0207ルバマ16(2076字)
ガセールの不満たっぷりの声に、ルバマは胸元を汗が伝うのを感じた。
「現在、ガセール陛下用の転移魔法陣を二通りの方法で作成している最中です。いましばらくお待ちを……」
「まあそう急くな。余はまた1000年かかっても一向に構わんぞ」
「はっ……」
「しかしルバマ。貴殿は少しやつれたな。違うか?」
違わない。ルバマは化粧と衣服でごまかしているが、その手足は枯れ木のようで、顔もゲッソリこけていた。
「多少健康が優れぬだけです。ご命令とあらば何でもいたしましょう」
「では、今夜は後宮へ来い」
ルバマははっと面を上げた。ガセールは無表情で「では退室せよ」と無碍に扱う。ルバマは一礼すると、そそくさと謁見室を後にした。
「あの……」
その夜、精一杯着飾って、後宮の閨にガセールを招いたルバマ。早くも平身低頭だった。
「あたしは体調がよくなくて、その……房事はできません。すみません……!」
今そんな運動をしたら吐血は免れないだろう。あるじに自分の血を吐きかけるわけにもいかないではないか。
久しぶりの再会だというのに、何もできない。そのことが悔しくて、ルバマは涙目で唇を噛み締めた。
「別にそうと願って会いに来たわけではない」
「へっ?」
ガセールは指でルバマの顎をすくうと、その唇にそっと口付けした。
「ルバマ、ベッドの上で正座しろ。命令だ」
「は、はい……?」
意味不明の指示に、ルバマは素直に従う。靴を脱いで寝台に上がり、言われたとおりに座った。
ガセールも履き物とマントを取ってベッドにのぼる。そして、ルバマの両膝に頭を載せるように横たわった。
「ずっとこうしたかったんだ」
膝枕だった。ガセールがやりたかったのは、ルバマに膝枕してもらうことだったのだ。
「1000年前に言っただろう。『俺が疲れて眠るときは、お前が膝枕してくれ。それが条件だ。男の太ももなんか嫌だからな』とな」
ルバマは思い出した。冥界征服をこころざしたあの日、確かにそう約束したことを。
覚えて、いたんだ――
ルバマは涙腺の決壊を止められなかった。ふたりだけの誓いが昨日のことのように思い出される。ザオターがガセールに名前を変えてから始まった、1000年の日々。ルバマは泣きじゃくり、声を上げて号泣した。
「そう泣くな。これからはもう無理をせず、ただこの城にいろ。病を抱えているようだが、なに、時期よくなる。これからも余のそばで忠誠を尽くせ」
ルバマはその優しい言葉にむせび泣く。涙がガセールの頬にぽたぽた落ちた。
そうしてルバマの決意は固まったのだ。
この命に代えても、ガセールさまを人間界へ送り届ける、と。
ルバマはケゲンシーと連絡を取り続けた。あのケゲンシーが誕生した森のなか、大きい岩の書き込みで、『次の新月にお会いしましょう』などといった具合に日付を指定する。そうしてルバマは病を押してケゲンシーに面会し、指示を出した。
翌年、聖暦891年に、大きな出来事があった。ケゲンシーがデモントとの接触に成功したのだ。デモントは独力で黄金の翼を出せることに最近気づいたようだった。空を飛行していた彼にケゲンシーが追いつき、声をかけ、一気に味方に引き入れたという。
「今、デモントはどうしているの?」
「宿屋で寝ています。他人には翼も能力も見せたことはないそうです」
「能力?」
「三叉戟とかいう、槍を出現させる力です。彼固有のものらしいです」
「へえ……。悪魔騎士は誰もが何らかの異能を持つようね。あなたは? ケゲンシー」
「私はこれです」
ケゲンシーは右の手の平に分厚い本を出現させた。
「この呪文書を左手でなぞれば、無詠唱で魔法が出せます。もちろん、人前では出したことがありません」
「凄いわね」
ケゲンシーは照れ笑いしながら、呪文書を再び消した。少し暗い顔をする。
「それで、デモントを洗脳する際に、ついついしゃべってしまいまして……。デモントも私も、傀儡子ニンテンの作った『生きた人形』が元である、と。まずかった、ですかね……」
ルバマは沈思黙考した後、首を振った。
「いいえ、ニンテンやほかの傀儡子にしゃべったのでなければ問題ないわ」
ケゲンシーはほっと笑顔を咲かせた。ルバマは彼女に大事なことを教える。
「あなたとデモントは『神の聖騎士』を名乗って行動すること。何とか『生きた人形』の『核』となる赤い宝石を見つけること。これからもよろしくね、ケゲンシー。頼りにしてるわ」
「はい! 頑張ります」
そして今年、聖暦892年。ルバマはケゲンシーといつもの連絡を取った。
『昇竜祭』武闘大会で、ラグネという少年が金の羽で飛び去ったという。ルバマはラグネという名前の『生きた人形』は聞いたためしがない。ニンテンがひそかに作っていたのだろうか? それとも別の誰かか?
「大急ぎでラグネとやらを捜しなさい。翼を使ってもいいから」
「分かりました」
その後、ケゲンシーは一度連絡をすっぽかした。過去にないことだったので、ルバマは嫌な予感がしてしょうがなかった。
しかし、それは杞憂に終わる。定期的に岩を覗きに行く召し使いが、ケゲンシーが緊急に連絡を取りたいと申し出ている、と知らせてきたのだった。
 




