EP 10
戦慄! 大家リベラの集金タイム
月明かりの下、マンションのエントランスに広げられた優雅なティータイムセット。
そこだけ空気が違う。
まるで王宮のサロンのような気品と、処刑台のような冷徹さが同居している。
大家にして敏腕弁護士、リベラ・ゴルド様は、ソーサーを持ち上げ、ふわりと湯気をかぎながら微笑んだ。
「こんばんは、リーザさん。……夜風が気持ちいい季節になりましたわね」
「あ、あは……そうですわね……リベラ様、こんな夜更けに外でティータイムだなんて、風流ですこと……」
私は引きつった笑顔で後ずさりしようとした。
しかし、背後の自動ドアはすでに閉まっている。退路はない。
リベラ様はゆっくりと紅茶を一口すすり、静かにカップを置いた。
「さて。単刀直入に申し上げますわ」
彼女の視線が、私の膨らんだお腹と、少し軽くなった財布に向けられる。
「本日は月末。お家賃の支払期限です。……404号室の分、金貨3枚(3万円)。当然、ご用意できておりますわよね?」
金貨3枚。
その言葉が、鉛のように重くのしかかる。
私は震える手で、ポケットの中のガマ口財布を握りしめた。
中身は、銀貨3枚と、銅貨数枚。
今日の路上ライブで稼いだ全財産から、さっきの女子会費用を引いた残りだ。
日本円にして、およそ3,000円ちょっと。
……足りない。
10分の1しか、ない。
「あ、あの……その件につきましては、少々ご相談が……」
「相談?」
リベラ様が小首を傾げる。その拍子に、テーブルの上の電卓がカチャリと鳴った。
「まさかとは思いますけれど……『ない』なんて仰いませんわよね? 先ほど、楽しそうにファミレスから帰ってらしたのを拝見しましたけれど?」
「ひぃっ!?」
見られていた!
私の豪遊が、全て監視されていた!
「そ、それは! 将来への投資と言いますか、交際費と言いますか! 必要な経費でして!」
「経費。なるほど。……で、残金は?」
「ぎ、銀貨3枚……です」
私が蚊の鳴くような声で答えると、リベラ様の笑顔が一瞬で消え、能面のような無表情になった。
周囲の気温が5度くらい下がった気がする。
「……はぁ。困りましたわね」
リベラ様は懐から手帳を取り出し、サラサラと何かを書き始めた。
「契約書第8条。『家賃の滞納が発生した場合、甲(大家)は乙(借主)に対し、任意の労働による代物弁済を命じることができる』……」
「ろ、労働……?」
「ええ。ゴルド商会では現在、北の海域で人手が不足しておりまして」
リベラ様はニッコリと笑った。その瞳は笑っていない。
「マグロ漁船ですわ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
マグロ漁船。
それは借金まみれの敗者が送られるという、極寒の監獄。
荒れ狂う波。凍りつく甲板。休みなく続く重労働。
一度乗れば、借金を返すまで半年は陸の土を踏めないという伝説の……!
「い、嫌ですわぁぁぁッ!!」
私は叫んだ。
そんなところに行ったら、アイドル復帰どころか、私の肌は潮風でボロボロになり、手は魚臭くなり、パンの耳すら食べられない身体になってしまう!
「お慈悲を! お慈悲をくださいリベラ様ぁぁッ!!」
私はプライドも何もかも投げ捨てた。
キャルルさんの「音速」をも凌駕するスピードで、その場に崩れ落ちる。
ザザァァァッ!!(スライディング音)
膝を擦りむくのも厭わず、コンクリートの地面に額を擦り付ける。
これぞタロウ国古来より伝わる最上級の謝罪魔法――『土下座』!!
