0003見捨てられた少年03(2291字)
もう駄目だ。狼はこのまま僕を飲み込んでしまうだろう。何て最期だ。失意と落胆で全身から力が抜け落ちた――
そのときだった。
「おりゃあっ!」
突然女の気合い声がとどろいたかと思うと、背後から狼の気配が消え去って、ラグネは牙から解放された。激痛が再燃し、右足を抱えて苦悶する。
「きみ、大丈夫?」
見上げれば、そこにはひとりの少女が立っていた。黄土色の癖毛を垂らし、額にはバンドを巻いている。優れた容姿は布も少なく開放的だ。決然たる金色の両目は宝石のような輝きを放っていた。
『グルルルル……!』
魔物はしきりに片目を前足でこすっている。どうやらこの少女が、狼に飛び蹴りを食らわして、その目をひとつ潰したらしい。さらに誰かがやってくる靴音が響いた。
「コロコ、置いてくなんて酷いぜー!」
「ボンボが遅すぎるのよ。きみの足に合わせてたら間に合うものも間に合わないわ」
今度は背が低い、12、3歳ぐらいの少年が現れた。黄色い衣服で大きな布鞄を肩にかけている。
た、助かった? ラグネは流血する足を押さえながら、ふたりの人間にまずはお礼を言おうとした。
「あ、ありがと……」
「お礼はあと、あと! まだ狼はやる気みたいよ」
餓狼の魔物は凄まじい憎しみを込めてうなった。左目だけでこちらを凝視し、前足で床を何度もかく。ラグネはその殺気だけで失神しそうだった。
「ボンボ、何か出して! 私の奇襲が成功しただけで、今ちょーっとやばそうだから」
コロコという名の少女は身構えた。何か格闘術を体得しているらしい。武闘家という奴だ。
いっぽうボンボという若い少年は、鞄から白い布を取り出す。そこには黒い染料で何か紋様のようなものが描かれていた。
「少し持ちこたえろ!」
布を床に広げて何やら唱え始める。何をしているんだろう?
コロコが不安を押し殺すように叫んだ。
「来た!」
狼が跳躍した。その牙から、素早い身のこなしでコロコが逃れる。正拳をどてっぱらに打ち込んだ。
『グゴォッ!』
魔物が胃のなかのものを吐き出した。しかし戦意は衰えず、敏捷に体をひねる。コロコの肩に噛み付いた。
「きゃあっ!」
とらえてからの狼の動きは早かった。首を左右に振って、コロコの体を引きちぎるようにぶん回す。赤い鮮血が飛び散って、コロコは激痛に悲鳴を上げた。
「『召喚』の魔法!」
そのとき、ボンボが大声を張り上げた。布の紋様から光があふれ、鎧を着込んだ兵士が音もなく浮上してくる。
「『鎧武者』よ、狼を殺せ!」
完全に足元まで出現した鎧武者は、両刃の剣をすらりと鞘から引き抜いた。ものすごい速度で魔物に斬りかかる。餓狼は剣を避けられず、眉間を真っ二つに割られた。
『ギャオゥッ!』
狼はコロコを吐き捨て、横倒しに転がる。そして、まったく動かなくなった。
し、死んだの? 僕、助かったんだ……。ラグネは安堵で失禁寸前だ。
「……よし。『鎧武者』、戻れ!」
兵士はすたすたと帰ってくると、布の紋様のなかに戻っていった。ラグネはボンボに尋ねる。
「今のは何だったんですか……?」
「おいらは魔物使いなんだ。魔物を呼び寄せて使役する魔法は、魔物使いという職業の基本だよ、きみ。……それより大丈夫か、コロコ!」
ラグネは足に、コロコは肩に深い傷を負っていた。ボンボは傷の特効薬『ポーション』を取り出し、コロコにかけようとする。
ラグネは待ったをかけた。
「あの、きみ! 僕は僧侶なんです。コロコさんの傷は僕が治します」
「本当!? じゃあお願いするよ」
ラグネは足の激痛に耐えながら、何とか回復魔法を詠唱した。コロコの肩に手をかざし、その傷を塞いでいく。コロコのしかめっ面がやわらいでいった。やがて完全に元に戻る。
「ああ、痛かった。やっぱり無謀すぎたかな。きみ、名前は?」
ラグネはボンボにポーションをかけてもらいながら答えた。
「僕は僧侶のラグネといいます。危ないところをありがとうございました」
ボンボのポーションは効果てき面で、足の傷はすっかり治った。
このふたりには本当に助けられた。何かお礼がしたい。ラグネがそう申し出ると、コロコは笑った。
「それじゃ、ひとつお願いしていい? 一緒にこの迷宮を出るまでパーティーを組もうよ。私もボンボも、さっき魔物に襲われて――」
不意に彼女は沈痛な面持ちに変わる。
「さっき魔物に襲われて、戦士のテレマと僧侶のネンセイを殺されたの。ポーションが効かないような、酷い殺され方で……」
黙ってしまったコロコの後を、ボンボが継いだ。
「おいらたちはパーティーを崩されちまったんだ。この下層から地上への出口まで戻るには、回復役が――僧侶か賢者かが必要なのさ」
ラグネは合点がいった。自分はパーティーから追い出されて難儀していたが、彼らもまた、ふたりきりになって苦労を余儀なくされていたのだ。お互い渡りに船だったわけだ。
でも、僕はやっぱり勇者ファーミさんたちが――もっと言えば賢者アリエルさんが心配だ。
ラグネはふたりに土下座した。額が床ですり切れるぐらいに。驚いたのはコロコとボンボだ。
「何やってるの、きみ?」
「どうした? やっぱり一緒は嫌か?」
ラグネはそのままの姿勢で声を張り上げた。
「すみません! 僕とこのまま、一緒に最下層まで行ってはもらえないでしょうか?」
ラグネは面を上げると、たどたどしい喋りながら、今までのことを打ち明けた。勇者ファーミに捨てられたこと、彼らがその後どうなったかどうしても気になること、もし役立てるなら今度こそ役立ちたいこと、などなど。
コロコとボンボは最初こそ真面目に聞いていたが、やがて笑い出した。
「お人よしなんだね、きみ。確かに僧侶ひとりじゃ無理でも、3人なら最下層のボスと戦えるわね」