0128冥界の生物06(2192字)
一刻が経過した。城からの避難はようやく最終段階、兵士たちの移動に入る。
「イヒコ国王、どうか、どうか真っ先にお逃れください! 我々は後でも構いませんので!」
「ええい、何度言わせれば分かる! ここの城主は、この国のあるじはこの俺だ! お前らは無駄口を叩かず、さっさと脱出すればいい!」
いっぽう、ラグネとケゲンシーのスライム退治は難局を迎えていた。疲労である。
「はあ、はあ……」
ラグネは大粒の汗を顎にしたたらせ、マジック・ミサイルを放射し続けていた。それでもひたひた押し寄せるスライムたちは際限がなく、一向に減る様子がない。
かつて魔王アンソーの魔物たち数万を相手に、孤軍奮闘したことがあった。そのときはかたわらに賢者ハゾンがいて、回復してくれる予定だった――その前に魔王の奥義『ゾイサー』で離れ離れにされてしまったが。
ともかく回復役のいないラグネの精神的・肉体的疲労は極限に達しようとしていた。だがラグネは愚直に光芒の怒涛を降らせ続ける。それで自分の体がどうなっても構わない、と思い極めていた。
そんななか頭の片隅をよぎるのは、夢幻流武闘家コロコと、傀儡子ニンテン一家の存在だ。この建物はマリキン国王イヒコ陛下の居城だという。ケベロスの街にも近い。だがさっき兵士に尋ねたところでは、そんな人々が入城したという話はない、とのことだった。
コロコさんたちは、いったいどこへ逃げたのだろう? そんな疑問を抱きながら、光の矢を濁流のように叩きつけていく。
そのときだった。
「だ、駄目だわ!」
南西の門を担当していたケゲンシーが、鋭く悲鳴を上げる。見れば、ケゲンシーの魔法による排撃を、スライムたちの物量が上回ったらしかった。南西の門からスライムたちが侵入してきている。門と城壁のわずかな隙間に自らの体を押し込み、通り抜け、ついに城内へたどり着いたのだ。
そして虐殺は開始された。
「ぐわあっ!」
「ひいっ! く、来るなっ!」
「ぐはああっ!」
自らの輸送の順番を待っていた兵士たちが、黒い怪物の伸ばした手で捕らえられ、大きな口へと放り込まれる。咀嚼する口からは、「餌」の悲鳴と鮮血が飛び出し、後にすぐ途絶えた。
スライムたちは我先にと人間たちを捕食していく。ラグネはどうにかしたくてたまらなかったが、体力が追いつかなかった。
ケゲンシーが羽を羽ばたかせてこちらへ飛んでくる。
「もう抑えるのは無理です! ラグネ、せめて人員の脱出を助けましょう!」
城内にはもうスライムたちがあふれかえっていた。助ける、というのは、歩廊の隅で恐怖に震えている哨兵たちのことだ。
ラグネは荒い息をつきながら、悔しさで拳を握り締めた。こうしている間もスライムたちは阿鼻叫喚の地獄絵図を紡ぎ出している。考えている時間はなかった。
「分かりました! ……ほら、そこの人。僕につかまってください」
「すまん!」
金色の翼を広げて、ラグネとケゲンシーは兵士を抱えながら崖のほうへと飛翔する。
そこではデモントとタリアが、いまだ終わらぬ人の移動を変わらず担当していた。ラグネたちの姿を見て事態を察する。
「潮どきってことか。まあ絶叫が上がってたんで、そろそろだろうとは思っていたけどな」
ケゲンシーはうなずいた。
「そうよ。もうこの城は駄目だわ。デモント、イヒコ国王は? もう運んだのよね?」
「いや、まだだ」
ラグネとケゲンシーは喫驚する。最高位の人物がまだ谷を渡っていないのか。何を考えてるんだ!?
「僕、見てきます!」
「俺さまも行こう」
ふたりは抱えていた人員を対岸へ送り届けてから、城のなかへ入った。
そこではイヒコが相変わらず陣頭指揮を執り続けている。
「早く来い! おお、ラグネ、デモント! こいつらもすぐに連れて行ってくれ!」
兵士たちは泣いている。恐怖を忠誠が上回ったのか、その言葉は悲壮感に満ちていた。
「陛下、どうか私たちには構わずお逃げください! 我々はもう覚悟しています! どうか、どうか御身の無事を最優先してください……!」
「何を言っている。無駄口を叩いている暇があったらさっさと行かんか! 俺は最後の最後まで残るぞ。何せこの城は俺のもの、この国も俺のものなんだからな」
デモントはため息をつく。
「やれやれ……」
そしてイヒコの背後に回ると、彼の後頭部を思い切り殴りつけた。
「ぐっ……!」
イヒコは崩れ落ちるところを兵士に抱きとめられる。失神していた。
「すまねえな、手荒な真似しちまって。国王は俺さまたちが連れて行く。あと3人、来い」
互いに譲り合い、もたもたする兵士たちをデモントが大喝する。
「早くしろ! 時間がねえんだ! それとも国王ともどもここで食われたいのか!?」
かくしてラグネとデモントは背中にひとり、両腕で抱えるひとり、計ふたりずつ運んで城を飛び立った。
そのときだ。スライムたちが扉を蹴倒してあふれ出てきたのは。
「がはあっ!」
「ぎゃああっ!」
「陛下を頼む……ぐぎゃっ!」
残された兵士たちが断末魔の叫びを上げる。ラグネは耳を塞ぎたい気持ちを押し殺し、何とか対岸へ到着した。近衛兵らを下ろして振り向くと、スライムたちがこちらへうようよと手を伸ばしていた。だが、さすがに距離があって届きはしない。
デモントがいたわるようにラグネの肩を叩いた。
「仕方がねえ。人間、できることには限界があるってもんだ。行くぞ」
「はい……」
ラグネは心のなかで弔意を示すと、後はもう振り返らずに、人の長い列を追いかけた。




