0141隠者ジーラカ06(2065字)
「だぁっ!」
決勝戦でハルド――本名はアーサーの内臓を破裂させた、必殺の前蹴りを叩き込む。
「ぐふぅっ!」
リータが顔を歪めて一瞬落ちかけた。やったか? だが、すぐに余裕ある表情で彼女は持ち直す。
「いい蹴りじゃねえか。まともな人間なら死んでたかもな」
信じられない。リータは内臓まで鍛えられているのだろうか。それともこれが『強化者』の実力とでもいうのか……!?
再び蹴り合いが始まった。しかしコロコは右拳で弾かれるのを恐れるあまり、下段蹴りしか繰り出せない。それがリータの目を慣らしたようだ。
コロコが何発目か数え忘れた下段蹴りを決めたときだった。リータがその痛みを我慢して受け止め、必殺の右正拳突きを放ってきたのだ。
鉄拳を顎に食らったコロコは、衝撃音とともに吹っ飛んだ。私兵隊員たちのなかに背中から無残に倒れる。
「そこまで!」
隠者ジーラカの制止の声がかかった。私兵隊員たちが一瞬大喜びする。
「どうだ、これが俺たちの隊長の実力だ!」
「リータ隊長こそ最強だ!」
「……いや、待て……」
歓喜の声がすぼんでいくと、リータのうめき声がはっきりしてきた。彼女は右腕をだらりと垂らしている。その肘関節が、明らかに曲がってはいけない方向へ曲がっていた。
「ぐはあぁ……!」
いっぽう、コロコは顎の骨が折れたか、口から血をこぼしながら立ち上がる。それでもその目には闘志が燃え盛っていた。
ジーラカが澄まして言った。
「やられたね、リータ」
どうやらコロコはリータの正拳突きを食らうと同時に、その肘関節を下から拳で突き上げていたらしい。そのため、リータは右肘を骨折させられたようだった。
「すみません、ジーラカさま……」
「コロコもリータもおいで。今回復してあげる」
コロコはよろけて、ルミエルに抱きとめられた。
「大丈夫かい、コロコ」
「あんまり……」
ルミエルに肩を借りて、ジーラカのもとに向かう。ジーラカは呪文を詠唱し、コロコ、次いでリータに回復魔法をかけた。そのうえで笑いかけてくる。
「リータ相手に、普通の人間の身でここまでやるとは立派だ。約束どおり、コロコ、お前を強くしてやろう」
すっかり元に戻ったコロコは、ジーラカが宝箱から妙な水筒を取り出すのを見た。
「私、喉は渇いてないけど」
「馬鹿を言うんじゃないよ。これが『強化者』になるための秘薬なのさ」
ジーラカに渡された水筒のふたを開けると、なかには黒い濁った液体が入っていた。不味そうだ。
「いいかい、そいつは飲めば飲んだ量だけ強くなれる、魔法の薬だ。ただし、そいつは毒でもある。あまり飲みすぎると、かなり強力な目的意識と忍耐力がない限り、お前を殺すことになるだろう」
「全部飲んでもいいの?」
「構わないが、地獄の苦しみを味わって死ぬ蓋然性が高い。まあふた口ほどにとどめておくんだね」
リータが口添えした。
「あたいは三口ほどにしておいた。それがこの強力な右腕を生み出してくれたけど、正直半刻ほど苦しんだね。まああんたなら、四口ぐらいはいけるかもしれないが」
コロコは水筒の水面を覗き込んだ。自分の顔が映っている。弱くて頼りない。そう思った。
「全部飲むわ」
室内がいっせいにざわついた。
「正気か?」
「すぐに死ぬぞ、あいつ」
「あの薬の苦しさを知らないんだろ」
ルミエルがコロコの肩をつかんだ。
「きみはどうかしているよ。きみは今のままでも十分強い。これ以上強くなる必要はないよ。それに最悪死ぬかもしれないというのに……」
「心配してくれてありがとう、ルミエル。でも私、ラグネと一緒に戦いたい。いや、ラグネをこの手で守ってあげたいの。だから飲む」
「命をかけるなんて愚かだ」
「ごめんね。私、馬鹿なの」
ルミエルが気おされて後ずさった。コロコは水筒を前に、深呼吸する。
そうして、魔法の薬を一気にあおった。無味無臭で、単なる水を飲み干すような感じだ。コロコは水筒を空にしてじゅうたんに置く。
ジーラカ以外、まるで悪魔を目の当たりにするかのような視線を、コロコに浴びせてくる。しかしコロコは特に苦しくない。
「何よ、何でもないじゃない。びっくりさせて……」
その瞬間、全身の血液が泥になったような感覚が走った。
「がっ……!」
心臓が早鐘を打つ。胸の辺りがよどんで苦痛の発信源となり、四肢が激痛にとらわれた。
「ぐあああ……っ!!」
リータが倒れかけたコロコを受け止め、肩にかつぐ。ケゲンシーとルミエルに非情に告げた。
「生か死か、結果が出たら教えてやる。それまではそこで待ってな」
そうして洞窟の奥へと去っていく。大勢の視線が扉で塞がれると、誰かが一回手を叩いた。ジーラカだ。
「そこの付き添いのふたり。コロコが言っていた『スライム』とやらについて、もっと詳しく教えてもらおうかね。何、酒と飯ぐらいはただで出してやるよ」
コロコが運ばれた部屋は、独房のような狭いところだった。そこでコロコはひとり苦しみ続ける。
剣山で神経を引っかかれるような激痛が、全身いたるところで発生していた。閉じているまぶたの裏では、虹色の光彩が乱舞する。心臓が爆発しそうなほど鼓動し、悪寒と吐き気に苦悶した。




