episode 08|分析
「──まじかよ……。」
俺は数字を睨みながら、ごくりと喉を鳴らした。
何をやっても微動だにしなかったMESU値が、今は『8』を示している。
心臓が不意に跳ね、頭の中がぐるぐると回る。
喜びと困惑、そして、どこか不安な感覚が入り混じる。
「……本当に、上がってる。」
フィリアも信じられないといった様子でペンダントを覗き込む。
その碧い瞳は、浮かび上がる『8』を理解しようとするかのように揺れ
何度も焦点を合わせ直していた。普段の冷静さが消え、ぽかんと口を開けたまま固まっている。
フィリアがこんな表情をするのは珍しい。
「なんで上がったんだ……?」
思わず口に漏れた疑問。
あれほど何をしても上がらなかったMESU値が
──どうして今になって動いたのか。
俺たちはしばらくその場で立ち尽くす。
街の喧騒が遠くなって、二人でただ数字を見つめるだけの時間が流れた。
胸の奥では、期待と不安が妙な渦を巻いている。
「……こうなったら、とにかく整理するしかないね。」
フィリアの声で意識が戻る。
分析モードに入ったときの、いつもの頼もしさが戻ってきていた。
俺もうなずき、今日の出来事を順に思い返してみる。
まず、フィリアが「私がご飯作ってあげようか?」と言ってくれたあの瞬間。
料理に不安はあったけど……それ以上に、少し嬉しかったのは事実だ。
二人で買い物に出かけ、夕飯の食材や調理器具を揃えた時間。
あの何気ない行動の中にも、何か要因が潜んでいる可能性もある。
そして帰り道。足元のタイルに気づかず、つまずきかけたあの時――。
さらに、あの金髪の男に助けられた場面。
突然のことに驚き、助けられたことに感謝した。
それだけじゃない。認めたくないが、少し嫉妬も……。
最後に、駆け寄ってきたフィリアが「大丈夫?」と声をかけてくれたあの瞬間。
あの優しさは不思議と胸の奥を温かくした。
……そのどれかがMESU値の上昇につながったのかもしれない。
だが、今の俺には判断材料が少なすぎる。
「……全部かもしれないし、どれか一つかもしれない。」
ため息が出る。頭の中をいくら探っても答えは出てこない。
ただ一つ確かなのは――数字は今「8」。
ほんの少し前まで「0」だったという事実だ。
「とりあえず宿に戻ろう。」
俺が提案すると、フィリアも頷いた。
二人で街を抜け、夜道を歩く。
街灯の明かりが揺れ、影が長く伸びる。
歩きながらも、俺の心臓はまだ落ち着かなかった。
宿に戻ると、荷物を置いて向かい合って座る。
気になって仕方ない。まずは、今日あったことの整理と検証だ。
「……修行が終わった時点では、確かに数値は0だった。
となると――帰り道に“何か”があったはずだ。」
俺の言葉にフィリアも頷く。
匂い、音、触覚、視覚、感情……五感のどれかが影響したのかもしれない。
しかし、まだ明確な答えは見つからない。
「とりあえず、数値の変化は記録をとっておいた方がいいよね。」
フィリアの言葉に合わせて、俺はペンダントを手に取る。
表示は今、『5』まで下がっていた。
上がったのを見てから三十分ほど経つ。
今の数値を見る限り──どうやら十分ごとに1ずつ落ちているらしい。
「そういえば、スキルカードには変化あった?」
フィリアの視線に促され、俺は懐からスキルカードを取り出す。
その瞬間、違和感に息をのんだ。
――裏面に、知らない文字が刻まれていた。
――『二刀流I』――
「二刀流I……?なんだこれ!?」
驚きのあまり、声が裏返る。
フィリアも息を呑み、そっとカードに顔を寄せた。
「……ほんとに、変わってる……。
これ、『二刀流I』って……祝福が発動してるってこと、だよね……?」
気になる。すごく気になる。だけど――もう夜は遅い。
……が、ここで気づく。
「……待て、消えたら困るな。」
もしMESU値が下がって祝福が消えたら?
