0199ルバマ08(2040字)
ガセールの冥界統一戦争は、このときをもって本格的に始まったと言ってよい。
リューテ、ケロット、ジャイア、トゥーホ、ツーンの5名――悪魔騎士と名づけられた――はそれぞれ能力を開花させ、ガセールの五指として働いた。この冥界をひとつの手の平に収める、という構想には、彼らをして血沸き肉躍らせるものがあったのだ。
5人は互いに成果を競い合い、兵を従えて世界を舞台に駆け回る。彼らの翼は馬より速く、遠方にもその手は届いた。ガセールはむしろ5人の活躍の裏で暗躍し、挙がってくる吉報を待てばよい。自然、首都国はなじみ深いマシタル王国となった。
そうして、数百年が過ぎた……
「ほう、ついに難攻不落のラキシンを落としたか」
「はい。本日はその奏上にうかがいました」
ここはマシタル王国の謁見室だ。そこにはかつてと変わらない征服王ガセールが、当然のように玉座に収まっている。
「トゥーホよ、ご苦労であった。褒美は後ほど伝える。それまでゆっくりと休むとよい」
「ははぁっ!」
学者風のトゥーホは、110年に渡って抵抗し続けたラキシン王国を陥落させた。何しろ死の概念がない冥界のことだ。相手にその気があれば延々と篭城できるのだ。それと手足凍える寒冷な気候が、この長い長い攻略戦の原因となっていた。
トゥーホは闊達な足取りで謁見室を出ていく。着替え、食事、睡眠、それから……。しばらくは精神を洗濯する必要があると考えていた。
そこへ通りかかったものがいる。トゥーホは120年ぶりにその顔を見た。自然と会釈する。
「ルバマさま、お久しぶりです」
「久しぶりねトゥーホ。……聞いたわよ、ラキシン王国を手に入れたとか。おめでとう」
「ありがとうございます」
ルバマも前に会ったときと寸分たがわなかった。白い長髪に褐色の肌。やつれているということもない。
「じゃあトゥーホ、早速だけど新しい転移魔法陣を試したいの。中庭で待ってて」
出ましたね、とトゥーホは内心溜め息をついた。マシタル国名物、ルバマの魔法陣試験。自身の両目にうんざり感が浮かび上がるのを隠すべく、彼はサングラスを押し上げて目元を隠した。
ルバマの魔法陣試験とは簡単な話だ。『ガセールの五指』と呼ばれる、翼を持った元『生きた人形』たち5名。彼らがマシタル国にいない間、ルバマと腹心の吸血鬼がせっせとこしらえた転移魔法陣の数々を、一枚一枚試していこうというのだ。今回は自分の番らしい。
トゥーホは中庭の木椅子に座った。長い石造りのテーブルに手を置いてみる。昔、5人がまだ未知の土地へ出発していなかったとき、ここでガセール王と晩餐を取ったことがあった。
ジャイア、リューテ、ケロット、ツーン。今頃何をしているのだろう。自分と同じように、僻地で篭城兵に苦戦していたりするのだろうか。
「お待たせ!」
ルバマが現れた。左右の脇に、巻物かと見紛うような大量の布を丸めて抱えている。背中にもじゅうたんのように背負っていた。重そうなその姿に、トゥーホは慌てて駆け寄って、布下ろしの作業を手伝う。
「ずいぶんまたたくさん作りましたね。相変わらず頑張る人だ」
「まあ、ね。それじゃ魔法陣試験を始めましょうか。まずはあたしの最高傑作から」
ルバマが布を敷き、呪文を詠唱する。ぶつぶつとつぶいてから、手をかざした。
「『転移』の魔法!」
締めのひと言を放つと、描かれている転移魔法陣が、鮮やかな赤色で浮き上がる。多重円が回転を始め、まるで宝石がダンスを踊っているような見た目となった。
「さ、まずは一枚目。よろしくトゥーホ」
「では……」
トゥーホは魔法陣のそばにひざまずき、中央へ手を伸ばした。この手が通れば成功だ。ルバマだけでなく、彼も少し緊張していた。
そして――
「駄目ですね」
トゥーホは手形を刻むように手の平を当てたが、それはただ布の感触だけを返してくるばかりだ。人間界の空気にすら届かない。ルバマはさぞやガッカリしているだろう、と見てみたが、彼女はすでに2枚目を隣で広げていた。目はきらきらしている。
「じゃあ次、これ。これは弟子の吸血鬼の最高傑作」
やれやれ。トゥーホはひとつ肩をすくめると、ルバマの研究に付き合うべく立ち上がった。
「これで全部試したわ。全部駄目だったけど……」
夜も更けたころ、ようやく魔法陣――全98枚――の確認を終えた。結果はすべて不合格。トゥーホはその強すぎる力のため、一度も人間界へ渡れなかった。
トゥーホにしてみればたった半刻の作業でも、ルバマにとっては数十年、数百年の努力の積み重ねだったのだ。試験が進むたび、彼女の顔から生気が失せていくのを、トゥーホは痛ましい思いで見やっていた。
「お疲れ様です。ひとつ質問なんですが……。何でガセールさまご本人に、魔法陣試験をお願いしないのですか? 5人衆が戻るまで待って試してみるなんて、回りくどいことをせずともよいでしょうに」
ルバマは猫のように頭を振った。
「そんな不敬なことできるわけないわ。あのお方の手をわずらわせることは、できる限り避けておきたいのよ……」




