0040旅芸人と操り人形10(2278字)
「ラグネ、ラグネっ!」
武闘家のコロコに追いつかれ、背中から胴を抱きしめられた。
「とにかく座ろう! いったん落ち着こう!」
ラグネはその場にへたり込む。いつの間にか、見晴らしのいい丘に着いていた。涙と鼻水で、今その顔は見られたものじゃない。
「『出来損ない』だって、僕は……」
心が落ち込んでいる。それはもう、奈落の底まで。
全力疾走したことにより、3人はそれぞれ息を切らしている。ボンボとコロコが、ラグネの後ろで地べたに座っていた。
鳥が鳴いている。気持ちのいい風が吹き抜けていった。日はとっくに中天を越えている。もうじき夕暮れだった。
「そろそろ一座の興行が始まるね」
ラグネにかけるべき言葉が見当たらず、コロコはそんなことを口にする。
ボンボも似ていた。
「せっかくだから観に行こうぜ、ふたりとも」
ラグネは両膝を抱えて鬱屈した。その目は赤く泣きはらしている。
「無理ですよ。どんな顔してミルクさんの人形劇を観ればいいんですか」
コロコは不意にラグネの肩をつかんだ。力強い五指から熱い思いが伝わってくる。ラグネは顔を上げ、彼女の金色の瞳を直視した。
コロコが実直に語る。
「たぶん、きみがミルクさんに会えるのは、今回が最初で最後だと思う。その、きみがパーティーを抜けて、旅芸人一座に加わらないかぎりはね。……その気はあるの?」
ラグネは首を振った。コロコが深くうなずく。
「なら、絶対に彼女の人形劇を目に焼き付けておくべきだよ。それは今後の人生の糧となるはずだから。どんな優しい脚本でも、どんな厳しい筋書きでも、きっとね。それとも、私が信じられない?」
ラグネは再び頭を左右にした。至らない僕を導いてくれるのは、いつもコロコさんとボンボさんだ。信じられないなんてこと、あるわけがなかった。
ボンボが尻をはたき、土を落としながら立ち上がる。
「なら決まりだな。いい席を取るためにも早く行こうぜ」
ラグネは不安で一杯だった。もし人間になった人形ラグネ――僕のことを、全面的に否定する内容だったらどうしよう。二度と立ち上がれなくなるんじゃないか。ミルクさんのあのようすだと、その蓋然性は高い――
コロコとボンボ、ふたりに手を引っ張られなければ、とっくに逃げ出していた。
夕刻になって、人が続々と広場に集まってくる。この街にこれだけの住民がいたのかと驚くほどだった。もちろん家を完全に留守にしている家族はいないだろう。それでも300人はくだらなかった。
コロコとボンボが早くから席取りしてくれてよかった。ラグネは最前列から2、3列後方の、なかなかいい位置で観覧することができる。
一座の長、リブゴーが66歳の年齢ながら、しゃっきりとした大声で挨拶した。
「今宵は我ら旅芸人リブゴー一座の催し物を、楽しみにしてくださってありがとうございます! 心ゆくまで存分にお楽しみください。そしてもしよろしければ、おひねりをいただけると助かります。では、ごゆっくり……」
こうして演芸は始まった。犬が火の輪をくぐったり、吟遊詩人が神話世界を物語ったり、観客を数人連れ出して一緒に舞踏したり、観客たちを笑わせ、感動させながら演目は続いていく。
そして、ついにミルクの番になった。
「これよりお見せしますは、とある家族の物語。しかとご覧あれ……」
操作板を動かしながら、それに糸で繋がって垂れ下がる人形を、生きているかのように操ってみせる。ラグネは食い入るように見つめた。
あるところに、子供のできない夫婦がいました。結婚生活10年目だというのに、彼らは子宝に恵まれません。他の夫妻には、元気はつらつな子供が次々に生まれているというのに……
そんな夫婦のことを聞きつけたのかどうなのか、ある日彼らが外出から戻ってみると、家の扉の前に赤ん坊が置かれていました。その子は男の子で、元気一杯です。夫婦が不思議がってその子供を抱き上げてみると、くるんでいる布から一枚の紙片が舞い落ちました。
それには何か文章のようなものが刻まれています。文字の読めない夫婦は、教会の司祭のもとへ向かいました。そして彼に文章を代読してもらいます。
それにはこう書かれていました――
『私には経済的に無理です。どうか代わりに育ててください。この子の名はラグネといいます。なにとぞ、よろしくお願いいたします』
夫婦は戸惑いました。司祭はどうなされますか、と尋ねてきます。しかし、やはりその赤子が可愛かったのでしょう。捨てるわけにもいかなかったのかもしれません。夫婦は彼らの手で子供を育てることを決意します。司祭はその子に洗礼を与えました。
ラグネはすくすく成長します。活発な子で、馬に乗ったり魚を釣ったり木に登ったりと、やんちゃな面もありました。そうして次第にいろいろな物事を知り、学び、考えることを覚えていきます。
同年代の友達もできて、かくれんぼや駆けっこにも夢中になりました。また、彼らからさまざまな世界の知識を吸収していきます。そうしてラグネの世界は広がっていきました。
ただ――
それはラグネが捨て子であり、自分の両親はあの夫婦ではないのだ、ということに気がつくきっかけともなったのです。
ラグネはある晩、そのことを夫婦に問いかけました。夫婦はごまかそうとします。しかし、すでにこの時点でラグネは、本物を見極める目と嘘を見破る嗅覚とに長けていました。ラグネの舌鋒鋭い追及に、とうとう夫婦は彼が捨て子であることを吐露してしまいます。
ラグネは衝撃を受けて、その晩はひとり部屋に閉じこもりました。それからです。彼が真面目に生きることを放棄し、反抗的な言動・活動を主とすることになったのは。




