空の宇珠 海の渦 外伝 祈りの傷痕 その二十七
男の後ろには黒い霧が広がっている。
それが形を取り始めている。
「なんだ、あれは…」
鉄斎が初めて見る闇。
「あの男を変えたものの正体だ…」
「あれが…」
真魚の言葉で鉄斎は思い出した。
あの時のあの男の目だ。
心まで吸い込まれそうだった。
取り込まれてもいい。
生を諦めた恐怖。
「同じだ…」
「あの時、既に取り込まれていたのか…」
鉄斎はそう感じていた。
「あれは、あの男が望んだ姿だ…」
真魚が言った。
「あっ…」
鉄斎は、その言葉で全てを理解した。
「人は光にも闇にもなれる…」
「選ぶのは自分だ」
「そんな…それでは奴が…」
真魚の言葉で、鉄斎が狼狽えている。
「望んでなったと言うのか…」
村人を虐殺をし、我夢と彩音を傷つけた。
気が狂ったものだと鉄斎は思っていた。
そうではない。
奴が選んだ道なのか…
鉄斎の心は揺れていた。
「だが…」
取り込まれてもいい。
闇を見て、そう感じる自分がいる。
ぞくぞくするような興奮がある。
身を投じるとどうなるのか、試したくなる。
だが、それは違う。
闇がそれを求めているのだ。
その代わりに何かを与える。
その者が欲している何かを…
そして、食らう。
その者の心を食らう。
器に込められた生命を貪る。
あの感覚。
震える心に嘘はない。
人はどのようにも生きられる。
光にも闇にもなれる。
真魚の言葉が、事実として目の前にある。
夢幻刀と龍牙。
鉄斎が拵えた光と闇。
我夢とあの男が向き合っている。
「恭栄…お主は…」
鉄斎がその男の名を言った。
あの男、恭栄が抱えた苦しみは、鉄斎も理解していた。
だが、手を差し伸べることはしなかった。
差し伸べる事が出来なかった。
「あの時、俺は死ぬべきだったのか…」
「死ねばお主を救えたのか…」
鉄斎の悲しみも深い。
「お主が救った光が、戦っている…」
真魚の言葉だ。
彩音が祈っている。
我夢のために…
その祈りの波動が、我夢に届いている。
我夢もそれを感じている。
我夢はその祈りを、光に変える。
「ああ…」
鉄斎の目に全て見えている。
悲しみ、苦しみ、憎しみ…
喜び、感動…
そして祈り…
「あるもの全てが尊いのだ…」
真魚がそう言った。
鉄斎はその光景を見ていた。
「ありがとう…真魚殿…」
そして、真魚に感謝した。
理由はない。
そう感じたからだ。
真実に理由はない。
理解ではないからだ。
あるべきものに理由はない。
だから理解もない。
鉄斎の心が震えている。
何かを生み出そうとしている。
鉄斎は今、それを感じていた。
続く…