0256ワールド・タワー31(2165字)
「わてはおぬしらの不和や敵対に興味がない。だが、ここまで一緒に塔を上ってこれたのは、おぬしらがお互いに信頼し、力を合わせてきたからだろう。人間の一番いい部分でな」
ラグネはいまだ解けない緊張にあえぐ思いだった。襟元を指でくつろげて呼吸する。コンボーイは机に組んだ両手を置いた。
「それにここでメンバーが分解されては、双方がのちのち困ることになるのは間違いないだろう。わてのように塔からの脱出を諦めたのならいざ知らず、最上階まで行かんとするなら、しっかり信頼し合い、ともに手を携え合うことが大切なはずだ」
ラグネは彼の語を継いだ。
「僕らはカオカさん、トナットさん、ブラディさんを信用しています。それは肩書きによってではなく、一緒に死線を潜り抜けて築いてきた親交によって、です。あなた方もそうではないんですか?」
ブラディが剣を握り直した。その柄から手汗が水滴となってぽたりと落ちる。
「ラグネくん、今はスライムたちに殺された人々の仇を討てるかもしれないんだ。またとない好機、絶好のチャンス――。たとえこの身が魔物たちに引き裂かれようと、果たすべき大義があるはずだ」
ブラディのスライムや冥王への憎しみは度を超えたものがあった。彼は涙を光らせながらそれを打ち明ける。
「僕は冒険者の魔法剣士として、港湾都市ドレンブンでスライム撃退に協力していた。だがパーティーメンバーのトミーが疲労で城壁の上から転落してね。スライムたちに食い殺されてしまったんだ。あんな最期を遂げるほど、悪い奴じゃなかったのに……」
なるほど、トミーさんへの惜別の情が、スライムへの、ひいては冥王への怨恨を生じさせていたのか。
ラグネはしかし、説得を諦めなかった。ひと突きで破裂しそうなこの緊迫した状況を、何とか好転させようと努力を続ける。
「『冥界の王ガセール』という問題を解決する――それは確かに大事かもしれません。しかし、それは今行なうべきではありません。一緒に塔の最上階まで上り、ほかのメンバーと合流して、そのときもまだ問題だったら改めて議論しましょう。この譲歩さえ難しいですか?」
トナットがガセールに槍を突きつけたまま、その大きな口をへの字に曲げた。
「譲歩。譲歩、ねえ……」
ガセールは恐怖心というものがないのか、3方向から武器を突きつけられても平然としていた。黒い球を背中側に生じさせて、3人に『マジック・ミサイル』を叩き込む――その速度に自信があるのだろうか。
いや。ラグネは思った。その前に3人の得物がガセールの肉体に突き刺さるだろう。冥界を制覇した王は、それでもいいと考えているのだろうか。ここを自分の墓所と半ば決めてしまったのだろうか……
そのときだった。
トナットが槍を下ろした。肩をすくめる。
「やめましょう、カオカ隊長。私はまだ死にたくありませんぜ」
カオカもふんと鼻を鳴らし、長剣を鞘に納めた。
「ブラディ、お前も剣を引っ込めろ。この状況でなお暴れるというのなら、それこそお前は無駄死にすることになるぞ」
ブラディはひとり取り残された。長剣をガセールに突きつけながら、悔し涙を流して嗚咽する。
「くそ……くそ……!」
カオカがブラディの手首を押さえた。彼女が力を込めると、ブラディは逆らうことなく剣を下ろす。カオカはガセールに視線のナイフを光らせた。
「いいだろう。この塔を上り切り、再び外へ出られるときまで、冥王ガセールのことは黙認する。ただし、お前が我々を裏切ったら、そこで協力はおしまいだ」
ガセールはことを荒立てる気もなさそうで、簡明に応じる。
「そうか。分かった」
「以上だ。さあ、得物をしまえブラディ」
ブラディが鼻をすすり上げながら剣を納めた。どうやら一触即発の事態は避けられたらしい。ラグネはほっとして冷や汗をぬぐった。
コンボーイが小型の鐘を鳴らす。それまでの修羅場を浄化するような凛とした響き。
「殺気もなくなったことだし、戻るがいい、召喚獣たちよ」
魔物たちがつまらなさげに、ぞろぞろと自分たちの魔法陣へ引き返していった。再び15階に静けさが戻る。
「はい、これ」
ボンボはコロコから、彼の持ち物だった鞄を返してもらった。魔法陣が描かれた布の詰まった、魔物使いの大事な鞄。
ボンボはそれを受け取りながら、感激して涙ぐむ。大量の魔法陣が戻ってきたことより、コロコが――ボンボが大好きなコロコが、ここまで大切に持ち運んでいたという事実が、もっとも心の琴線に触れていた。
鞄を肩から斜めに提げる。納まるべきところに納まった、という実感があった。
「へへっ、ありがとな、コロコ」
そして、師匠のコンボーイに正対し、頭を下げた。
「おいらはラグネやコロコたちと一緒に行きます。師匠はどうするんですか? もしよければ、一緒に――」
老人は手を振りさえぎった。
「わてはここで死ぬまで研究をし続けるよ。腰も痛いからな」
「腰のほうは、ラグネに回復魔法をかけてもらえば……」
「いや、もうこの年齢だと、治してもすぐにぶり返してしまうのだ。わてはすでに冒険は無理な体なんだよ」
それは今度こそ今生の別れになることを意味していた。ボンボはコンボーイの顔がぼやけるのを自覚した。自分の目からとめどなく涙があふれてはこぼれ落ちる。
「お元気で……。長生きしてくださいね」
「うむ。お前はわての最高の弟子だ。出会えてよかったよ」