そんな不安が胸をよぎり、俺は勢いよく立ち上がる。
「確かめてみるしかない…か。」
剣を手に取り、部屋の隅で構える。
「……レイ、無理しないでね。」
「大丈夫。ちょっとだけだ。」
深呼吸し、右手の剣を振る。続けて左。
空気を裂く音、腕に伝わる振動、刃筋の通り
――どれも、いつもよりずっと自然だ。
二刀の連携が、まるで最初から一つの武器だったみたいに噛み合う。
そして確信した。
「……ははっ、なんだこりゃ。」
驚きのあまり、思わず笑いが漏れる。
刃が吸い付くように走り、身体が勝手に最適なフォームを取る。
「すごい……。」
フィリアも目を見開き、こちらをじっと見つめる
――次の瞬間、彼女の瞳が変わった。
虹彩の碧が静かに沈み、瞳孔の黒がじわりと碧を飲み込むように広がる。
色が混ざるのではなく、滑らかに入れ替わる。
水面に落ちた光が裏返るような、不思議で吸い込まれそうな動きだった。
完全に反転すると、
中心に淡い碧、外側に深い黒――普段と正反対の瞳がそこに現れる。
点眼通が発動した証だ。
反転した瞳が俺の動きの一つ一つを追うたびに、
碧と黒の境界がかすかに揺れ、光の反射さえ違って見えた。
その視線には、
人ならざる“見通す力”が宿っているようだった。
「……うん……やっぱり、力じゃない……。
通り道が……綺麗すぎる……」
「マナが……揺れてない……? どうして……こんな……」
完全にスイッチが入ったフィリアは、もう手が付けられない。
机からメモ帳をつかんでは殴り書きし、次の瞬間には
俺の足運びを至近距離で覗き込み、またペンダントへと視線を猛スピードで戻す。
碧眼が反転するたびに呟きは加速し、興奮が限界を突破していく。
「……軸のぶれゼロ……? ううん、でもさっきの連携は……」
「マナが揺れないなんて……どうして……? いや、考えられるとしたら……」
――このままじゃ、夜明けまで止まらない。
俺は小さく息を吸い、冷静に判断する。
フィリアの分析モードは、良くも悪くも“暴走”する。
放っておけば寝食を忘れかねない。
仕方ない。ここで区切りをつける。
俺は剣を構え、床を踏みしめ、一閃――。
部屋に鋭い音が響き、空気が震えた。
「……っ!」
その瞬間、フィリアの独り言がぴたりと止まる。
反転していた瞳の色もすっと元の碧へと戻っていった。
「これで終わりだ。遅いしな。」
しばし呆然としたあと、フィリアはまばたきを数度繰り返し
――ようやく、戻ってきた。
「……あ……い、今、わたし……もしかして……」
自分が暴走していたと気づいたらしい。
フィリアは気まずそうに頬を押さえ、視線を逸らす。
「……ごめん。ちょっと……入り込みすぎちゃってた、かも……」
照れたように指先をこすり合わせるフィリア。
その小さく縮こまった仕草は、さっきの分析モンスターとはまるで別人だ
「まあ……いつものことだしな」
俺は苦笑しながら剣を置き、フィリアの隣を軽くとん、と叩いて座るよう促す。
フィリアは小さく「あ、うん……」と呟き、とことこ席に戻ってきた。
椅子に腰を下ろすと、ようやく部屋の空気が落ち着きを取り戻す。
「よし、じゃあ……落ち着いたところで。何かわかったことは?」
俺が身体を少しフィリアの方へ向けて尋ねると、
フィリアはペンダントを胸元でそっと握りしめ、真剣な表情で頷いた。
「まず間違いなく、『二刀流I』が発動してると思う。」
フィリアの言葉に俺は頷く。
さっきの動きを思い返すと、どう考えても普通じゃなかった。
「あの時の剣の感触……明らかに今までと違った。動きが軽かったんだ。」
フィリアは目を細めて俺を見つめる。
「でもね……まだ効果の全容はわからないの。今日の試し切りだけじゃ判断できない部分もあって……」
フィリアはカードとペンダントを交互に見比べ、小さく息をついた。
「ほかに分かったことはあるか?視てたんだろ?」
俺が尋ねると、フィリアはそっとペンダントを手に取る。
「うん、少しだけね。……大したことは分からなかったんだけど……」
「いや、それでも十分だ。今は小さな情報でも手がかりになるからな。」
フィリアはこくりと頷き、続けた。
「まずね……おかしいと思ったのは、魔法を使った時に起きるはずの“マナの乱れ”が、まったく無かったことなの。」
「そうなのか?俺はてっきり乱れに乱れまくってると思ってたが……」
俺の魔力コントロールは壊滅的だ。
初級魔法ですら火は火花だけ、水は少し揺れるだけ
――まともに成功した試しがない。
それなのに、乱れが“ゼロ”だと?
