0231ワールド・タワー06(2123字)
「は、はい……。分かりました」
ラグネたちはその場に座り込んだ。3人の聴衆を前に、ルガンは笛にそっと唇を触れさせる。
そこから放たれたのは美しい旋律。聴くものの胸に染み入り、凝り固まった感情をそっと解きほぐす、優しさに満ちたメロディだった。
ラグネは今までの辛かった過去を思い出し、目を閉じてうっとりと聞きほれた。赤の他人どころか、狼や熊といった野生動物さえも感動させるのではないか。そんな音楽が、しばし流れる……
「落ちたようだね」
目の前にはラグネ、ロモン、ヨダイが三者三様に倒れて、ぐっすりと眠っていた。ルガンは笛を吹くのをやめる。その端麗な顔に似合わぬ、獣じみた牙が口から生え出てきた。
「人間は美味いからな。さっそく食べてしまおう」
ルガンは美少年の姿かたちをした、一匹の魔物だったのだ。そしてその笛の曲には、敵対者を眠りに陥れる力が備わっていた。
「どれ、まずはこのラグネとかいう奴から食べてやろうかな……」
岩から下りて、うつ伏せに熟睡するラグネに近づく。その目はらんらんと輝いていた――
と、そのときだった。
いきなりラグネが立ち上がった。目を閉じたまま、背部に光球を浮かばせる。ルガンは仰天した。
「なっ!? なんで動ける!?」
光の矢が飛び出して、ルガンの笛に命中した。笛が消滅する。
「くっ……! くそっ!」
ルガンは歯噛みして逃亡した。彼の脅威は去ったとみてよい。
「ん……」
ラグネは目を覚ました。視界が上下に分かれている。上は誰かの見ている景色で、下はラグネの眼前の風景だ。それらは相互に独立して視覚を満たしていた。
この感覚には覚えがあった。
「ニンテンさん!?」
「ラグネくんだね? 勝手に体を使ってしまってすまない」
上の視界には懐かしい、三叉戟の使い手で『悪魔騎士』のデモント、無詠唱魔法の行使者でやはり『悪魔騎士』のケゲンシーが映っていた。ふたりとも酒をうまそうに飲んでいる。どうやら酒場で酒盛りをしているようだった。
眠っていたラグネを動かし、また目覚めさせたのは、ラグネの仲間であり傀儡子であり、『神の聖騎士』でもあるニンテンだった。60歳とはいえ、まだ酒はやめられないらしい。
彼は言い訳するように釈明した。
「実はデモントから、ラグネの現在の風景を教えてくれとせがまれてな。仕方なしに覗いたら真っ暗。寝ているなら起こしちゃ可哀想だと思い、そのまま通信を切断しようかと思った。思ったんだが……」
そこで『どれ、まずはこのラグネとかいう奴から食べてやろうかな……』との声が聞こえてきたらしい。それでラグネの意思を無視して立ち上がらせ、目の前の美少年に取りあえず一発見舞ったとのことだった。笛を壊したのは、いきなり相手の体を傷つけるのはためらわれたからだ、と説明する。
「そうだったんですか」
食べてやる、という人肉食を想起させる言葉に、ラグネは怖気を震った。
「ニンテンさん、ありがとうございます。あなたが助けてくれなければ、僕らは死んでしまうところでした」
「どういたしまして」
「……それにしても、塔のなかでも外でも『神の聖騎士』同士の通信は可能みたいですね」
「塔のなか? ドレンブン辺境伯領に生えたという、あの噂の『塔』か!」
「はい、そうです。今は3階に来てます」
「脱出できないのか? 壁を壊すとか、出入り口を破壊するとか……」
「僕の『マジック・ミサイル・ランチャー』でも、コロコさんの光弾でも、ガセールさんの黒い矢でも無理でした」
ニンテンがもどかしく狂おしく問いかけてくる。
「ガセールと一緒にいるのか!? あの糞ったれの冥王野郎と!?」
「は、はい。でもガセールさんは改心しました! 今では貴重な仲間です」
「改心したから許されるってもんじゃないんだ、犯した罪というやつはな。奴や奴の部下5名のしたことは、どれだけ償っても、どれだけ改心しても、永遠に消せない烙印のようなものだぞ。そんな奴と手を組むなんて馬鹿げてる」
ニンテンの主張は痛いほど分かる。自分も実際ガセールに殺されかけた。しかし、だからこそガセールが涙を流した光景が、より一層貴重なもののように思われるのだ。
「と、取りあえずそれは置いておきましょう。今ニンテンさんのいるコルシーン国・王城城下町はどうなってるんですか?」
ニンテンはまだ憤慨していたが、正直に答えてくれる。
「……スライムたちは完全に撲滅した。今は死者の埋葬や怪我人の治療、城壁の修繕なんかが急ピッチで進められているよ。おいデモント、ケゲンシー、何かラグネくんに聞きたいことあるか?」
それまでふたりでダベっていた『悪魔騎士』ふたりが、ニンテンに視線を向ける。
「そういえばニンテンとラグネは通信できるんだったっけ。そうだラグネ、俺さまとケゲンシーがその塔へ向かうから、それまで上の階に進まずとどまっていてくれ」
ケゲンシーが陽気に笑った。だいぶ酔っている。
「私たちがいれば鬼に金棒でしょう、ラグネ。今からドレンブン辺境伯領へ向かわせていただきます」
ラグネは残念な気持ちで首を振った。
「デモントさんの三叉戟や、ケゲンシーさんの無詠唱魔法でも、塔の壁や入り口を破壊することはできません。僕の光の矢もコロコさんの光弾も、全部吸収されて傷ひとつ付けられないんです」




