EP 3
涙のカツ丼と、残酷な現実
プラスチックの容器に入ったカツ丼。
それは、黄金色に輝く宝石箱だった。
私は割り箸を割り、震える手でカツを一切れ持ち上げた。
煮汁をたっぷりと吸って飴色になった衣。その下の分厚いロース肉。
口へと運ぶ。
「……っ!」
サクッ……ジュワァ……。
衣の香ばしさと、甘辛いダシの旨味、そして豚肉の脂の甘みが一気に広がる。
噛みしめるたびに、脳髄が痺れるような幸福感が押し寄せてくる。
白米をかきこむ。半熟卵が絡み合い、喉越しよく胃袋へと落ちていく。
「おいひぃ……おいひぃですわ……!」
私はボロボロと涙を流しながら、カツ丼を貪り食った。
パンの耳とは違う。雑草とは違う。
これは「料理」だ。人間が食べるための、文化的な食事だ。
「……泣くほど美味いか」
鮫島隊長が、呆れたように、しかし少しだけ同情したような声で呟いた。
私は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「美味いですわ……! こんなに美味しいもの、久しぶりに食べましたの……!」
でも、この涙の理由は、美味しさだけではなかった。
惨めさだ。
ルームメイトの奢りで、しかも取調室で食べるカツ丼。
私の今の立ち位置が、あまりにも情けなくて、涙が止まらないのだ。
◇
「ごちそうさまでした……」
最後の一粒まで米を拾い食べ、空になった容器を置く。
お腹はいっぱいになった。でも、心にはぽっかりと穴が空いていた。
「よし。食ったなら帰れ」
鮫島隊長は立ち上がり、冷たく言い放った。
「今回は厳重注意で済ませてやる。だがな、二度とあんなバカな真似(不審者ムーブ)はするなよ。次は本当にブチ込むぞ」
「は、はい……すみませんでした……」
私は小さくなって頷いた。
出口へと促される。
その後ろを、SWATの制服を着たキャルルさんとイグニスさんがついてくる。
「じゃあね、リーザちゃん! 気をつけて帰ってね!」
「またな、嬢ちゃん。……パンの耳もいいが、たまには肉も食えよ」
二人は笑顔で手を振った。
その笑顔が、今の私には眩しすぎて、直視できない。
「あ、あの……お二人は?」
私が恐る恐る尋ねると、キャルルさんは嬉しそうに答えた。
「私たちはこれから『新人歓迎会』があるんだ! 鮫島隊長が『焼肉』に連れてってくれるんだって!」
「焼肉……!」
そのパワーワードに、私の喉がゴクリと鳴る。
カツ丼の次は、焼肉。
公務員の福利厚生、凄まじい。
「い、いいですわね……楽しんできて……」
「うん! リーザちゃんも誘いたいけど、部外者立ち入り禁止の『作戦会議』も兼ねてるからごめんね!」
「俺も初任給が出たら、何か奢ってやるよ。じゃあな!」
バタン。
重厚な鉄扉が閉ざされた。
私は一人、倉庫の外に放り出された。
夕暮れの港風が、私の頬に残った涙を冷やす。
「……置いてけぼり、ですわね」
カモメの鳴き声だけが響く。
キャルルさんは月給20万円。
イグニスさんも月給20万円。
二人はもう、「持てる者」だ。安定した身分と、焼肉を食べる権利を持つ、社会の勝者だ。
対して私はどうだ?
所持金、銀貨3枚。
職業、自称アイドル(実態はフリーター以下のパンの耳生活者)。
借金、山積み。
「格差社会……! これが、資本主義の壁……!」
シェアハウスで一緒に笑っていても、財布の中身(経済力)の差は埋まらない。
このままでは、いつか二人との会話についていけなくなるかもしれない。
「昨日のA5ランクカルビがさ~」なんて話をされたら、私は嫉妬で狂い死ぬかもしれない。
トボトボと歩き出す。
夕日が私の影を長く伸ばす。
その影が、今の私のように頼りなく揺れていた。
その時。
電柱に貼られた、一枚の紙が風でめくれ上がり、バサバサと音を立てた。
「……ん?」
何気なく目を向ける。
そこには、人相の悪い男の似顔絵と共に、大きな文字が書かれていた。
【WANTED】
【指名手配:凶悪魔導師 ボマー】
【罪状:連続爆破魔導テロ】
そして、その下に書かれた数字。
【懸賞金:金貨10枚(100,000円)】
「…………」
私は立ち止まった。
サングラスをずらし、その数字を凝視する。
イチ、ジュウ、ヒャク……。
間違いない。金貨10枚だ。
パンの耳が何万個買える? 家賃が3ヶ月分払える!
ドクン。
死んでいた私の瞳に、ハイライトが戻った。
カツ丼で満たされたはずの胃袋の奥底から、もっとドロドロとした、熱い渇望が湧き上がってくる。
「……これよ」
私はニヤリと口角を上げた。
焼肉? 安定収入? それがどうした。
私には、一発逆転のチャンス(山)があるじゃない!
「待ってなさい、ボマーとやら……。貴方の首(賞金)は、このリーザ様が頂きますわ!」
私は手配書をバリッと剥ぎ取り、懐にねじ込んだ。
足取りはもう重くない。
獲物を狙うハンターのステップで、私はシェアハウスへと駆け出した。
私には、この街最強の情報屋(植物使い)というコネがあるのだから!




