0254ワールド・タワー29(2111字)
コンボーイは大仕事を終えた疲労からか、その場にしゃがみ込む。荒い息をついており、額は汗だくだった。
「成功だ! ボボボーンよ、わてが分かるか? お前の師匠のコンボーイだぞ! ほっほっほ」
だがボンボであるはずのスライムは、その言葉に無反応である。20の視線をひとりの人物に固定し、うやうやしくだみ声で言った。
「これはこれは、冥界の王ガセールさま。どうかおいらをいじめないでくださいね?」
そう、師匠コンボーイやパーティー仲間のラグネ、コロコがいるにもかかわらず、ボンボは冥王ガセールへの恐れと忠誠を最初に見せたのだ。
近衛隊長カオカと副隊長トナット、冒険者ブラディが、いっせいにガセールに目線を移す。
「『冥界の王ガセールさま』って……」
カオカは剣の柄に手をかけた。無言でたたずむガセールから距離を取る。
落胆していたラグネは、新たに起きたこの危険な状況に対し、気持ちを切り替えて叫んだ。
「ま、待ってください! 違うんです! この人は冒険者のザオターといって……」
ボンボのスライムが今ようやく気がついたとばかりに、ラグネとコロコに視線を向ける。その大口が下卑た笑いを立てた。
「冥界の王ガセールさま、この人間たちを食べても構わないですか?」
ラグネはスライムのこの言葉に愕然とする。ボンボさん、こんなに変わり果ててしまって……
「う、うう……っ」
コロコが泣いていた。今度はさっきの嬉し涙とは間逆、悲しみのそれだった。ラグネは思わずもらい泣きしてしまう。
こんなボンボさん、見たくもなかった。
記憶にあるボンボさんは、口調が荒くて童顔を気にしていた。ごく真っ当な人間で、魔物使いとしてもかなりの腕前を誇っていた。そして、何度も僕を助けてくれた。2歳下の、最高の仲間であり、友達だった。
それが今や――
見る影もないとはこのことだ。
コンボーイが召喚者として液体生物を魔法で抑えつける。
「今はわてがお前のあるじだ。……どうやら奇跡的にボンボはスライム化していたようだが、人間としての記憶は失われているみたいだな。どうする、ラグネ、コロコ。続けるかね? わてはもう冥界に戻したほうがよいと思うが」
そのときだった。
スライムがつぶやいたのだ。
「ラグネ? コロコ?」
ふたりの名前に反応したらしい。20個の目玉がそれぞれあさっての方向を向く。大きな口が歯軋りを起こし、溜め込むように漆黒の身を伏せた。
「ラグネ……コロコ……! ラグネ……コロコ……!」
無数の手足のうちの一本が、まるで救いを求めるように虚空で打ち振るわれる。
この状態の変化に、コロコが涙を引っ込めた。
「ボンボ! 私たちが分かるの!? ボンボ!」
魔物は苦しげにぐにゃぐにゃと体を波打たせる。
「ボンボ……! その名は、おいらの……!」
ガセールが魔法陣に近づいて片膝をつき、スライムの手を握った。
「こうなっては仕方あるまい。……そう、余は冒険者ザオターではなく、冥界の王ガセールだ。余には怪我した冥界人を癒す力がある――もっとも、冥界では誰もがすぐに回復するので、使い道がなかったがな」
ざわつく周囲を無視して、力強く叫ぶ。
「今、その力を注ぎ込んでやる! ボンボよ、よみがえれ!」
ガセールが握った手が光芒を発した。それはまたたく間に魔物の体中に広がって、まばゆい光輝の塊となる。
そして、まるで泥沼から引きずり出すように、ガセールはボンボの肉体をこの15階へと顕現させた。
ボンボは横向けに、着衣ひとつなく真っ裸で出てくる。それはどこからどう見ても、完璧完全に人間の肉体だった。
コンボーイがベッドのシーツを手にして、ボンボの体に素早くかける。その目は歓喜に満ちていた。今世界が終わっても後悔しなさそうな、そんな笑顔。
「信じられん! 本当に人間を再構成してしまうとは……! ほっほっほ、素晴らしいぞボンボンボン!」
魔法陣の光が消える。ボンボは大儀そうに上体を起こした。
「ボンボです、師匠……。――って、あれ?」
ラグネがボンボに飛びかかるように抱きついたのは、コロコとまったく同じ速度だった。信じられない。また会えるなんて……!
「ボンボさん! 戻ってきてくれて、本当にありがとうございます!」
「ボンボー! ああ、ボンボの匂いがするよーっ!」
ラグネとコロコのはしゃぎぶりに、何が何やら分かっていないであろうボンボは、それでも笑顔を見せた。
「……何だかおいら、長いこと眠っていたような気がするぜ。まあ、ラグネやコロコが喜んでくれているなら、それで別にいいけどよ」
ボンボはスライム時代の記憶を失っているようだ。それでいい。ラグネは心の底から彼の復活を喜び、嬉し涙を流し続けた。
いっぽう、新たに勃発した問題もある。
近衛隊隊長カオカ、副隊長トナット、冒険者ブラディが武器を構えた。彼らの視線の先にいるのはガセールだ。
「『冥界の王ガセール』だと? 信じられないが、魔物のスライムに敬われたり、黒い『マジック・ミサイル・ランチャー』を備えていたりする辺り、どうやら本当らしいな。ザオターって名前も、冒険者で魔法使いという職業も、『まあラグネのようなものだ』という自己紹介も全部嘘だったってことだな?」
ガセールは冷徹な光を放つ目で、半包囲を確認する。
「そのとおりだ」




