0185ザオター03(2098字)
「それからお前、私が妻を用意するから、そいつを娶れ。結婚するのだ」
再びザオターは頬っぺたを張られたような衝撃を受ける。
「お、奥さんを!? この俺が、ですか?」
「悪い話じゃあるまい。本当は農奴の結婚など認められないのだがな、今回は特別だ」
「はあ……」
こうしてトントン拍子に話は進み、ザオターは農奴20人に鞭を振るう立場となった。
そして、妻となる女・ラネッカが家にやってきた。緑色の髪を編んで垂らし、細身だが健康的な肌艶をしている。
「よろしくお願いします、ザオターさま」
取り立てて美人でもなく、スタイルこそ悪かったが、温和で優しげな瞳がいとおしかった。ザオターは彼女をひと目で気に入り、その手を取る。
「こちらこそこれからよろしく、ラネッカ」
それからザオターは幸せな日々を送った。部下の農奴らへの鞭は最小限にとどめ、何なら自分も一緒に鍬を振るった。ラネッカはその気立てのよさから、こと細かい世話をしてくれる。
そして秋には、大土地所有者のジョグモも感心するほど、ザオターの土地ががよい収穫をもたらした。
「どうやったんだ。まるで魔法だな」
この頃、魔法はまだ一部の人々しか使っていない。ザオターは謙遜した。
「たまたまですよ。たまたま」
ジョグモは納得したように深く首肯する。
「そうだな。前任者のキョコツが駄目すぎただけだろう」
ザオターは苦笑したが、どうせならもっといいほめ言葉が欲しかったな、と内心でつぶやいた。
何にしても無事に貢租が済んで、ひとまず安堵したザオターだった。これから冬小麦の播種が始まるが、その間隙をついたかのように、妻ラネッカから相談があった。
彼女はひどく落ち込んでいる。あたかもザオターに申し訳なさそうにうつむいていた。
「あなた」
声も暗い。
「何だいラネッカ」
「私、最近吐くことが多かったでしょう?」
ザオターは確かに、と思った。苦しそうにする彼女を介抱する機会も増えている。まさか重い病ではないか? 不安が拡大して胸郭が破裂しそうだった。
「それで……?」
「そうして私、この頃は生理が止まっててね。今日産婆に見てもらったの。そうしたら……」
「そうしたら?」
急にラネッカは面を上げて、なんとも可愛らしく微笑んだ。さっきまでの沈鬱さが嘘のようだ。
「どうも私……妊娠したみたい!」
その言葉に驚愕するザオター。頭のなかで意味を反芻すると、ようやく心の霧が晴れた。
ザオターは妻を引き寄せて強く抱き締める。何て人の悪い奥さんだ!
「びっくりしたじゃないか!」
「ごめんなさい。驚かせたかったの!」
ザオターは彼女の耳元でささやいた。
「ありがとう、ラネッカ。俺はパパに、きみはママになるんだな」
「ええ、そうよ。ああ、どんな子が生まれるのかしら。今から楽しみね」
「俺は男の子がいいな。きっと俺に似て格好いいに決まってる」
ラネッカはくすくすと笑う。
「じゃあ私は女の子がいい。きっと私に似て可愛いと思うから」
ザオターは強く抱擁した。
「ラネッカ、愛してるよ。幸せだ」
「私も……」
それからラネッカのお腹はどんどん膨れていく。年をまたいで5ヶ月が経つと、彼女はすっかり妊婦の外見となっていた。
ザオターは仕事を終えた夜、妻のお腹に耳を当てて、赤ちゃんが動く音を聞くのが楽しみだった。
「今動いたよ、ラネッカ。きっと胎内で暴れているに違いない」
「ええ、私にも分かるわ。すくすく育っているみたいね。嬉しい……」
ふたりとも新たな家族の誕生を心待ちにしている。いや、彼らだけではない。ザオターの抱える農奴たちも、ほかの監督官たちも、ふたりの赤ちゃんが健やかに生まれてくれることを願っていた。ザオターとラネッカ夫婦の人柄のよさがそうさせたのだ。
だが――
そんな幸福な日々は、ある日突然終わりを告げるのだった。
4月のその日、復活祭が祝われ、街は祝賀ムードに包まれている。そこでいろいろな買い物を終えたザオターら監督官たちは、馬に荷物を載せて、村への帰路にあった。
肉の断食も終わっている。今夜は農奴たちに酒や豚肉でいい思いをさせてやろう。一行は終始にこやかだった。
ザオターは自分の金を奮発し、妊婦用の麻のキトンを購入している。この頃の服はまだまだ高価だった。それを思い切って手に入れたのだ。これでラネッカもその胎児もゆったりできるだろう。
「ザオターさん、子供用のおもちゃまで買うとか言い出すからなあ。参っちゃったよ」
一同のなかでも冗談好きで知られる若者が、そう言って周囲を笑わせた。
「さすがに気が早すぎるっての」
「ザオターさんらしいや」
「ちげえねえ、ちげえねえ」
ザオターは頬に熱を帯び、苦笑して頭髪をかき回す。仲間内では愛妻家として知られる彼であった。
「じゃあまた後でな」
「ああ」
ザオターは自分の荷物を肩に担ぎ、ラネッカの待つ自宅へと歩き出した。今夜はみんなそろっての宴会だ。もちろんラネッカも、酒は飲ませないにせよ、一緒に参加させるつもりだった。
「おーいラネッカ。帰ったぞー」
黄昏どきだ。日干しレンガや木材で造られた住居には、テラコッタで葺かれた屋根がある。いつもなら、キッチンから料理の芳香が鼻腔をくすぐりにくる時間だというのに、その気配はない。




