0091ラグネと魔王02(2168字)
「もちろん、大公領への進軍だ。ザーブラの奴めを引き裂くのだ」
そんなことか。魔王アンソーは馬鹿馬鹿しくなった。
新皇帝ザーブラの所領に魔王の軍が進めば、当然メタコイン王国には後ろ盾がなくなる。帝国に反逆するわけだから当然だ。そうなれば周辺国家らがメタコインとの国境にちょっかいをかけてくる可能性がある。そのことを目の前のモグモは失念していた。
愚鈍な男だ。もっとも、そのことには交渉を持ちかけたときから気づいていたが。
「いいだろう。朕の魔物たちも、だいぶ揃ってきたことだしな」
魔王の召喚した魔物は暴走しない。召喚したものが王なのだから当たり前だ。この数ヶ月、ひたすら呼び寄せ続けた魔物は5万にも達した。そろそろ打って出てもよい頃だろう。
それに新皇帝であるザンゼイン大公を殺すのも悪くはない。魔王が歴史の舞台に再登場したことを、華々しい流血でもって全世界に知らしめてやる。
魔王アンソーは酒を飲み干すと、杯を乱暴に投げ捨てた。硬いものが砕ける音が響き渡る。
「では、出陣だ!」
その翌日、魔王は奇怪な魔物たちを率いて西へと進発した。
軍の内容は、大狼、骸骨剣士、大蛇、半人半馬、翼竜、巨人、コボルド、ゴブリン、ホブゴブリン、魔人――まさに悪夢の具現化だった。
その様子を城の窓から眺め下ろしながら、モグモは怖気を震った。
「化け物どもめ……」
半月後、魔王軍は会敵する。それはふたりの人間だった。
いや、本当に人間なのだろうか。なぜなら若いほうは年上のほうを抱え、黄金の翼で空を飛んできたからだ。そして魔物たちから十分距離を取った上で着地した。
魔王は一応『魔法防御』の魔法を自らにかけている。そのうえで部下たちに命令した。
「あの命知らずの間抜けどもを食い殺してやれ」
それにしても、横列で進む魔王軍の重厚な布陣を前に――しかも前衛だけで数万もいるのだ――、ふたりだけで立ち向かうとは馬鹿の極みか。それとも何か策でもあるのか。
楽しみだ。魔王はみこしの上でまずは静観した。
ラグネは初陣を任されて飛んできた――回復役の賢者ハゾンとともに。ハゾンは28歳で、黄色い髪は短く、全身岩でできているようなごつさがある。肩から袈裟のような着物を着ていた。
「た、頼むぞラグネくん。きみがやられたら私も殺されてしまうのだからな」
「だ、だだだ大丈夫ですよ、ハゾンさん」
舌がもつれて言葉にならない。ラグネは心臓が破けそうなほど緊張していた。雲霞のごとく押し寄せる魔物たちを前に、平静でいろというほうがどうかしているというものだ。
ラグネはしかし覚悟を決めた。半泣きになりながら、迫り来る魔物たちに正対する。逃げ場はない。戦って勝つしかないんだ。アーサーさんのためにも……!
心が定まる。ヤケクソめいた決意とともに、ラグネは叫んだ。
「光の矢!」
彼の背後に光がまたたく。そしてそこから、輝く波濤が凄まじい勢いで飛び出した。それは放物線を描いて、豪雨のように魔王軍に降り注ぐ。
『グギャアアア……!』
『ガアァ……ッ!』
『ウゲエェ……!』
魔物たちはこっぱ微塵に打ち砕かれ、問答無用で滅し去られた。
「何だとっ!?」
魔王は驚いて椅子から立ち上がり、その勢いでみこしから転げ落ちた。『光の壁』といってもいいほどのきらめきが、軍の最前列でできあがり、魔物たちを殺していく。空を飛ぶ怪鳥や翼竜、地を這う巨大ムカデや闊歩する巨人、そのほかすべての異形の生物が、なすすべもなく倒されていった。
「ひ、引けっ! いったん退くのだ!」
その怒鳴りは部下たちの安全を企図したからではない。召喚した魔物は対等の存在ではなく、王の命令に従って死んでいくべき手駒だった。
だがこの勢いで魔物たちを撃ち減らされては、今後の計画に支障が出る。あくまで5万の部下は大公領を奪取するために用意されたのであり、ここでむざむざ虐殺されるためではなかった。
魔物たちは背を見せて逃げ出す。しかし混乱が生じ、もたもたしているうちに光の矢で消滅させられた。おびただしい数の魔物が、それをはるかに上回るマジック・ミサイルで殺害されていく。
やがてその怒涛は、魔王の寸前まで迫ってきた。
「ば、馬鹿なっ! この朕が、こんな、こんな場所で……っ!」
恐怖と狼狽のなかで、魔王アンソーは死を覚悟した。
だが……
「何っ?」
いきなり光の矢が止まった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ラグネはその場に尻餅をついた。数万の軍勢を滅ぼしたところで、精神的・肉体的疲労で立っていられなくなったのだ。
「ハゾンさん、回復お願いします」
「ああ。それにしても、すごいものだな。これが『マジック・ミサイル・ランチャー』か……。あの膨大な前衛をほとんど四半刻で滅亡させるとは……。っと、回復だったな」
ハゾンは回復の魔法を詠唱し始めた。
魔王はこの隙を逃さなかった。
「奴め、おそらくは『神の聖騎士』……! でなければ、あんなでたらめな魔法が使えるものか」
腰を下ろしている少年に向けて両手をかざす。にやりと笑った顔に、先ほどの取り乱した痴態は微塵もない。もっとも、その名残りの脂汗は額を濡らしたままだったが。
「神の使いならばこの奥義が利くはずだ。くくく……奴の驚く顔が見ものだな」
両の手の平から、黒い光がほとばしる。
「受けろ! 奥義『ゾイサー』!!」
漆黒のいかづちが空間を切り裂き、一直線にラグネ目がけて飛翔した。




