EP 4
テント村のライバル、無職竜人イグニス
正午。太陽が真上に昇り、私の腹の虫が「グゥ~」と盛大な合唱を始めた。
朝食のゆで卵と雑草サラダは、とっくに消化されてエネルギーへと変わっていた。
今の私に必要なのは、炭水化物。それも、ガツンとくる米だ。
私は第8区にある河川敷へと足を運んでいた。
ここには、ブルーシートで作られた即席の住居が立ち並ぶエリア――通称『テント村』がある。
一国の姫である私が、なぜこんな場所に?
「ふふ、アイドルの仕事は『視察』も重要ですものね。国民の生活を肌で感じるのも務めですわ」
建前である。
本当の目的は、このテント村で毎日正午に行われるボランティア団体の『炊き出し』だ。
今日のメニューは、豚汁とおにぎり。
豚肉! 味噌! 白米!
その三連コンボ(トリニティ)は、今の私にとって王宮料理にも勝るご馳走だった。
「並ばなくては……!」
私はスカートの裾を抑えながら、すでにできている長蛇の列の最後尾に滑り込んだ。
周りを見渡すと、職を失ったおじさんや、訳ありの冒険者崩れの人たちが並んでいる。
私は帽子を目深にかぶり、気配を消した。
大丈夫、今の私はオーラのないただの空腹少女。完全に風景に溶け込んでいるはずだ。
列が少しずつ進む。
大鍋から漂う味噌の香りが、私の鼻腔をくすぐり、理性を揺さぶる。
ああ、早く食べたい。温かい汁を喉に流し込みたい。
しかし、私の番が近づいてきたその時、非情なアナウンスが響いた。
「えー、申し訳ありませーん! 予想以上の人出で、残り一人分となりましたー!」
「なっ……!?」
私は絶句した。
私の前には、誰もいない。つまり、私が最後の一人……!
勝利! 神は私を見捨てなかった!
そう確信して一歩踏み出した瞬間、横から巨大な影が割り込んできた。
「悪いな嬢ちゃん。その最後の一食、俺がもらうぜ」
低い、地を這うような声。
見上げると、そこには身長2メートル近い巨漢が立っていた。
燃えるような赤い髪、額から生えた立派な二本の角、そして爬虫類特有の縦に割れた瞳。
竜人族。それも、ただの竜人ではない。全身から隠しきれない強者の覇気(と、どうしようもない哀愁)が漂っている。
「ち、ちょっと待ちなさいよ! 私が先に並んでいましたわ!」
私はとっさに男の腕を掴んで抗議した。食べ物の恨みは海より深いのだ。
「ああん? 俺だって朝から並んでたんだよ。ちょっと鳩を見てて出遅れただけだ」
「鳩!? そんなの理由になりませんわ! レディーファーストをご存じないの!?」
「知るか。今の俺はレディーもジェントルマンも関係ねぇ。ただの『空腹な無職』だ」
男は鼻を鳴らし、切実な目で配給係のおばちゃんを見た。
その目は、獲物を狙う肉食獣のそれではなく、捨てられた子犬のように潤んでいた。
「頼む……おばちゃん。俺にそのおにぎりをくれ……。昨日は水しか飲んでねぇんだ……」
「ず、ズルいですわよその顔! 私だって、朝は雑草とパンの耳でしたのよ!」
私たちは配給テーブルの前で、見苦しい小競り合いを始めた。
配給係のおばちゃんは、困ったように私たちを見比べ、やがてため息をついた。
「もう! 喧嘩しないの! おにぎりは大きいのが一つ残ってるから、半分こにしなさい! 豚汁はお椀が一つしかないから、交互に飲みな!」
「「えっ」」
半分こ。
その提案に、私と竜人の男は顔を見合わせた。
不服だ。満腹になりたい。
でも、ここで拒否すれば二人とも餓死する未来しかない。
「……チッ。仕方ねぇ」
「……わかりましたわ。今回だけ特別ですのよ」
◇
数分後。
私たちは河川敷のベンチに並んで座っていた。
私の手には、半分に割られたおにぎり(梅干し入り)。
男の手には、もう半分のおにぎりと、湯気を立てる豚汁のお椀。
「いただきます……!」
私たちは同時に、おにぎりにかぶりついた。
冷えたお米の甘みと、梅干しの酸味が口いっぱいに広がる。
美味しい。涙が出るほど美味しい。
「くぅぅ……染みるぜ……」
隣の男が、おにぎりを咀嚼しながら大粒の涙を流していた。
あの強面で、屈強な肉体を持つ竜人が、小さなおにぎり一つで泣いている。
その姿に、私は奇妙な親近感を覚えた。
「貴方、お名前は?」
「……イグニス。イグニス・ドラグーンだ」
「私はリーザ。……貴方、見たところ凄腕の戦士に見えますけど、どうしてこんな所に?」
イグニスは豚汁を一口すすり、私に椀を渡しながら遠い目をした。
「……強すぎたんだ」
「はい?」
「俺の必殺技がな、強すぎたんだよ。魔物を倒すと、素材ごと消し炭にしちまう。報酬より武器の修理費の方が高くなるって、パーティーをクビになった」
「ああ……」
なんて不器用な生き方なのだろう。
この男は、才能がありすぎて社会に適合できなかった『持てる者ゆえの弱者』なのだ。
私は豚汁を一口飲み、具の少なさに少し切なくなりながら言った。
「奇遇ですわね。私も……ちょっと才能(アイドル性)がありすぎて、事務所が潰れましたの」
「ほう。嬢ちゃんも苦労してんだな」
イグニスはニヤリと笑い、半分になったおにぎりを一口で飲み込んだ。
「へへっ、悪かったな嬢ちゃん。半分も食っちまって」
「いいえ。一人で食べるより、誰かと食べるご飯の方が美味しいと言いますし」
私たちは、残りの豚汁を交互に回し飲みし、最後の一滴まで味わった。
空っぽになったお椀を見つめながら、イグニスは力強く立ち上がった。
「よし! 食ったら力が湧いてきたぜ! 午後こそ職安で『将軍職』を見つけてくる!」
「……高望みしすぎじゃなくて? 土木作業とかの方が向いてると思いますけど」
「馬鹿野郎。俺の斧は土を掘るためじゃねぇ。世界を切り拓くためにあるんだよ!」
そう言って笑う彼の笑顔には、さっきまでの悲壮感はなかった。
私も立ち上がり、スカートの土埃を払う。
「私も負けていられませんわ。午後は……そう、『投資』の時間ですもの」
「投資? よくわからねぇが、頑張りな」
イグニスは大きく手を振って、職安の方へと歩き去っていった。
その背中は少し丸まっていたけれど、どこか頼もしかった。
私たちは友達ではない。
けれど、同じ底辺を這いずり回る『ライバル』として、不思議な連帯感が生まれていた。
「さて……お腹も(3分目くらいは)満たされましたし」
私は次なる戦場、第4区にある娯楽の殿堂『パーラー・タロウ』へと視線を向けた。
そこには、運さえ良ければお菓子という名の宝石が手に入る、銀色の鉱脈が眠っているのだから。




