0188ザオター06(2228字)
やがて4日かけて、ザオターは東の山に到着した。それほど高くはない。馬を木に繋ぐと、ガセールの入った皮袋を抱き締めて登山にかかった。昼だというのに空は暗い。ひと雨来そうだった。
体力には自信がある。しかし、馬が潰れてはいけないので仕方なしに休んだ以外、満足な休憩を取っていなかった。そのため体は鉛のように重く、繰り出す足はどうしても鈍くなる。
「ガセール、お前が生き返ったら、一緒にママの墓参りに行こうな。健康になったお前の姿を、ママに見せてあげるんだ」
明るい未来を話していると、最後の力が絞り出てくるようだった。ザオターはよろけたりつまずいたりしながらも、どうにか頂上へたどり着く。
いつの間にか空には黒雲が広がり、雷鳴がとどろくようになっていた。嵐だ。だがそれも好都合というものだった。ガセールを蘇生させるいかずちが、落ちやすくなるというものだから。
「山の頂上に、孤独に置く――だったな」
ザオターは皮袋を開いた。なかから悪臭とハエが飛び出し、あちこち蛆虫に食われて欠損した赤子が見える。ザオターはむせび泣きながら、ガセールを見晴らしのいい頂上に置いて、その場から離れた。
「頑張れ、ガセール。頑張れ。もう少しだ。安心しろ、パパがついてる」
今まで降らなかったのがおかしいほどの雨が、ぽつぽつと地面を叩く。ほとんど間をおかずして、それは豪雨に成長した。自分が雷に撃たれては意味がないので、ザオターは頂上から十分に距離を取る。
そのときだった。
「よお、なかなか美味そうな肉体をしてるじゃねえか」
長髪に髭を生やした、獣の皮が衣装の小汚い男たちが5人ほど現れる。ザオターは土砂降りに水浸しになりながら、彼らを見やった。
「何だ、お前らは」
「……かかれ」
5人はザオターに襲いかかり、その服や武器を無理やり奪い取る。ザオターは殴られ蹴られ、最後は粗末な縄で拘束された。
それで分かった。こいつらはこの山に巣食う山賊なのだ、と。
「俺をどうする気だ」
山賊たちの頭領らしい、禿げ頭が嘲笑してきた。
「お前、嘘つきのジルワードにだまされたな」
「何?」
なぜこいつらはジルワードのことを知っているのか。
「俺たち山賊はあいつと提携していてな。あいつは目ぼしい客に適当なことを言い、この東の山――といっても季節によって東西南北と変えているが――に向かうよう命じるんだ。そして俺たちは奴から報酬をもらいつつ、やってきた馬鹿を殺して肉を食らう。そういう手はずになってるんだよ」
下卑た笑い声が彼らの口から発せられた。ザオターは顔から血の気が引いたが、無論我が身を心配してのことではない。
「じゃあガセールが……死んだ赤子がいかずちによって生き返る、というのは……」
山賊たちの哄笑が雨音を一時的にかき消した。
「生き返るわけねえだろ、馬鹿が! 今までいろいろな馬鹿を見てきたが、どうやらお前はそのなかでも特大級の大馬鹿らしいな! 死んだらそれで終わりなんだよ、タコ!」
ザオターはさっきの殴打よりも深刻な衝撃を、その心に受けていた。ガセールは生き返らない。死んだまま。ただ朽ち果てるのみ……
希望が『常識』の金槌で粉砕されると、ザオターは激怒で震えた。妻ラネッカとその胎児ガセールを殺したキョコツ。でたらめを教えてきた占い屋ジルワード。そして徹底的に痛めつけられ、最後の希望にすがってここまで来たものを、無残に殺して食らう山賊たち……
「許さん……!」
ザオターは悔し涙を流した。それは降雨に紛れて頬を伝う。山賊たちは何度目か分からない冷笑を放った。
「何が『許さん』だ、この間抜けめ! さあ、お前はもう終わりだ。そっ首叩き斬ってやる!」
ザオターは足を縛られていないのをいいことに、急に立ち上がって山賊たちの囲みを突破する。
「うおっ!?」
不意をつかれて転ぶものを見向きもせず、山頂へと全力で走った。
ガセール。あいつをひとりにしてはおけない。パパが、パパが守ってやる。
そのときだった。稲光とともに、鼓膜が破れそうな轟音が響き渡ったのは。
今のは確実に頂上へ落ちた。ザオターはさらに駆け上がり、とうとうその場所へとたどり着く。そして、そこには……
黒焦げの、赤子だった残骸が煙を立ち昇らせていた。
「うわあああぁっ! ガセールーっ!!」
ザオターは号泣し、その場に両膝をつく。何てことだ。ガセールが、未来が、目の前で消滅してしまった。
「うおおお……っ!」
ザオターは怒り狂った。許さない。俺から家族を奪ったものを、俺にでたらめを教えたものも、俺をとって食おうとするものたちも。全員、全員許さない。
ザオターは追いかけてきた山賊たちに向き直った。殺してやる。そう心に決めて飛びかかった。だが拘束されているザオターには攻撃能力がない。
山賊たちはザオターを滅多斬りにした。すさまじい激痛、果てのない出血、肉や骨が断ち切られる衝撃。ザオターは苦悶のうちに、自分の血溜まりへ沈んだ。
山賊たちがせせら笑う。その声が遠くなっていった。視界が虹色に明滅し、全身から力が抜けていく。
ザオターは、人間たちへの恐ろしいほどの恨みを抱きながら、目を閉じた。
何も見えない暗闇のなかで、ザオターは誰かに抱き締められる。感触としては、未熟な女、といったところか。死体のようにひんやりしている。
彼女は不思議な声を出した。感情も抑揚もない無機質な旋律。
『いと汚れし魂よ。悪魔の名において、そなたを真なる御使い「特別な悪魔騎士」に迎える。幸あらんことを』
特別な……悪魔……騎士……?




