空の宇珠 海の渦 外伝 心の扉 その四
「さて、このままこんな所で寝かしておくのもな…」
前鬼が次の行動を考えている。
「命に別状はないとは思うが…」
後鬼は真魚の体調をそう見ている。
無理矢理回路を繋いだために、霊力を消耗してしまったのだ。
「俺が運んでやる、場所を言え…」
嵐がそう言った。
「い、犬が喋った!」
紗那が驚いている。
「犬ではない、俺は神だ!」
嵐が紗那に向かって言った。
「か、神だと!」
紗那が目を丸くして驚いている。
喋る事自体が信じられないが、子犬が神だと言うのも信じられない。
「ところでお主、どうして男のなりをしておるのじゃ?」
嵐がいきなり紗那に切り込んでいく。
「俺はこの身体が嫌で仕方が無い」
紗那がそう言った。
「心はまともな様じゃな…」
嵐が紗那の心を探っている。
波動に乱れはない。
「葉月の時とは少し違うようじゃな…」
前鬼が哀しい記憶を思い出していた。
「ならば心は男と言うわけだな…」
後鬼が結論を出した。
「男の心に女の身体か…これは厄介な話だ…」
嵐がそう言って紗那を見た。
紗那は事実としてそれを受け入れてはいる。
だが、その事実が迷いを生んでいる。
「聞きたい事がある…」
紗那が皆に向かって言った。
「先ほど夢を見た…光に包まれた夢だ…」
「良かったではないか…」
前鬼がそう言った。
「良かった…?何故だ?」
紗那にはその理由が分からない。
「お主はどう感じたのだ」
後鬼が紗那に聞いた。
「温かく、愛おしいそんな感じだった…」
「それだけか?」
前鬼が問い詰める。
「そのままの姿で良いと…」
「なるほど…」
前鬼にはおおよその見当がついてきた。
「もう一つ聞いても良いか?」
紗那には気になっている事があった。
「本当の人はこの姿ではないのか?」
「何故そう思うのじゃ?」
「見たからだ…身体が光になったからだ…」
「それでお主はどう感じたのじゃ?」
後鬼が紗那の表情を伺っている。
「うれしかった…」
「今の身体が本当の姿ではないと感じたのだ…」
そう言う紗那の瞳は輝いている。
「男も女もない…」
その輝きに嘘はない。
「ならば、それが真実だ」
前鬼が紗那にそう言った。
「そうなのか…やはり…」
そう言う紗那の口元には笑みが浮かんでいる。
自らの体験が紗那の心を解きほぐしている。
その波動が広がっていく。
「お主、何だかうれしそうだな」
嵐が紗那を見て笑っている。
「貴族の家に生まれたのだ…」
「女に自由などない…」
「まるで、鳥かごの中の鳥だ…」
紗那はそう言う例えをした。
「そして、その鳥はいつか売られるのだ…」
「不自由だったから男になろうとしたのか?」
「そうではあるまい…」
前鬼が紗那に聞いた。
「ものごころがついた頃には、この身体が嫌だった…」
「既に、心は男だったという訳か…」
後鬼が紗那の人生を考えている。
「神がいるなら…どうしてこんな間違いをするのだ…」
紗那はその答えが知りたい。
「神は間違える事はない…」
後ろから声がした。
真魚が起き上がって座っていた。
「お主、大丈夫か?」
嵐が笑ってそう言っている。
呆れているのだ。
「答えは己の中にある…」
真魚がそう言った。
「俺の中に…答えが…」
紗那は両手を見つめている。
あの光に触れた感覚。
交わした意識。
懐かしい記憶。
「あれが…答えなのか…」
だが、それが何であるのか紗那には分からなかった。
「俺は今まで神が間違えをしたと思っていた…」
「だが、そうではないのかも知れぬ…」
紗那は意識を心の奥底に向けている。
「お主と同じ思いを持ったものが、他にもいるはずだ」
真魚は座ったまま紗那に言った。
「そうかも知れぬ…いや、きっとそうだ」
何かが紗那の中で動き始めた。
「人は己の境遇を呪うことがある」
紗那は顔を上げて木漏れ日を見ている。
「それが命を狙われた理由か…?」
真魚が紗那の波動を感じている。
「どこぞの男を足蹴にでもしたか…」
後鬼がそう言って笑った。
「笑い事ではない!殺されかけたのだぞ!」
紗那が本気で怒っている。
「すまぬ、ちと言い過ぎた…」
後鬼が反省している。
「だが、これで答えが出た」
前鬼には見えたようだ。
「これだけ美しければ男も放ってはおくまい…」
真魚が事実を言った。
白い肌、通った鼻筋、大きな瞳、唇。
男のなりをしていなければその身の安全はない。
夜な夜な男共の夜這いに苦しめられる事になろう。
それが女ならまだしも、心は男なのだ。
「それで逃げ出したのか…」
嵐がつぶやいた。
「それだけではなかろう?」
真魚は真相に近づいている。
「お主は男だからな…」
真魚はそう言いながら立ち上がった。
続く…