空の宇珠 海の渦 第六話 その三十四
子供達が波と戯れている。
寄せては返す波の動き。
その不思議な波の動きに心を奪われている。
落ちている貝殻を拾い、蟹を見つけて驚いている。
凪と颯太も子供達と一緒になり遊んでいる。
子供に戻っている。
大人になっても、その心が完全に消える訳ではない。
「子供達のあんな笑顔、初めて見たぞ…」
後ろに人の気配がする。
その気配に聞こえるように、鈴鹿御前がつぶやいた。
「事は済んだ…」
真魚であった。
「もうこの世に女盗賊鈴鹿御前はいない…」
その事実を鈴鹿御前に伝える。
「そうか…世話になった…」
鈴鹿御前は子供達を見ている。
その輝きに胸が詰まりそうになる。
「息苦しいであろう…」
「そなたは倭では生きにくい…」
真魚が鈴鹿御前に言葉をかける。
「お主は私にこの声を聞かせたかったのか…」
鈴鹿御前が振り返った。
笑みを浮かべている。
清々しい笑顔であった。
「子供達の声を聞いた時、分かったのだ…」
「私は間違えていた…」
そう言ってまた子供達を見た。
「私は蝦夷で育った…蝦夷の大地に育てられた…」
「今のあの子達と同じように笑っていた…」
鈴鹿御前はその記憶の中で輝きを探している。
「命は輝かねばならぬ…」
真魚がつぶやいた。
今、その輝きを鈴鹿御前は見ている。
「薄暗い山の中で閉じ込めてはいけなかった…」
鈴鹿御前は目を伏せた。
「お主はそのために私に力を貸したのか…」
「それだけではない…」
鈴鹿御前の問いを真魚は否定した。
「その力…盗みに使うにはもったいない…」
真魚が笑っている。
「私の事か…」
鈴鹿御前は驚いている。
「命は輝かねばならぬか…」
真魚の言葉で鈴鹿御前は自らの心に気づいた。
「生きる為とは言え、意に沿わぬ行いは自らを苦しめる…」
「そう言いたいのだな…お主は…」
自らの心を鈴鹿御前は真魚に伝えた。
蝦夷の大地の輝きを今も覚えている。
その輝きの中で暮らした日々は夢の様であった。
「心はそのためにある…」
真魚がそう言った。
鈴鹿御前はその言葉に戸惑った。
一瞬、心が止まった。
そんな気がした。
そして次の瞬間…
その瞳から涙が溢れた。
止まらない。
「そうか…そうだな…」
鈴鹿御前は心にその言葉を刻み込んでいたのだ。
「お主の言うとおりだ…」
鈴鹿御前は空を見上げた。
「あの輝きを作り出したのは私の心だ!」
その空に向かって言った。
その空は蝦夷と同じ空だ。
「それは、私自身の想いだ…」
人は自らが生み出す幻想に縛られる。
だが、それは生きる為の糧となる。
「話は付けてある…」
真魚が鈴鹿御前に言った。
「話…何の話だ」
「蝦夷で阿弖流為が待っている…」
真魚のその言葉を鈴鹿御前は忘れない。
鈴鹿御前の瞳から光が溢れた。
鈴鹿御前は砂浜に崩れ落ちた。
両手で顔を隠している。
肩が揺れている。
波の音がその小さな呻きを隠している。
その肩に真魚がそっと手を置いた。
伝わる波動。
「真魚…」
それ以上は言葉が出ない。
真魚の波動が鈴鹿御前を包み込んでいる。
そして、その手を握りしめた。
「温かい…」
今まで一人で戦って来た。
頼れる者は自分一人だけであった。
そう思っていた。
だが、それももう終わりだ。
真魚の波動が鈴鹿御前の心を解き放った。
「これで、昔のそなたに戻れる…」
真魚のその言葉が、鈴鹿御前の心に広がっていく。
「迎えが来るはずだ…」
真魚が海の先を見ている。
「あれだ!」
真魚が海を指さした。
船が浮かんでいる。
こちらに近寄ってくる。
鈴鹿御前が立ち上がり顔を上げた。
「行けるのだな…」
そして、子供達を見た。
「あの子達と一緒に…」
鈴鹿御前はその希望の船を見つめていた。
続く…