0116傀儡子ニンテン09(2308字)
彼女の言っていることはよく分からなかったが、ラグネはとりあえず今しがたの体験に恐怖していた。まるで自分が自分でないみたいに、強烈に『冥王』への忠誠心で胸郭があふれていたのだ。体が腐って崩れていく感覚に似ていたといえる。
だが、ともかく元に戻った。ありがたいことだった。
ケゲンシーが青い肌のデモントに叫ぶ。
「デモント! ラグネを殺しなさい! 彼は危険です!」
命令されたデモントに、さっきまでの陽気で明るい態度はなかった。まるで人が変わったみたいに両目を吊り上げ、その手に三叉戟を出現させる。
「ラグネ、くたばれっ!」
心からの憎しみとともに、彼の三叉戟が伸びてきた。ラグネは光球を出現させる。
「マジック・ミサイル!」
三叉戟に殺到した光の矢は、対象物を完全に滅亡させた。だがすぐに新しいものが飛び出してくる。
また、ケゲンシーの右手に呪文書が現れていた。無詠唱の魔法攻撃が可能な代物だ。
「『雷撃』の魔法!」
だがそれにもマジック・ミサイルの濁流が押し寄せ、電光は宙で消えてしまった。ケゲンシーが怨嗟の声を上げる。
「まさか魔法すら消滅させるなんて……!」
ラグネは光の怒涛を放ちながら、必死にデモントとケゲンシーに叫んだ。
「やめてください! 僕はあなた方を殺したくない! 手を引いてください! というか、何で僕を攻撃するんですか!? おかしいでしょう!」
さっきまであんなに普通だったのに、どうしていきなり凶暴になってるんだろう? その答えをケゲンシーが怒声で返してきた。
「これが本来の悪魔騎士の姿です! これが『生きた人形』から人間化した存在のあるべき姿なんですよ。そうでないあなたから赤い宝石を奪い取らせていただきます!」
二日酔いの影響が残っていて、ラグネはだんだん疲れてきた。その気になればデモントもケゲンシーもすぐに殺せるが、それだけは絶対にしたくない。しかしその甘さがこの状況の悪化を引き起こしていることは紛れもない事実だった。
ラグネは苦し紛れに訴えた。
「ニンテンさんやターシャさんやクナンさんが悲しみます! 3人のことを思い返してください!」
この何気ない言葉は、しかし絶大な効果をもたらした。ふたりの攻撃が止まったのだ。ラグネは慌てて光の矢を逸らす。
青い肌のデモント、ケゲンシー、タリアが、頭を押さえて苦しんでいる。どうやら愛すべき生みの親、慕うべき人々の名前で動揺しているようだった。
「ラグネ、翼出して!」
コロコが鞭のように要求した。ラグネは我に返ると、光球を背中に吸い込んで黄金の翼を広げた。コロコとボンボを抱き寄せると、空へと舞い上がる。ボンボがまくし立てた。
「ラグネ、ここはケベロスの街にいったん引こうぜ! あいつらおかしくなっちまった! それに、どうも『神の聖騎士』――じゃなくて『悪魔騎士』――とやらが4人揃わないと、冥王ガセールは呼び寄せられないみたいだしな」
「そうみたいですね。正直何がどうなってるのかさっぱりですが、ここは逃げるとしましょう!」
コロコが背後を振り返って仰天する。慌ててラグネに注意喚起した。
「ケゲンシーが追ってくるよ!」
悪魔騎士のケゲンシーがフラフラと飛んできている。しかしまだ精神的混乱から回復し切れていないのか、その飛翔はおぼつかなかった。
それでも右手の呪文書をぺらぺらとめくり、目当てのページを見つけたか、そこに左手をかざす。そしてこちらを指差した。
次の瞬間、指先から針のようなものが飛び出して、ラグネの足裏に突き刺さった。しかし痛みは感じない。
「何でしょう? 今のは……」
ラグネの疑問をよそに、ケゲンシーは力尽きたといわんばかりに森のなかへ降下した。追っては来ないみたいだ。
順調に飛行するラグネは、しかしやがて目まいに襲われた。動悸が酷くなり、汗が滝のように流れていく。呼吸も荒くなって、息を吸ったり吐いたりするのが億劫になってきた。
コロコが心配してくれる。
「ちょ、ちょっとラグネ、いったん降りよう。おかしいよ、今のきみ」
「そ、そうですね。でもこの程度、すぐに回復しますよ」
ラグネの楽観的な予測は無残に外れた。ケベロスの街に着陸したラグネは、翼をしまうとすぐに意識を混濁させて苦しみ始めたのだ。
コロコが発狂寸前の狼狽を見せる。
「ラ、ラグネ! どうしよう、どうしようボンボ! ラグネが死んじゃうよ!」
「落ち着け。とにかくひと目につかない場所へ移そう。今デモントたちに見つかったらいっぽう的に殺されるぞ」
コロコとボンボはふたりがかりで、ラグネを公園の木陰に隠して寝かせる。ラグネは熱を持ち、汗をかいて浅い呼吸を繰り返していた。ボンボが鞄から魔法陣の布を取り出し、地面に広げる。
「それは何の魔物を呼び出すの?」
「前においらの血液で召喚したやつだ。血液のスペシャリストだから、きっとラグネの診断をしてくれるに違いない」
ボンボは呪文を詠唱すると、「『召喚』の魔法! いでよ吸血鬼!」と叫んだ。
魔法陣から知的そうな相貌に豪華な衣装をまとった男が浮かび上がってきた。牙が口からのぞいている。ずいぶんと痩せているのは前のとおりだ。
「お呼びいただけて光栄です。ご用命をどうぞ」
ボンボはラグネの親指を噛み切り、噴き出した血液を吸血鬼に差し出した。
「これを舐めて、今のラグネの状態を教えてほしい。できるな?」
「お安い御用で」
吸血鬼は血液を舌ですくい取ると、まるでぶどう酒を吟味するかのように口内で転がした。
「これは魔法による死毒ですな。まともな人間なら半日で死亡します」
コロコが絶句した。ボンボが顔を険しくして問いかけた。
「どうすれば治せる?」
吸血鬼は絶望的なことを語った。
「解毒剤は、これをしかけた術者の血液。それ以外にありません」




