0263ワールド・タワー38(2192字)
コロコは再び、「見えない力に抑圧される」世界――すなわち、「ふわふわしない空間」に戻ってきた。普通に地面に押しつけられる正常なフロアの、何と尊いことか。もっとも、背中から床に落ちたので、少し痛かったが。
「何じゃあお前はぁ!」
怒鳴ってきたのは齢80になろうかという皺くちゃの老婆だ。その脇に壷を抱え、そこから新しい鮫が飛び出す。どういう仕組みになっているのか知らないが、今までのキラーシャークはすべてこの壷のなかから出現して、クリスタルに飛び込んでいたらしい。
コロコは上体を起こして振り向いた。ちょうどかかってきた鮫を、光弾で粉砕する。鮫はじゃっかん光りつつ消え去った。
「悪いけど、それやめてもらうよ!」
コロコは怒鳴って再び光弾を放つ。老婆の壷を吹っ飛ばした。
「ぎええっ!」
壷を破壊された持ち主は、まるで自分が撃たれたかのように、腰を抜かしてへたり込む。それを無視して、コロコは改めて周囲を――18階を眺めた。
「何よ、ここ……」
階段状の白い客席が設置され、そこにさまざまな紳士淑女が、綺麗な服で着飾って座っている。彼ら彼女らはこちらを見下ろして、激怒するもの、苦笑するもの、はしゃぐもの、泣き出すものなど、さまざまな態度を示していた。総勢40名ほどか。
司会進行の名札をつけたものが、声を張り上げる。頭から3本の角が生えている中年だった。
「ただいまのギャンブル――シャーク老対侵入者の戦いは、侵入者の勝ちでございます! 札はまだ持ったままで! 下ろしたり換えたりしてはいけませぬぞ!」
老婆は這いつくばって逃げようとする。だがその背中へ、衛兵が槍を突き刺した。シャーク老は断末魔の悲鳴を上げて動かなくなる。そのさまに盛大な歓声が降り注がれた。
どうやらここの人々――魔物もちらほら――は、シャーク婆さんとコロコたちの戦いをどうやってか観戦し、どちらが勝つか賭けていたようだ。赤い札を掲げていたものが、小姓に現金をもらう。反対に、青い札を持ち上げていたものは、泣く泣く賭け金を支払っていた。
司会の男が大声で注意する。
「札を替えてはいけませんよ! はい、そこの方、私はちゃんと見ております! かけ金をお支払いください!」
コロコは奥歯を噛み締めた。怒ったのだ。
「私たちと鮫との戦いが、賭博の材料だったっていうの? ふざけないで!」
階段席上での金の受け渡しが終わったところで、司会が苦笑しつつコロコに問いかけた。
「あなた、お名前は?」
「コロコ」
「コロコさま、あなたたちはシャーク老に勝ちました。褒美は上の19階――『審判の階』への平和通行権です! ……といっても、10億カネーは持ち合わせてはおらぬようですが」
何が面白かったのか、客席の男女がどっと笑う。コロコは馬鹿にされ続けているようで不快極まりなかった。
コロコの背後のクリスタルから、ラグネやカオカたちが上がってきたようだ。コロコはラグネに尋ねた。
「あれ? 自力でふわふわ空間を突破したの?」
ラグネは胸を張った。
「慣れれば意外と動けました」
「トナットは? 足を鮫に噛まれてたけど……」
水晶体からカオカとトナットが吐き出される。トナットは足に絡み付いていた血が、たちまち流れ出した。ラグネがあわてて呪文を唱える。
「『回復』の魔法!」
トナットの右足の出血がぴたりと止まった。どうやらうまく治せたようだ。最後にブラディとボンボ、ガセールが現れ、全7名が18階に辿り着いたことになる。
コロコ以外のメンバーは、階段状の観客席や、そこに集った紳士淑女を理解するのに時間を要した。コロコはこれでは話が進まないと、ほかの6人にこれこれこうだ、と現状を説明する。
ガセールは鼻を鳴らした。
「悪趣味な奴らはどこにでもいるものだ」
自分のことは棚に上げている。
近衛隊長カオカはトナットの回復を喜んでいた。涙がその目尻に光っている。
「お前が死んだら俺が全責任を負わなくちゃいけなくなる。だからいいな、勝手に死ぬのはなしだ。分かったか?」
「へへ、これはとんだ上司さまで」
「あほ」
冒険者で魔法剣士のブラディは、客席の連中が何の気まずさや居心地の悪さも感じず、早くも次の賭けに移行していることに激怒していた。
「いったい僕たちを何だと思ってるんだ?」
司会進行が小姓から渡された羊皮紙を見て驚く。
「おっと、これはすごい! 次の侵入者には神々の鎧『孤城』をまとったものが紛れています!」
孤城? コロコはラグネと顔を見合わせた。あの『汚辱のタルワール』や『漆黒の天使』ユラガが着ていた、攻守に優れた戦闘用甲冑。タルワールは死んでいるから違うとして、ユラガあるいは『純白の天使』ワジクが上ってきたのだろうか。それとも新たな人物か。
それにしてもなぜ司会や賭博客たちは、こちらの上のほうへ視線を向けているのだろう。コロコは気になって、円周状に連なる柱の内側へと進み、そこから彼らの目線をたどった。
「何これ?」
どういう仕組みかはさっぱり分からない。ただ、見上げた場所には四角い絵画が描き出されていた。そのリアルさは恐ろしいほどで、鮮明に17階の様子を映し出している。それも刻一刻、いちいち描写を変えながら……
司会が大げさに叫んだ。
「この5人の侵入者に対するは……そう、やはりこのお方!」
客席からひとりの巨躯が立ち上がる。襟や袖に豪奢な毛皮をあしらった服を着ていた。がたいがよく、客席からは盛大な拍手と歓声が送られた。




