0002見捨てられた少年02(2368字)
コウモリが牙をむき出しにしてファーミに襲いかかる。人間の肉に飢えている、そんなぎらついた欲望が攻撃となって具現化した。
「でぃっ!」
勇者は素早く身をかわし、すれ違いざま魔物を斬り捨てた。真っ青な鮮血があたりにぶちまけられる。コウモリは即死だった。
「まだまだいくぜっ!」
パーティー後方では、魔法使いシュゴウと賢者アリエルが呪文を詠唱している。先に唱え終わったアリエルが、前方の天井を指差して叫んだ。
「『睡眠』の魔法!」
すると、その直線上にわだかまっていた魔物たちが、ぼとぼとと力なく床に落ちていった。深い眠りに陥ったのだ。
シュゴウが持ち上げた拳を硬く握り締め、唐突に人差し指と中指を立てた。前方目がけて振り下ろす。
「『空刃』の魔法!」
いわゆるかまいたちのような、真空の刃がうなりを上げた。不可視の斬撃に、コウモリたちの3分の1が切り刻まれる。
後方でふたりの活躍を見ていたラグネは、何て綺麗な魔法なんだろうと、改めて憧れた。僕も攻撃魔法が使えればよかったのに……
「おらおらぁっ!」
コダインが長剣をぶん回し、生き残ったコウモリたちを蹴散らしていく。ファーミとのコンビは鉄壁で、このふたりの行くところ敵はないように思われた。
辺りは魔物たちの真っ青な血潮で染め上げられる。ファーミとコダインが睡眠状態のコウモリにとどめを刺して回ると、動く魔物は一匹もいなくなった。
大勝利だ。見事というほかない。そしてそれは、ラグネがいなくてもパーティーがやっていける事実を明らかにしていた。
ファーミは振り返り、呆然と立ち尽くすラグネへ嘲笑を向ける。
「これで分かっただろ、ラグネ。自分はクビだ、ってな」
「ぎゃははは!」
コダインが卑屈に追従した。シュゴウが何やら唱えている。やがてラグネへ手の平をかざした。
「『突風』の魔法!」
突然ラグネの胸に強風がぶつかり、彼は後方へ大きく吹き飛ばされる。殺すつもりではなく、あくまでつま弾きにするための魔法だった。
「じゃあな、小僧!」
アリエルは無言で唇を噛み締めていたが、やがて思いを振り切るようにラグネへ背を向ける。
「勇者さま、行きましょう。もう少しで最下層です」
「おう。じゃあな、ラグネ!」
仰向けに倒れたラグネは、頭をもたげて4つの背中を視線で追った。胸の鈍痛のなか、涙でにじんだ瞳が、闇の向こうへ消え去る『仲間たち』をとらえる。
もう、無理なんだ。そのことが痛いほどよく分かった。
ファーミたちはランタンで周囲を照らしながら先へと進む。後ろから追いかけてくる音はない。よし、それでいい。
ところで気になることがあった。
「そういえば、何で冒険者ギルドのマスターは、あんな弱虫僧侶を俺たちに押し付けたんだっけ?」
コダインが顎をつまみ、はてと首をかしげる。思い当たることがあったのか、拳で平手を叩いた。
「そうだ、確かマスターが言ってたっけ。魔物『邪炎龍バクデン』討伐に成功したパーティーのなかで、もっとも功績を挙げたのがあのラグネだったとか」
ファーミとシュゴウはげらげら笑った。
「んなわけねえだろ!」
「ぶはははっ!」
アリエルは笑い転げる仲間たちに軽い憎しみを覚えた。しかし自分は結局、ラグネを捨てる決断に同意したのだ。ここでの憎悪は単なる偽善だわ、と、戒めるように頭を振った。
ラグネは迷宮中層へ戻る道のりにいた。ランタンの明かりは頼もしいが、魔物たちに自分の存在を悟らせる負の側面もある。かといって消せば真っ暗闇になり、足元すら不明瞭になってしまう。我慢するしかなかった。
勇者ファーミたちに追放された。こんな危険な迷宮の下層でクビにされて置いてけぼりにされた。ラグネは涙を腕でぬぐう。何て目に遭うんだろう。どうしてこんなことになってしまったんだろう……
唯一のなぐさめは、ファーミたちとパーティーを組んでここまで降りてくる際に、だいたいの魔物は倒してきた、ということだ。魔物の死骸を目印に、頑張って戻っていけば、何とか地上に出られるかもしれない。それだけが頼りだった。
だが……
「ひっ!?」
ラグネは自分の見込みの甘さ、運命の残酷さを思い知った。目の前に現れたのは、野生のそれより3倍は巨大な狼だった。魔物はランタンの光に目を細めつつ、むき出しの牙からよだれをしたたらせ、うなり声を上げる。
ラグネは凍ったかのように動けなくなった。恐怖と絶望で心拍数が急上昇する。腰を抜かしそうになり、あわてて杖にしがみついた。
「ぼ、僕は美味しくないよ……。巣に帰ってよ、お願いだから……!」
ここまで意味のない訴えもなかっただろう。餓狼はラグネに一歩また一歩と迫ってきた。すぐそこにある人間という名のごちそうに、早くも心躍っているかのようだ。
「た、助けてーっ!」
ラグネは大きく悲鳴を上げて、ランタンを抱えて逃げ出した。自慢ではないが、逃げ足の速さには自信があった――相手が人間のときに限るけれど。
曲がり角を曲がる。後を追って突進してきた狼は、急ブレーキをかけたが間に合わず、目の前の壁に激突した。凄い振動と轟音で辺りが波打つ。それでも食欲は衰えないらしく、狼は体勢を整えてまたラグネを追いかけてきた。
「誰かっ! 誰かーっ!」
転ぶように逃げながら、ラグネは必死に泣き叫んだ。
死にたくない。まだ死ねない。『アンドの街』にも行ってないし、『ミルク』の意味も分かっちゃいないんだから――
心臓がバクバクと、口から飛び出そうなぐらい早鐘を打っている。何とか足を前方へと繰り出し、狼を引き離さなければ。
だが――
「うわっ!」
右ふくらはぎに激痛が走ったかと思うと、ラグネは床に倒れこんでいた。何だ? 何が起こったんだ?
振り返ればすぐに了解された。狼がラグネの足をとうとうくわえたのだ。牙が皮膚を破って肉に突き刺さり、ラグネはあまりの痛みに声も出ない。熱い。痛い。血があんなに流れてる。




