空の宇珠 海の渦 第六話 その十五
美しい星空が見えていた。
田村麻呂はその星を見ながら酒を飲んでいる。
「ぼちぼちか…」
田村麻呂はそれまでの時間を楽しんでいる。
甲賀を抜けた。
二つの川の合流地点に陣を構えた。
河原が数千という兵を抱えるだけの広さを備えていたからだ。
しかも、鈴鹿峠は目と鼻の先だ。
田村麻呂の廻りは布で幕が張られている。
声は聞こえるが、廻りから姿は見えない。
見張りが所々に立って、周辺を警戒している。
だが、兵のほとんどは既に眠りについている。
「!」
風上からいい香りが漂ってくる。
金木犀に似た香りだ。
だが、田村麻呂はその香りを楽しむ前に眠りについていた。
「うぉ!」
眠りについてからどれだけ時間が過ぎたのかは分からない。
強烈な臭いに起こされた。
田村麻呂は思わず鼻を手でさすっている。
だからといって臭いが消えるわけではない。
だが、そうせずにはいられない臭いなのだ。
「相変わらずだな…」
田村麻呂は目の前にいる男に声をかけた。
その横に嵐が子犬の姿で立っている。
「それよりこれは何だ…」
真魚が呆れている。
「何の事だ…」
「この兵の数だ…」
「その事か…」
田村麻呂はまだ鼻を手でさすりながら答えている。
「たかだか女盗賊の一味に、とでもいいたいのであろう…」
「俺もお主と同じ考えだ…」
その事については、田村麻呂自身が呆れているのだ。
「貴族の連中が言うことを聞かぬ…」
「蝦夷の時と同じだ…」
田村麻呂はそう言って星を見ている。
真魚に対する警戒感は全くない。
友と話をしている。
ただの男同士の会話だ。
「山狩りか?」
真魚は兵の数から見てそう考えていた。
「これはお上の決意だ…」
そう言って田村麻呂は真魚に目を合わせた。
「お主は女盗賊と知り合いなのか?」
田村麻呂は、真魚がここに来た事実でそう判断する。
「瓢箪を盗まれた」
「瓢箪?…お主がか!」
真魚の答えに田村麻呂が驚いている。
田村麻呂が知っている真魚は、隙を見せるような男ではない。
物を盗まれることなどありえない。
「ちょっと気を抜いていた、相手が子供だったのでな…」
真魚の言ったことは事実だ。
「子供…子供に盗みをやらせているのか」
田村麻呂の正義感に火がつく。
「やらせているのではない、やっているのだ…」
「やっている…自分から望んでと言うことか…」
腑に落ちない事実に、田村麻呂が考え込んだ。
「子供達は戦で親を失った孤児だ…」
真魚の口から出た言葉は信じられない事実であった。
「世間で畏れられている盗賊が、親のいない孤児?…」
「女盗賊ではないのか?!」
田村麻呂の思考が混乱している。
全てが事実であっても、うまく整理できないとこうなる。
「落ち着け、そうではない」
真魚はそんな田村麻呂を見て笑っている。
「鈴鹿御前はその子供達の面倒を見ている…」
「何…」
次に告げられた事実が、田村麻呂を更なる混乱に陥れる。
「その鈴鹿御前とやらは…盗賊ではないのか…」
完全に回路が混線している。
ここまで兵を引き連れてきた。
だが、女盗賊はいなかった。
しかも、その女は戦で親を失った子供達の面倒を見ている。
「だとすれば、俺は…何をしに来たのだ…」
田村麻呂は頭を抱え込む。
「真魚よ、この男も救えぬな…」
子犬の嵐がとうとう口を開いた。
「犬…犬が喋った…」
田村麻呂は目を見開いて驚いている。
「犬ではない!俺は神だ!」
嵐がそう言うと本来の姿になった。
その波動で幕が激しく揺れる。
「な、なんと…!神だと…」
田村麻呂は開いた口が塞がらない。
「お主に一言言っておくが、阿弖流為と母礼を助けたのは真魚ではない!」
「この俺だ!」
嵐が田村麻呂を威圧している。
「そう言うわけだ…」
真魚がそう言って両手を広げた。
嵐はそれだけ言うと子犬の姿に戻った。
続く…