初恋半分こ
六時間目の授業の終わりを告げるチャイムがスタートの合図だ。
その後にはホームルームがあるけれど、わたしは頭の中で「早く終われ。早く終われ」と呪文のように繰り返していた。
「うるせえ」
わたしのすぐ前の席のトモが振り向いた。トモは小学校からの男友達で、高校の現在まで腐れ縁絶賛継続中の間柄。
小学生の頃にはわたしの方が身長も高かったのに、いつのまにか抜かされていた。トモは今では男子の背の順の後ろの方だ。その分、座高も高くて前の席にいられると黒板が見えづらくて迷惑している。
「ごめん。口に出してた?」
「おまえ、いい加減に諦めろよ。絶対売り切れてるって。なんだっけ、あれ、失恋ショコラ?」
「初恋ショコラ!」
怒鳴ってやった。トモは人が夢中になっているものを平気で茶化すので、本気で腹が立つ。
「こら、そこの二人、なに喋ってんだ」
担任に怒られた。
「ユウが大声だすから」
「トモが茶化すからでしょ」
「おまえらが仲良しなのはわかったから、ホームルームをさせてくれないかな?」
冗談を言っているはずなのに、担任の目は冷たかった。
早く学校から飛び出したいのに時間をロスしてしまった。
わたしの目的地は高校の斜め前のコンビニ。最終目的はいま一番売れているコンビニスイーツ『初恋ショコラ』
キャンペーンキャラクターに国民的アイドルグループを起用して大々的に発売開始してから一ヶ月。わたしは未だに『初恋ショコラ』にお目にかかったことがない。
放課後になると同時に高校から走り出てコンビニに駆け込んでいるのに、いっつも売り切れで。
誰が買ってんのよ!? 一人で毎日何個も買ってるんじゃないでしょうね!?
買えないわたしは毎日腹を立てていた。
高校の斜め前にあるコンビニは、元々は酒屋だったという。わたしたちが入学する前に店主が代替わりして、酒屋をやめて全国チェーン展開のコンビニに変えたらしい。
酒屋だった頃から一番のお得意様は高校の生徒達で、もちろん生徒に売るのは酒ではなく、昼食の弁当やら放課後につまむお菓子やジュースを数多く取りそろえていたそうだ。
店の出入り口の横にはベンチがあり、それが生徒の憩いの場になっていたという。
そのベンチはコンビニに変わった現在も、変わらず置かれている。
コンビニはお客様万民に平等なので取り置きをしてくれない。
ましてや『初恋ショコラ』は大人気商品。取り置きなんて受け付けたら、どれだけ発注しても足りない。
だからわたしはダッシュして自らの手で掴むしかないのだ。
コンビニに入るとおなじみのキャッチフレーズがアイドルグループのタイアップ曲にのって聞こえた。
『ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』
店内BGMも『初恋ショコラ』一色。なのに買えないとか意味わかんないし!
こんなに宣伝してんだから、もっと作ってもっと売ってよ!
今日も売り切れかな。
期待半分、諦め半分でスイーツの棚を見た。
「あった……!」
一個だけ残っていた。テレビや雑誌の広告で何度も見た『初恋ショコラ』の実物がわたしの目の前に鎮座してあらせられる!
目にも麗しいそのお姿。透明なケースからはショコラケーキの質感がうかがえる。黒いフタに金のリボンが高級感たっぷりで。これで値段は二百円ポッキリ! さすがコンビニスイーツ。庶民の味方。
「ふふっ……ふふ」
われながら不気味な笑いをもらしながら通学カバンから財布を出した。
財布の中身を見て驚愕。百円玉一枚と五十円玉一枚。
「え……うそ」
五十円足りない。目の前にはヨダレが出るほどに欲しかった『初恋ショコラ』があるというのに。
この機会を逃したら次に逢えるのはいつ!?
学校に戻って誰かにお金を借りる? 戻っている間に売り切れになっちゃうよ。
どうしよう、どうしよう。
『初恋ショコラ』を目の前にして、わたしはその場にしゃがみ込んだ。
「いやだねえ、貧民は」
上から声が降ってきた。わたしはしゃがんだまま顔をあげて声の主を思いっきり睨みつけた。
「大富豪のこの俺様が奢って差し上げてもよくってよ」
この野郎。昼休みのトランプゲームの大富豪でボロ負けしたのを根に持ってるな?
