切り捨てた。
「自分の言うことを聞かぬ者は、そうやっていたぶるのだ…」
紗那は愛しき者の兄をそのように言う。
「だが、驚いたであろうな…仲成も…」
「切り札を、足蹴にされた者に奪われそうになったのだぞ…」
嵐が半ば呆れた様子でそう言った。
「自尊心が崩壊したことは間違いない…」
前鬼が哀れんでいる。
「そして、またこの場所で止めを刺されたか…」
後鬼は愚かな男の心情を察していた。
「どちらにせよ、生死の確認に来るであろうな…」
前鬼がその男の行動を読み解いていく。
「紗那、お主に残された道は二つだ…」
真魚が紗那に向かって言った。
「生きるか…死ぬか…」
紗那がそうつぶやいた。
そのどちらかを選ばなくてはならぬ。
仲成に目を付けられ、命まで狙われた。
もうこれ以上、姫との関係を保つことは出来ないだろう。
今までと同じ生活をできる保証はどこにもない。
「お主、父は誰なのじゃ…」
嵐が重要な事実に目を向ける。
「…」
だが、紗那は黙っている。
考え込んでいる。
「まさか…」
前鬼が新たな事実を掴みかけている。
「同じ…藤原氏か…」
後鬼がその考えを口に出した。
「…」
紗那は固く口を閉じたまま開こうとしない。
そこには紗那の苦悩が刻まれている。
「そう言うことか…」
真魚が紗那の苦悩を感じ取っている。
「式家以外の藤原氏となれば…話はややこしくなる…」
前鬼がその事実の未来を辿っている。
「そして、あの男…がどうでるか…」
どちらが先にせよ、帝が見初めた娘だ。
事実が知れ渡れば良くない流れが起こる。
「そのために紗那を殺そうとしたのだ…」
真魚が問題の糸口を探している。
「好きな女を殺めるのか…」
嵐は真魚の言葉が信じられない。
あの時の明らかな殺意。
憎しみの波動が渦を巻いていた。
「紗那への想いが、あの憎しみの渦を作らせたのか…」
嵐は驚いている。
人と言う坩堝は果てがない。
神が創りし仕組みを、神である嵐が理解出来ないでいる。
好きだという想いが、憎しみに変わることなど、
嵐にはありえないことなのだ。
「自らの保身と紗那への想い…」
「どうせなら…ということか…」
後鬼はその愚かさを嘆いていた。
続く…