空の宇珠 海の渦 外伝 祈りの傷痕 その十九
鉄斎の仕事も終わりに近づいていた。
刀は打ち終わった。
今はその刀に土を塗っている。
土置きと呼ばれる作業だ。
この後焼き入れに入る。
そのための前処理である。
だが、これからの作業は経験がものを言う。
始めたばかりの我夢などには、遠く手が及ばない作業だ。
「この土を置いた所が焼き入れの際、温度が低くなる」
「水に入れた時にゆっくり冷える」
鉄斎が我夢に説明している。
「なるほど…」
我夢は考えている。
「どうなるのじゃ?」
鉄斎が我夢に問う。
「違うのは分かるが…」
我夢が考え込む。
「早く冷める方が固くなる…」
鉄斎が助け船を出した。
「だから刃のあたりは塗って無いのか…」
我夢は何となく気がついた様だ。
「誤解をするでない、固いから強いのではない」
「これは人と同じじゃ、意思の固いものが強いのではない」
「固いものはもろい…」
「本当の強さは両方を併せ持つことじゃ…」
「柔と剛は表裏一体…」
「光と影もこれに同じだ…」
鉄斎が言っていることは、全てに通じている。
「この土置きと焼き入れの温度、その取り出しの具合…」
鉄斎は一度刀を作業台から外して手に取った。
「それが全てを決める…」
そう言って土の出来映えを確かめた。
「これでいい」
後は焼き入れを残すだけだ。
まだ気を抜くことは出来ない。
焼き入れに失敗すれば取り返しがつかない。
一からやり直すことになる。
「土が乾いたら焼き入れだ」
鉄斎のその言葉で我夢が緊張する。
もうすぐできあがる。
我夢はそれが待ち遠しい。
刀作りの奥深さを感じていた。
その楽しさを感じ始めていた。
そこに未来を見つけようとしていた。
夕闇が迫ろうとしている。
その日の修行はいつもと違っていた。
なぜなら鉄斎が見ているからだ。
真魚と木刀で睨み合っている。
真魚はいつもの棒を使っている。
「こんな短時間に…」
鉄斎は驚いていた。
鉄斎の常識では考えられない。
鉄斎は師の元で十数年剣術を学んだ。
我夢はたったひと月ほどだ。
我流の修行ではたどり着けない域に、達していた。
『負けるかもしれない…』
鉄斎はそう感じた。
それほど、我夢の剣術の腕は上がっていた。
そして、棒で立ち合う真魚の技に見とれた。
「なるほど…」
真魚の技を見れば、どれだけのものか分かる。
ただ、この技を教えた者が存在する。
それを鉄斎は知りたくなった。
「合格だ!」
真魚が我夢に言った。
「もう教えることはない!」
そう言って真魚は、我夢に真剣を持たせた。
「構えてみろ!」
真魚がそう言うと我夢が真剣を構えた。
離れた場所から真魚が何かを投げた。
早すぎて分からなかった。
だが、同時に我夢の刀をが動いた。
我夢の足下に木の枝が落ちていた。
我夢がその枝を二つに切り裂いていた。
その枝を鉄斎が拾って見た。
「刀を見せてみろ…」
鉄斎が我夢の刀を奪う。
その刃をじっと見ている。
「このなまくら刀でのう…」
鉄斎が笑っている。
「見事だ、我夢!」
鉄斎が我夢を見た。
「自分の未来は自分で決めろ…」
鉄斎がそう言って我夢の肩に手を置いた。
「親父…」
我夢は照れくさそうに鼻を掻いた。
「真魚殿、よくぞここまで…」
鉄斎は真魚に礼を言う。
「仕上げが残っている」
真魚が鉄斎に向かって言った。
鉄斎は真魚の目を見て、笑みを浮かべた。
それを見て真魚が笑う。
「こんな時が来るとは…」
鉄斎は真魚に感謝していた。
その目は既に明日を見ていた。
続く…