わたしは考えた。
この腐れ縁男に意地を張って『初恋ショコラ』を逃すのと、頭を下げて念願のスイーツを口にするのとどちらがよいか。
「大富豪様、どうかこの哀れな貧民に絶品スイーツを!」
「よかよか」
ふん。明日の昼休み覚えてなさいよ。
トモは制服のズボンのポケットから薄っぺらい財布を出した。勝ち誇った顔をしていたのに、財布の中身を見た瞬間に表情が凍りついた。
「……百円しかない」
「この大貧民!」
ゲームの勝敗と同じでやんの。
わたしは立ち上がって手のひらをトモの目の前に差し出した。
「百円ちょうだい。わたしも百円出すから」
「おまえ、俺からなけなしの百円をむしり取って無一文にする気か」
「どうせ百円じゃ缶ジュースも買えないじゃない」
「コンビニのお茶だったら買えますぅ」
「うるさい。早く寄越しなさいよ」
「わかった、わかった、わかりましたよ」
ブツブツ文句を言いながらも、結局わたしの言う通りにしてくれた。
左手で百円玉を二枚握りしめ、右手で優しく『初恋ショコラ』を包んでレジに並んだ。
「スプーンをお使いになりますか?」
「はい」
「二つください」
わたしの返事のあとにトモが続けて言った。
「なんで?」
「半額出してんだ。俺にも半分食べる権利がある」
「さっき奢るって……」
「どうなさいますか?」
少し苛立ち気味の店員の問いかけに、わたしは慌てて改めて「二つください」と答えた。
てっきり一人で食べると思っていたから、家まで持って帰るつもりだったのに。どうしよう。
「ちょうどベンチ空いてるじゃん。ここで食ってこうぜ」
「そ、そうだね」
なにわたしドギマギしてんだろ。
わたしとトモは並んでベンチに座った。いつもは前と後ろに座っているから、横並びは収まりが悪い。
「トモ、甘いの平気だっけ?」
声が上擦った。恥ずかしい。
「ビターテイストのチョコなら食べられる」
「よく知ってるね」
「そりゃあんた、毎日あんだけ騒がれたら、こっちだって興味もちますよ」
ベンチの上に『初恋ショコラ』を直に置くと高さが合わなくて食べづらいので、わたしが手に持った。
「先に食えよ」
「あ、ありがと」
スプーンを袋から出して『初恋ショコラ』の端っこに入れる。ずっしりと密度があって、なかなか下までスプーンが突き刺さらない。でも、しっとり生地とチョコの粘性で、崩さずにすくいとれた。
ぱくり。
おいしーーい。
濃厚なチョコの苦味と甘味が混じり合った味が口の中に広がって口の端がキュッと痛い。
ほっぺたが落ちそうって、きっとこういうことだ。
「トモも食べなよ。とっても美味しいよ」
「あ、ああ」
トモも自分のスプーンを使って『初恋ショコラ』を口に入れた。
「ね? 美味しいでしょ?」
「うん。これで二百円か。安いな」
「一人じゃ買えなかったけどねー。トモが来てくれてよかった」
「俺もユウがいてくれてよかった」
それ、どういう意味?
もう一歩踏み込んできくのが怖くて
「しかもね、カロリーオフなの! スイーツ女子に超やさしいよね」
ごまかした。
「それはどうでもいいけど」
それっきり、わたしとトモは黙って『初恋ショコラ』をかわりばんこに食べ続けた。
小学生からの腐れ縁だから、一つの食べ物を二人で分け合って食べることもあったのに。
こんなに居心地が悪いのは初めてだった。
最後の一口もわたしが食べた。
わたしから始まってわたしで終わったから、わたしの方が一口多い。
それは、もしかしたら想いの量と同じかもしれない。
わたしの初恋は隣の腐れ縁男。
初恋はまだ続いている。
「ユウ」
「なに?」
トモがわたしの顔を覗き込んだ。
「ケーキとぼくのキス、どっちがすき?」
へ……?
トモなにを言っているの?
キスって答えたらキスしてくれるの?
「おい、なに固まってんだよ」
「あ……あ……」
「笑えよ、真似だよ、ほら、キャッチフレーズの。笑うじゃん、いつも、バカじゃないのって」
ああ、いつもの。そうか、いつものね。
「笑えない。全然面白くないし似てないし、真剣なのに茶化さないでっていつも言ってるのに」
唇が震えて歯がカチカチ鳴って止まらない。頬が熱い。耳まで熱い。
「ごめん。悪ふざけしすぎた。そんなに好きだったのか、そのアイドル」
「バカじゃないの!?」
あんたが茶化したのは、わたしの初恋だ!
「本当にごめんって。だってあのCMムカついてさ。あれ見て食いたがってるユウもムカつくしさ」
「なんでよ? そんなのわたしの勝手でしょ」
「あのアイドルグループの誰が相手かわかんねーけど、キス思い浮かべながらケーキ食うなんて許せないし」
「思い浮かべたりしてないし。アイドルグループが好きなんじゃないし。わたしは、ただ食べたかっただけなのに。何でそこまで言われなきゃいけないの!?」
「紛らわしいんだよ!」
「何がよ!? 何を言ってるのか全然わかんない!」
「俺はおまえが好きなんだよ!」
「だったら、あんな悪ふざけすんじゃないわよ! バカーー! 本気だと思ったじゃん!」
……あれ?
勢いで言い返しちゃったけど、いまわたし告られなかった!?
「ねえ、トモ、もう一回……」
「もう言わない。絶対言わない」
言わないとか言って、言ったも同然じゃん。
トモは頭を抱えて自分の膝の上に屈していて、それを見ると笑えてきた。
下手くそなものまねなんかより、全然笑える。
「ケーキとキスどっちがすき? ってさあ。試してみなければわからないと思わない?」
「ケーキは食った」
突っ伏したままなので、トモの声はくぐもっている。
「試してみよっか?」
わたしがそう言うと、トモは上半身を起こした。
「もう少し屈んで。トモは座高も高いんだから」
わたしは、たぶんトモも、半分ずつの初恋が一つになったことに浮かれていて、ここが高校の斜め前のコンビニのベンチであることを忘れていた。