0033旅芸人と操り人形03(2166字)
彼はもみ手して、にこにこと愛想笑いする。
「だんな方、焦るこたぁねえ。夕方から始めますんで、それまでお待ちくだされ」
ラグネは額の汗を腕でぬぐった。走りっぱなしだったので、息を整えるの時間がかかる。
「ぼ、僕はラグネといいます。ミルクさんに会いにきたんです。あなたは?」
片目のご老体は『ラグネ』と『ミルク』の両方の名詞に目を光らせた。
「俺は座長のリブゴーと申します。ミルクなら、確かにうちの一座にいますぜ」
その言葉に、ラグネは歓喜のあまり泣きそうになる。
「あ、会わせてください! 僕のお母さんかもしれないんです! お願いします!」
リブゴーの顔から営業用の笑みが消えた。その左目が細められる。
「だんな、本当に『ラグネ』というんですかい?」
「はい。それが僕の名前らしいんです……。実は過去の記憶がなくて」
リブゴーはラグネの真剣な表情にうんうんとうなずいた。
「なるほど……。分かりやした。ミルクのもとへご案内いたしましょう。ついてきてください」
とうとう、いよいよこのときが来た。まさか向こうからやってくるとは思ってもみなかった。僕は心の準備を整える。ボンボとコロコが自分のことのように喜んでくれていて、それにちょっぴり泣けそうになった。
ハープを調弦するもの、手品を確認するもの、曲芸を訓練するもの、芝居の打ち合わせをするものなどなど、夕方からの公演のために、各芸人たちは芸を仕上げようと努力している。
「こちらです」
そのなかを通り抜け、幕舎のひとつにたどり着いた。老人はなかに向かって大声をかける。
「おいミルク、ラグネさんという少年がお前さんに会いたいそうだよ」
「ラグネ!?」
この驚いた声が『ミルク』。僕は緊張と興奮でかいた手汗を、チュニックの裾でぬぐった。いよいよ会えるのだ、『ミルク』に……。ひょっとしたら、僕の母かもしれない相手に……! 仲間ふたりが、僕の肩や背中を手でさすってくれる。
なかから出てきたのは、41歳という年齢の割には老けた熟女だった。茶色の髪はお下げで、濃い眉の下からのぞき見るように黒い瞳が輝く。赤い三角巾を被り、同色の上下を着用していた。汚れのついた汚いエプロンをつけている。
ラグネは心臓がどくどくと脈打つのを感じていた。全身の血流が数倍になったような気がする。からからの喉を咳払いで整えた。
「僕がラグネです、ミルクさん……!」
その言葉に、ミルクはきっと喜びの表情を返してくれるものだと期待する。だが彼女は、
「嘘だ」
とぽつりと口走った。
「え?」
ミルクは突如立ち上がり、ラグネを指差して大声でまくし立てる。今にも噛み付いてきそうなほどに、その剣幕は酷かった。背はラグネより頭ひとつ分低いが、精神的な勾配は向こうのほうがはるかに高い気がした。
「あんたがラグネであるものか! だって、あたしが捜していたラグネは、『人形』のラグネなんだ! あんたじゃない! あんたは人間じゃないか!」
捜していたのは人形……? ラグネはその意味不明な言葉に戸惑い、後ずさりした。この人は何を言ってるんだろう?
リブゴーがミルクをたしなめる。手馴れている印象だった。
「落ち着けミルク。ラグネなんて妙な名前をつける奴なんてお前しかいないだろう。この子はきっと、何か人形のラグネと関わりがあるんだ」
その言葉に鎮静効果があったか、ミルクは逆上から一転、口を閉ざして黙り込む。しかしその目はぎらぎら輝き、内心の興奮を御すのに苦労しているようだった。
ふと気がつけば、今しがたの大声で、周りの芸人たちがこちらの様子をうかがっている。ラグネは居たたまれなくなった。それをリブゴーは意識したらしい。
「とりあえず幕舎のなかで話をしよう。外じゃまずい。いいだろう、ミルク」
ミルクは長く息を吐くと、やれやれとばかりにうなずいた。座長の言葉に一理あるのを認めたのだ。
「はいはい、分かったよ。あんた、そのふたりはお仲間さんかい?」
「は、はい」
「初めまして。私たちはラグネと同じ冒険者で、私はコロコ、こちらはボンボといいます」
「ああ、そうかい。人形を踏んづけるんじゃないよ」
「それじゃラグネさん、コロコさん、ボンボさん。足元に気をつけて。ささ、なかへどうぞ」
うながされるまま3人は入り口からなかへ入る。そしてなかのようすに驚いた。
「すごい……!」
内部には老若男女、大小さまざまな操り人形が理路整然と並べられていたのだ。幕舎の中央に足を向けて、円を描くように。
どの木彫りの人形にも髪の毛や衣服が付いている。靴まで履いていて、顔も精巧に刻まれていた。そのできばえにラグネは、ここがどこかも忘れて感心してしまう。
そして――なぜだか分からないが、人形たちへの親近感も湧いてきた。
「それにしてもだ。あんたは――ラグネは、あたしがかつて作った人形にそっくりだ。その人形のラグネには、玉ねぎ頭に白い服を着せていたんだがね。こうして見りゃ瓜二つだよ。もっともあんたは人間、あたしのラグネは人形だったけど」
リブゴーとミルク、そして3人は車座に座った。ラグネは、目の前のミルクはどうやら自分の母親ではない、と思い知らされていた。しかし一応聞いてみる。
「あの……。『人形のラグネ』さんは、ミルクさんが作ったんですよね。それはどういう人形だったんですか?」
ミルクは綿羊乳をすすって喉をうるおした後、重い口を開いた――