0094ラグネと魔王05(2162字)
魔王アンソーは一計を案じた。人間には感情というものがある。それをつついてみよう。
そうして彼は、みこしを担ぐ怪物たちに前進を命じた。奥義『ゾイサー』を使って、『奴』を連れてくるのだ。
「いけーっ、どんどん押してけーっ!」
騎馬にまたがりながら、勇者ファーミは一向前線に出ず、安全な後方から指揮していた。ひたすら前進を命じる声に、さすがの熱狂的な勇者信者たちも辟易している。
「ひょっとして勇者ファーミさまって、弱いんじゃ……」
「あの斬れないものはないといわれる、『勇者の剣』も、このままじゃ単なる宝の持ち腐れだ」
「俺たちは勇者の捨て駒じゃないぞ……!」
周囲からのジト目を浴びて、少しファーミも居心地が悪くなってきた。隣に馬を並べる手下・コダインに小声で相談する。
「そろそろ俺たちも前に出るか?」
ご主人さまと意を一にする腰ぎんちゃくは、大きくうなずいた。
「なに、ファーミさまはおでが必ずお守りします! 行きましょうぜ」
「よ、よし。頼んだぞ」
意見がまとまったところでファーミは大声を張る。
「よーし、この勇者ファーミさまの格好いいところを見せてやる! いくぞっ!」
そのときだった。肺腑に響く爆音のような声がとどろき渡ったのは。魔王だ。
「聞け人間どもよ! お前らの希望の少年はあのとおり、我が手中にあるぞ!」
彼は天を指差す。その先を辿った人々は、最前線の真上に運ばれてきた人物を見上げることとなった。
「ラグネ!」
コロコが仰天して叫んだ。ラグネは見えない球のなかから、張り付くように眼下へ訴える。
「すみません、みなさん! 僕、敗れたみたいです!」
その言葉に、ファーミは顎が外れそうになるぐらい口を開けっ放しにした。
「ラ、ラグネが負けただと!?」
彼は意気阻喪に陥り、馬頭を180度回転する。後はもう知らない、とばかりに逃げ出した。
「ま、待ってください、ファーミさま!」
コダインもその後を追う。冒険者たちは一斉に恐怖した。
「おいおい、勇者さまが逃げ出したぞ!」
「……ってことは、このいくさは……」
「負けだ、負け!」
「命あってのものだねだ! 俺たちも逃げるぞ!」
今まで冒険者たちを支えていた精神的支柱が折れ砕け、前線が潰走し始める。ここぞとばかりに魔物たちが威勢を増した。
人間たちの最期はいずれもむごい。巨大な蛇に銜えられ飲み込まれる。骸骨剣士にめった刺しにされる。炎の吐息で焼き殺される。落雷の魔法で感電死させられる……
そんななかでもコロコは、宙に幽閉されているラグネを助け出す方法ばかりを考えていた。
「どうすれば、あそこからラグネを取り返せるの……?」
熊の化け物がコロコに襲い掛かる。不意を衝かれた彼女は、自分に迫る爪を呆然と眺めた。
だがそれはコロコには届かない。ヨコラが長剣で熊の腕を斬り落としたからだ。
「コロコ、何やってる! 戦場で立ち止まるな!」
「でもラグネが、ラグネが……!」
ヨコラは熊の死に物狂いの攻撃をかわし、至近距離から額を叩き割る。巨体が倒れたところで、コロコに大声で耳打ちした。
「あれはおそらく古代魔法の『ゾイサー』だ!」
「何それ!?」
「かつて神々との争いにあった悪魔が、神を封じ込めるために作り上げたという球状結界の魔法だ。あのなかでは何もできなくなる。何もされなくもなるがな」
翼を生やした獅子が、ヨコラに噛み付こうと跳躍してくる。それをスカッシャーが大剣で一閃した。獅子は真っ二つになる。
「がははは! 古代魔法とは凄いな! そうなると球状結界を解呪するには、術者を倒すか、より強い術者の働きかけが必要だろうな」
ヨコラがうなずく。
「術者が魔王ならもうどうしようもない。魔王より強い術者なんて人間側にはいないし、魔王はたぶんもう前線には出張ってこないだろうからな。とにかく……」
コボルドを斬り捨てた。コロコをひょいと肩に担ぎ上げる。
「きゃっ! 何すんのよ、ヨコラ!」
「逃げるぞ! ファーミの馬鹿のおかげで冒険者軍はもう駄目だ! スカッシャーもひとまず下がれ! 孤立してしまうぞ!」
冒険者たちは全戦線において崩れていった。ラグネはそのさまをただただ悔しく見下ろすほかない。
「みんな……! 僕のせいだ。僕が捕まってしまったから、みんなが酷い目にあってるんだ」
ラグネは球状結界を力いっぱい殴打した。
「くそっ、破れろ、くそ……っ!」
だが拳が痛くなるばかりで、ひび割れひとつ入らない。それでも殴り続けると、第三関節の皮膚が破けて出血した。
「痛い……!」
涙が目ににじむ。眼下では今でも魔物たちの人間殺戮が止まらなかった。ラグネはとうとう泣き出して、ただひたすら胸のうちで謝り続ける。
ごめんなさい。僕が至らないせいで……
ラグネが号泣し続けていた、そのとき。
「何だあれは!?」
「ひ、人が飛んでる! 魔法か!?」
「いや、翼だ! 金色の羽で羽ばたいてる!」
それら冒険者たちの声が鼓膜を叩き、ラグネははっと息を呑む。面を起こして見てみれば、ふたりの男女がこちらへ飛翔してきていた――黄金の翼を広げて。
「えっ!? えっ!?」
男のほうが、手にしている三叉の槍を軽く振った。三叉戟というやつだ。その先端がすれ違いざまに球状結界を傷つける。その途端――
「うわっ!」
檻の球が弾け、ラグネは転落した。そこをすくい上げたのは、分厚い事典のようなものを手にしている女のほうだった。彼女が男に叫ぶ。