「……まさか。俺の魔力コントロール、急に覚醒したとか?」
「ううん、それは考えにくいかな。」
即答するフィリアに、俺は思わず眉をひそめる。
「いや即答すんなよ……。少しくらい考えてくれてもいいだろ……。」
拗ねた俺に、フィリアは気まずそうに微笑む。
「えーっと、意地悪で言ってるわけじゃなくてね……。ちゃんとした根拠があるの。」
そう言って彼女はペンダントに視線を落とし、指でそっと撫でる。
「私が点眼通で視た限り、あの時……周囲のマナが“全く動かなかった”の。
どんなに完璧にコントロールしても、魔法を使う瞬間には必ず小さな変化が起き
るはずなのに……」
つまり、フィリアでさえ絶対に起こらない現象。
だから俺の魔力コントロールが覚醒した可能性は、ほぼゼロ――。
「なるほど……大体は掴めてきた。
だったら、マナの乱れがまったく無かった理由は――」
俺が言いかけると、フィリアはそっと指を立てて静かに続きを引き取った。
「うん、考えられるのは…二つだけ、かな。」
そう前置きして、少し神妙な顔つきになる。
「まず一つめは……レイが“魔力を使っていなかった”可能性。」
「魔力を使っていなかった?」
思わず聞き返すと、フィリアはこくんと頷いた。
「うん。魔法を使ってるように見えて、実際には“マナそのものに触れていなかった”ってことだね。そうなら、乱れが起きないのも当然…かな。」
もっともらしいが――俺にとっては衝撃的でもある。
(魔力を使わずに、魔法の効果だけ出てる……?)
フィリアは指先でペンダントを軽くつつき、続けた。
「そして、もうひとつ。これは……ほんの少しだけ
可能性がある“かもしれない”ってくらいなんだけど。」
その声は小さく、どこか躊躇いがあった。
「魔力は確かに使ってたけど……レイの中で、“人知を超えた何か”が働いて、
マナの流れまで綺麗に整えちゃった可能性。」
「人知を超えた……?」
「うん。普通の人じゃ、どうやってもできないこと。私でも、絶対に無理。」
その言葉には、嘘がなく、ただ淡く震えるほどの真剣さがあった。
「でも……もし、それが起きてたとしたら……
“二刀流”がもたらす祝福が、想像以上に――規格外なのかもしれない、って。」
フィリアはそこで言葉を区切り、俺の様子をそっと伺うように目を上げた。
フィリアの言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっとつままれたような感覚がした。
「……人知を超えた、何か……?」
自分の口から出た声が、少しだけ震えているのがわかった。
そりゃそうだ。そんな大層な話、急に受け止められるわけがない。
魔力もロクに扱えず、初級魔法ですら火花を散らすだけの俺が――
“人知を超えた力”なんて、どう考えても場違いだ。
「い、いやいや……それはさすがに無いだろ。
だって俺だぞ? 魔法の“ま”の字もまともにできない男が
――そんな規格外の力なんて……」
否定しようとするのに、言葉が途中で弱くなる。
否定しきれない理由がひとつ、はっきりあった。
――今日、実際に動けたからだ。
あの軽さ。あの自然さ。
自分の身体が、自分の意図より先に動くような感覚。
刃が吸い付くみたいに軌道に乗るあの妙な感触。
考えれば考えるほど、背筋に冷たいものが走る。
だが同時に、胸の奥で小さな炎のようなものが灯るのも感じる。
(……なんだこれ。怖ぇのに……ちょっとワクワクしてるのか、俺。)
そんな自分に気づいて、余計に混乱した。
フィリアはそんな俺の心の揺れを感じ取ったのか、そっと微笑むように視線を和らげた。
「レイが怖いって感じるのも、嬉しいって思うのも、どっちも普通だよ。
だって、今起きてることは……“普通じゃない”んだもん。」
その言葉は、不思議とまっすぐ胸に届いた。
「……じゃあ、結局どっちなんだ。
魔力を使ってなかったのか……それとも、本当に何かが起きてたのか。」
俺が問いかけると、フィリアは少しだけ考え込み――小さく首を振った。
「どっちも“ありえる”けど、どっちも“断定できない”かな……。
でもね――両方とも、『二刀流I』が関わってる可能性は高いと思う。」
その言葉だけが、鮮やかに残った。
二刀流。
十三年越しに手に入れた、俺の夢のスキル。
それが、予想もしなかった形で俺に影響を与え始めている――
そんな実感が、ゆっくりと胸の奥に染み込んでいくのを感じた。
……と、そのとき。
……カサッ。
窓の外。ほんの一瞬、白い“ふわり”とした影が横切った。
雪のように白く、丸く、小さな羽ばたき。
小さな黒い瞳が、こちらを覗いたようにも見える。
(……?)
俺は何か気配を感じて、一瞬だけ振り返る。だが、そこには何もいない。
ただ、夜風がカーテンを揺らし、遠くでかすかに“チチッ”と小鳥のような鳴き声がしただけだった。
「どうかしたの?」
フィリアが不思議そうに首を傾げる。
「いや……気のせいだ。なんでもねぇよ」
俺は首を振り、カーテンを閉じてベッドへ向かう。
その後ろで、窓の外の欄干に、雪のかたまりのような小さな影がそっと身じろぎした。
そして。ふわり、と。
ほとんど音も立てずに夜の闇へ溶けるように飛び去った。
俺もフィリアも、その存在にはまだ気づかない。
けれど――
それは確かに“二刀流の祝福”とともに現れた、小さな兆しだった。




