0209『孤城』01(2189字)
(32)『孤城』
ルバマが自分専用の魔法陣から人間界に移って、ほどなく。
ガセールたちの前に巨大魔法陣が出現した。冥王は喜悦に舌なめずりする。
「とうとう人間界に帰れるぞ……! 待っていろ、うじ虫ども――!」
ラネッカと子供の仇を討つのだ。そのためなら何でも費やしてやる。
左腕のトゥーホがあるじに請願した。
「私に先鋒をお任せあれ。まずは冥王陛下が生存できる環境か、私が材料を拾い上げてきます」
「よし、頼んだ」
魔法陣の中央に鎧の左前腕が潜り込む。
だが――
「引っ込めてください、陛下!」
ガセールは鎧の左腕を引き抜いた。それとほとんど同時に、巨大魔法陣は収束し、消え去る。あっという間の出来事だった。
「どうした、トゥーホ」
「魔法陣が縮小する気配を感じたため、これはまずいと思ったのです。危なく左腕が――私が輪切りになるところでした」
「そうか」
ガセールは安堵と落胆を隠せない。
「ルバマが命を懸けて、余のために作った転移魔法陣だというのに……失敗とはな」
鎧の胴体のケロットが陽気に励ましてきた。
「なに、冥王さま、まだ分からんですよ。このまま待ってれば、時期にもう一度魔法陣が開くかも知れんですし」
そうだな。何しろ今までにないことだ。気長に構えるべきかもしれない。
「……よし、ではこのまま待機するとしよう」
日がにじんで夜になり、闇がほぐれて朝が来た。「それ」は少し離れた位置に浮かび上がった。鎧の右腕のジャイアが叫ぶ。
「出ましたでござるよ、ガセールさま! 転移魔法陣だ!」
冥王も含め、気を緩めていたほかの5名が、いっせいに覚醒した。
「よし、行くぞ!」
鎧は異形の姿もそのままに、丘を駆けて地面を粉々に砕きつつ、魔法陣へとたどり着く。ガセールは歓喜した。昨日一時的に現れたそれと変わりない。間違いなく人間界へ通じる道だ。気のせいか、昨日のものよりしっかりしている。
「今度も私、トゥーホが先陣を切ります。よろしいですね?」
「うむ」
鎧の左腕を、転移魔法陣の中央に差し込んでみた。ガセールは学者の男に問いかける。
「どうだトゥーホ、人間界は」
「4人の青い肌の男女がいます。おそらく人間界で生まれた悪魔騎士でしょう。彼らがこの魔法陣を作り上げたのに違いありません。……どうやら生存できる環境のようです」
よし、今度こそ。ガセールは鎧を動かし、魔法陣を通過しようとし始めた。
だが、そのときだ。
「うわっ! 冥王さま、腕を引っ込めてくださいっ!」
ガセールはまたしても左腕を引き抜いた。直後に目の前の魔法陣がひしゃげ、傾き、何かに打ちのめされていく。
やがて魔法陣は、発狂したバッタのようにあさっての方向へ飛び跳ねていった。あまりの速さに、ガセールの視界から消え去ったのは数瞬後のことだ。もはや追いかけられなかった。
「トゥーホよ、また魔法陣が閉じかかったのか?」
問われた学者の男は、うめくような声で言う。
「いえ、ガセールさま。あなたさまのように『マジック・ミサイル・ランチャー』を使うものがいて、こちらへ攻撃してきたのです。陛下と違い、彼のそれは光の矢でしたが……。それで、消滅させられてはかなわぬと、思わず腕を引っ込めるよう要請したのです」
ガセールはもはや魔法陣のなくなったその場所で、ひどく残念がった。おそらくもう、ルバマの計画は破綻したと考えるべきだ。
やはり、人間界への帰還は無理だったか……
「もうよい。マシタルの城へ戻るとしよう」
「御意……」
こうしてガセールたちはその場を離れた。それにしても、余と同じ魔法を使うものが、人間界にも存在するとは。余が『特別な悪魔騎士』なら、光の矢を使うそのものは、さしずめ『神の聖騎士』といったところか。
できるものなら、そいつと殺り合ってみたかった。
20日が過ぎた。ルバマは戻ってこない。もう会えることはないのだろう。ガセールは酒に溺れる日々を送っていた。
肉鎧は吸血鬼がメンテナンスを行なって、また装着できる状態に戻したらしい。だが、もう使うこともないに違いない。
闇に潜むスライムたちが急速に減少している、という報告もあった。しかしそれも興味はない。
マシタル王国もルバマがいなければ無味乾燥だった。ガセールはようやく怠惰から立ち直ると、冥界を6つに分け、6名で支配するよう構想し始めた。もちろん自分以外の5領土は、側近の悪魔騎士5人衆に任せるつもりだ。
だが、そんなときだった。マシタルの城外に、三度目となる巨大転移魔法陣が浮かび上がったのは。過去の二度とは違い、今度はさらに巨大で、地面と平行で浮いているという。
ちょうど6名全員会議室に揃って、あれこれ意見を出し合っていたところだった。報を受けたガセールは、あるいはルバマの遺産なのかと、5人衆を率いて魔法陣のもとへおもむく。肉鎧はケロットたちが持ち運んだ。
「おお……!」
その光輝に感嘆を漏らす。転移魔法陣は、平地に大人ひとり分の高さで存在していた。間違いない。これは先日2度に渡って目撃し、侵入しようとして失敗した、ルバマの魔法陣だ。
「行くぞ!」
6人で鎧を着る。そして、人間界の入り口の中央へと足を踏み入れた。泥濘を踏むような感触だったが、確かに足は沈む。その先はどこかの巨大な都だと、左足のリューテと右足のツーンが報告してきた。
「へへっ、人間どもが右往左往してやがるぜ」
若者リューテがせせら笑う。派手女ツーンはいかにも驚いた様子だった。




