episode 07|変化
あれからしばらく試行錯誤してMESU値を上げようとしたが、結局変化はなかった。しかし、俺たちの足取りは決して重くなかった。むしろ緊張や不安があった行きよりも軽かったように思える。そんな中、フィリアが機嫌よさそうに口を開く。
「ねぇ、今日はお店じゃなくてさ…私がご飯作ってあげようか?」
「なんでまた急に。どういう風の吹き回しだ?」
フィリアは普段、紅茶に合わせたスイーツ作りをする。紅茶の種類に合わせて出てくるスイーツも変わり、かなりのこだわりを感じられる。しかし、「飯」となると話は違う。これまでフィリアが食事を作ったのは、十年以上一緒にいても指で数えられるくらいしかない。
本当に作れるのか?そう思わずにはいられなかったが、フィリアは楽しそうにメニューの話を続けるので、今回は任せることにした。
今日は二刀流記念日だから店じゃなくて手料理をふるまってあげるだとか、何が食べたいだとか、あれを買って帰らなきゃだとか、そんな他愛のない話をしながら歩いていると、俺は急にバランスを崩し、転びそうになる。見ると足元のタイルの一枚がわずかに浮いていたのが分かった。そこに足をひっかけたと理解した時には既に手遅れだった。買い物をしたため、両手は荷物でふさがっており、受け身を取ることもできず、そのまま地面に叩きつけられる…そう思っていたが、いつまで経っても痛みを感じることはなかった。
「痛っっ…たくねぇ??」
恐る恐る目を開けると、俺はまばゆい金髪の男に抱きかかえられていた。
「お怪我はありませんか?」
男はそう言いいながら俺を地面に下ろす。澄澄んだ青い瞳が俺を見つめ、誠実さが滲み出る微笑みを浮かべていた。
「え、ああ。大丈夫だ。助かった、ありがとう」
男の手がまだ俺の腰に触れていることに気づき、少し緊張が走ったが、それを振り払うようにして顔を上げた。男の金髪は陽光を受けて輝き、まるで神話の英雄のようだった。鍛え抜かれた体からは、常に鍛錬を欠かしていないことがうかがえる。身長も高く、見上げないと顔が上手く見えないくらいだ。
「では私はこれで。足元には気を付けてください」
「あっ、はい!ありがとう…ございました…」
男はそう言うとこの場を後にした。俺はあまりの出来事に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。なにせ敬語が出てしまうくらいだ。それくらいインパクトのある出会いだった。
「腕、すげぇ太かったな…」
俺は記憶を頼りに、自分の腕と比べてみる。俺も毎日剣を振っているため、けっして細くはない。むしろ一般的には太い部類に入るだろう。しかし、あの男の腕はそれをはるかに凌駕する腕の太さだった。それに加えてあの顔立ち…
「モテるだろうなぁ…」
生まれてこの方、恋人などできたことがない俺には縁のない話だが、少し羨ましいと思ってしまう。あの男なら一生女には困らないだろう。俺もあんな顔立ちだったらなぁ…などとあり得もしないことを考えてしまった。
「レイ!大丈夫!?怪我はない!?」
先ほどの金髪の男に助けられた場面はフィリアも見ていただろうが、呆然と立ち尽くす俺を見てフィリアが心配そうに駆け寄ってきた。
「あぁ、大丈夫だ。さっきの人が助けてくれたから。」
そう言いながら、俺は力こぶをつくって無事であることを伝える。だが、浮き出た筋肉をあの男の腕と比べると、あまりに貧相に思えてしまった。その瞬間、情けなさと悔しさが同時にこみあげる。向こうの方が生物的に男として「上」であることを理解らされたような気がした。もちろん、助けてもらった身として感謝している。けれど、どうにも言い表せないもどかしい感情が胸をくすぐる。
「レイ…?本当に大丈夫?」
そう告げると同時にフィリアは俺の顔を覗き込んでくる。整った顔立ちの中で、少し眉を寄せた目元が心配そうに輝いていた。
「だ、大丈夫だって!フィリアは昔から心配性だなぁ。」
実はさっきの男の筋肉に嫉妬してました!ただ助けてもらったから感謝もしてます。このやるせない気持ちはどうしたらいいんだ!って考えてました!……なんてフィリアにいえるはずもなく、とりあえずフィリアが心配性であることを話題に出してみる。
「そりゃ心配するよ!レイってば、時々おっちょこちょいだし…それに両手もふさがってたしさ?」
無事だと分かると、フィリアは体をこちらに向けたまま後ろ歩きしながら、小言をつぶやき続ける。昔からこうだ。自分が怪我した時や風邪をひいた時は「心配するな」と言うくせに、俺のこととなると過保護すぎるくらいに気を回してくる。まったく、お前は俺の母ちゃんかよ。そんなことを思いながら宥めていると、フィリアがふと顔を上げて話題を変えた。
「そういえば、さっきの男の人、すごく大きかったね! 冒険者…いや、騎士様かも?」
フィリアは小首をかしげながら俺を見上げ、ぱちぱちと瞬きをする。その表情は好奇心に満ちていて、まるで子どもが新しいおもちゃを見つけたときのように無邪気だった。胸の奥がほんのりざわつく。嫉妬ほどではないが、ちょっとした疑問と意外さが混ざった、奇妙な感覚だった。
「──もしかして、ああいう男が好みなのか……?」
「──へ?」
「……あ。」
つい無意識に口から漏れてしまった。咄嗟のことで、思わず顔が熱くなる。
フィリアは首をかしげ、きょとんとした表情でこちらを見上げる。ほんの少し口元に笑みを浮かべているのが、余計に胸の奥をざわつかせる。
「いやっ!その、これは違うんだ!そういう意味じゃなくて──」
慌てて手をばたつかせ、頭をかきむしりながら言葉を繋ごうとする。心臓が跳ねるように早くなるのが分かる。すると、その動きに合わせて、首から下げたペンダントが服の中からひょいと飛び出した。邪魔だとは思ったが、二刀流の鍵になるかもしれない大事なアイテムなので、肌身離さず持っておくことにしていたのだ。
「あはは。そんなに慌てなくてもいいのに。私も急だったから驚いただけだよ。」
そう言うとフィリアはあまり気にしていないかのように歩みを進める。──くそ、なんであんなに自然に笑えるんだ……。俺はまだ顔が熱いまま、ペースを合わせて後ろをついていく。心臓がまだバクバクしているのに、フィリアはまるで平然としている。
「あ、そうだ!そういえばさ、レイって──。」
フィリアは言いかけて、くっと言葉を飲み込む。首をかしげ、ちらりと胸元のペンダントに目をやった。
「──レイ、MESU値が…」
フィリアの声は驚き混じりで、でもどこか興味津々な感じだった。
俺も思わず目を見開いた。画面に浮かんだ数字を見て、思わず息を呑む。
────【MESU 08】────