「お願いします! マグロだけは! マグロだけは勘弁してください! 必ず払います! 出世払いで! 私がドームツアーを成功させた暁には、このマンションごと買い取ってみせますからぁぁッ!!」
「あら、綺麗なフォームですこと」
私の必死の懇願を、リベラ様は冷ややかに見下ろした。
「ですが、夢物語ではお腹は膨れませんし、固定資産税も払えませんのよ?」
「ううっ……!」
絶体絶命。
私の目から涙が溢れ出し、地面にシミを作る。
その時だった。
「あのー……リベラさん?」
今まで黙って見ていたキャルルさんが、気まずそうに手を挙げた。
「リーザちゃん可哀想だし、今月分、私が貸そうか? こないだSランクモンスター倒して臨時収入あったし」
「えっ!? キャルルさん!?」
天使! ここに天使がいた!
私が顔を上げると、さらにルナさんが杖を構えた。
「そうですわ。お金がないなら作ればいいのです。……『物質変換』!」
カッ!
ルナさんの杖が光り、道端の石ころが黄金の塊へと変化した。
「はい、リベラ様。純金ですわ。これで足りまして?」
「ル、ルナさん!? あなた神様ですの!?」
救世主たちよ!
私は二人に抱きつこうとした。
しかし。
「――お待ちになって」
リベラ様の声が、鋭く響いた。
「キャルルさん。友人間の安易な金銭の貸し借りは、人間関係破綻の元です。彼女のためになりません」
「うっ、ごもっとも……」
「そしてルナさん。……この国で許可なき錬金術による貴金属の生成と行使は、『通貨偽造罪』に問われますわよ? その金、3日で石に戻りますわよね?」
「あ、バレました?」
リベラ様はため息をつき、私に向き直った。
「甘えは許しません。ですが……」
彼女は私の前にしゃがみ込み、一枚の紙を差し出した。
「今回は、この『誓約書』にサインをすることで、マグロ漁船は免除して差し上げます」
「せ、誓約書……?」
内容はこうだった。
『滞納分は翌月に合算し、年利15%の利息を付して支払うこと。また、完済するまで毎日エントランスの掃除とゴミ出しを行うこと』。
……厳しい。
でも、海に沈められるよりはマシだ!
「書きます! サインしますわ!」
私は震える手でペンを取り、サインをした。
拇印を押し、リベラ様に差し出す。
「契約成立ですわね」
リベラ様は満足げに頷き、ようやく聖母の微笑みに戻った。
「それではリーザさん。明日からのお掃除、期待しておりますわよ? ……あ、それと」
彼女は去り際に、テーブルの上にあったバスケットから、焼き菓子を一つ取り出した。
「これ、試作品のスコーンです。……パンの耳よりは栄養があると思いますので、お夜食にどうぞ」
「えっ……」
ポン、と私の手に温かいスコーンが置かれた。
バターの良い香り。
リベラ様はティーセットを片付け、優雅に1階の事務所へと消えていった。
◇
「た、助かった……」
私はその場にへたり込んだ。
全身から力が抜ける。
借金は増えた。掃除の仕事も増えた。
でも、私はまだこのマンションにいられる。この仲間たちと一緒にいられる。
「ほら、立ってリーザちゃん。部屋に戻ろう?」
「お茶を淹れますわ。そのスコーン、半分こしましょう」
キャルルさんとルナさんが、私の両脇を抱えて立たせてくれた。
二人の温かさが身に染みる。
404号室のドアを開ける。
明るいリビング。ふかふかのソファ。
ここが私の、現在の城。
「……ふふっ」
私は手の中のスコーンを見つめ、涙混じりに笑った。
貧乏だ。借金まみれだ。
でも、不思議と不幸ではない気がする。
最強の大家と、最強のルームメイトたち。
そして、いつか必ず叶えるアイドルの夢。
「見ていてくださいまし……! 私、絶対に這い上がってみせますわ!」
私はスコーンを一口かじった。
ほろ苦くて、甘い。
それは、ちょっぴり大人の、青春の味がした。
元人魚姫リーザの、太郎国でのサバイバルアイドル生活は、まだまだ始まったばかりなのだから!
(第一部・完)




