0041旅芸人と操り人形11(2323字)
ラグネはほうぼうで喧嘩や言い争いを展開しました。生傷が絶えず、夫婦にも冷たい態度を取って、家出することもたびたびです。夫婦は困り果て、涙に暮れました。もうこの家はやっていけないのじゃないかと、夫婦で命を絶とうと考えたことさえあります。
ですが、そんなときでした。ラグネの真の母親を名乗る女が現れたのです。
彼女は経済的にゆとりができたので、ラグネを――彼女の子を引き取りたい、と申し出てきました。見ればテンの毛皮や豪華な外套など、まるで一国の王女さまのようです。夫婦は、自分たちとは違う世界の人間になっていた彼女に、ラグネを返すべきか迷いました。
そしてその場に、ラグネが家出から三日ぶりに帰ってきます。彼は夫婦の紹介で、目の前にいる婦人が自分の真の母親だと知らされました。夫婦は言います。もしお前が望むなら、この家を出て、本当の家族のもとに帰ることができるんだよ、と。純粋な善意のもと、彼らはそうラグネに告げたのです。
するとラグネは泣きながら口を開きました。自分は夫婦の子供だ、真の母親なんて真っ平ごめんだ、帰ってくれ――と。婦人は涙を流して逃げるように立ち去ります。
そしてラグネは、やはり涙を流して喜ぶ夫婦と肩を組み、号泣したのです。ごめんなさい、自分が悪かった、もう悪いことはしないよ――とむせび泣きながら。
こうして偽の家族は、真の家族となりました。
めでたし、めでたし。
万雷の拍手がミルクともう2人の人形使いに降り注ぐ。おひねりもやまなかった。人形の巧みな動きと感動的な朗読が合わさって、涙しないものはいなかったのだ。
ラグネは彼らとは違う意味で涙が止まらなかった。夫婦はスールド――サイダとミルクだ。ラグネは自分だ。人形だった自分が捨てられなければ、ありえた未来。それが描かれた脚本に、ラグネは号泣していた。コロコとボンボが同時に自分の背中をさすってくれる。
ラグネはふらりと立ち上がった。深々とお辞儀するミルクたちに、ロープをまたいで接近する。それに気づいたか、面を上げていたミルクが舞台から下りた。
そしてふたりは、示し合わせていたかのように力強く抱擁した。ラグネはミルクの嗚咽にますます感動する。
「母さん。母さん……!」
「ラグネ、よく帰ってきた。あたしは嬉しいよ……!」
このふたりの関係をよく知らない観客だったが、とりあえず祝福の指笛と拍手を奏でてくれた。それに包まれ、ラグネは幸せだった。ミルクもそうだろう。
ここにラグネとミルクは、真の意味で再会したのだった。
夜になり、焚き火の光のなか、旅芸人たちは思い思いの芸を披露する。ラグネはそれを、夢でも見ているかのように眺めていた。もちろんひとつひとつの芸におひねりを投げ込みながら、考えるのは今後のことだ。
コロコとボンボは決心がついているのか、隣に座っているのに何も言わない。ラグネは、やはり自分はミルクのいる旅芸人一座に加わるべきだろう――そう心に決めていた。
やがて一座の公演は幕を閉じる。ラグネたち3人は冒険者として、正式にリブゴーに雇われて、一夜の金庫番につくことになった。もちろんこれはリブゴーの計らいで、ラグネがミルクと積もる話もあるだろうと考えてのことだ。
コロコとボンボは交替で金庫を見張った。ラグネはそんななか、母のミルクといろいろ語り合う。いろいろな冒険の話や、旅で聞いた面白い話、コロコやボンボのこと、自分のマジック・ミサイル・ランチャーの能力まで、話題は多岐に及んだ。
そして――
「母さん。僕、母さんの一座に――旅芸人リブゴー一座に加わります!」
母親を助けるのは当然だとの思いがあった。自分の光の矢の能力は、どんな障害も敵も、一方的に倒せるだろう。護衛という意味でも当たり前の考えだった。
だが、ミルクはやんわりとこの申し出を断る。
「ラグネ、お前は一介の冒険者だ。仲間を放り出してマザコンやってる場合じゃないだろう」
「でも……」
ラグネの母はにやりと笑った。
「あたしなら大丈夫さ。もしお前にやってほしいことがあるとしたら――そうだね、ルモアの街のギルドマスター、サイダ……今はスールドか、そいつのところに行ってこうののしるんだ。『このクソ親父、よくも黙ってたな』ってな。そしてケツを蹴ってやれ。あいつの仰天する顔がまざまざと思い浮かべられて、あたしゃニタニタしちまうよ」
ラグネはついていけずに引きつった笑いを浮かべた。ただ、ミルクの決意が固いことは明白だ。ラグネはうなずくしかなかった。
それ以後は何事もなく一夜は過ぎた。リブゴーは早朝、一座の馬車に全要員が乗り込んだのを確認すると、号令をかけた。
「出発!」
アンドの街から次々に馬車が走り出していく。ミルクが荷台から手を振った。
「それじゃ達者で、ラグネ! コロコさん、ボンボさん、ラグネをよろしく!」
「さようなら! 元気で!」
「また会おうぜ!」
ラグネは腹いっぱいの言葉を発する。
「母さん!! ありがとう! 僕を生んでくれて……!」」
ぶんぶん手を振ると、ミルクはニコニコと笑顔を見せて応えた。やがて馬車群は見えなくなる。
「行っちゃったね」
コロコが寂しそうに微笑した。ボンボも首肯する。
「まるで風のような連中だったな」
ラグネは左胸を押さえた。そこには鼓動がある。人間の心臓なのか魔法人形の紅玉なのかは分からない。ただ、これが止まる前に、また会えたら嬉しいな。そう力強く思った。
3人は冒険者ギルドへ向かい、依頼書の筆跡鑑定と金庫番の手数料支払いを行なった。預けていた馬を引き取る。そして、立ち去った一座とは別の方向へと走り出した。
ラグネは最後に一回だけ、あわただしく去っていった母のいる方角を眺めやった。そこには素晴らしいほどの青空が広がっていた。