表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白薔薇園の憂鬱  作者: 岡智みみか
83/85

第2話

 そう言われても、簡単に立ち上がるわけにはいかない。

ここで出て行けば、彼の言い分を全て認めたことになる。

それでも今は、出て行かなければならない。

彼に対抗するだけの材料を、私は持っていない。

震える手でバッグをつかんだ。


「今は帰ります。だけど、私にはあの大皿が、あなたの作品とは思えません!」


 彼はじっと私を見下ろした。


「吉永さんが、それでもあの作品は自分の作ったものだと、あなた自身でそうおっしゃるのなら、誰も疑う人はいないでしょうね」

「えぇ。私はそれで満足なんですよ」


 立ち上がり、彼に背を向ける。

早くここから抜け出したい。

勝手に涙があふれ出してしまう前に、自分が自分に負けてしまう前に。

一刻も早くここから出て行きたい! 

逃げだそうとして、すっかり日の落ちたガラスドアの向こうに見つけたのは、ひょろりと背の高い卓己だった。


「こんばんは」


 雨でも降り始めていたのか、卓己は閉じた傘の水滴を払うと、傘立てにそれをさす。

その場で濡れた服を気にするような仕草をした。


「お久しぶりです。安藤卓己です」


 彼はゆっくりとした足取りで店内に入ると、吉永さんに片手を差し出した。


「卓己くん! 久しぶりだね。ご活躍の様子は、かねがねよく聞いてますよ」

「とんでもございません。吉永さんも、お元気そうでなによりです」


 卓己が微笑む。

握手を交わし終わったそれを、すぐにポケットに突っ込んだ。

壁際に並ぶショーケースをのぞき見る。


「あぁ、いいものが揃ってますね。さすがです」


 背中を丸め、その一つ一つをみて回る。

卓己は何をしに来たんだろう。


「何か気になるものでも、おありでしたか?」


 吉永さんは卓己に声をかけた。

姿勢を戻した彼は、にこっと微笑む。


「えぇ。紗和子さんのお迎えに来ました」


 そう言うと、卓己は私に向かって手を差し出した。


「ほら。一緒に帰ろう」


 私は突然の彼の登場に状況が飲み込めなくて、じっと立ちすくんでいることしか出来ない。


「どうしたの? 帰らないの?」


 伸ばした手を引っ込めた卓己は、耳元でささやく。


「ね、早く帰ろう」

「わ、私は……。吉永さんに用があって来たの!」

「どんな用事?」


 返答に困って、吉永さんに視線を向けると、卓己も一緒に彼を振り返った。

吉永さんはさっきまでと打って変わった、とぼけた表情を見せる。


「いいえ。特に問題はございませんよ。もう解決しました」

「だって。紗和ちゃん。じゃあ帰ろっか」

「帰らない!」


 ここまで来て、卓己に連れ帰られるわけにはいかない!


「こ、この人、うちのおじいちゃんの作品を、自分の作品だって偽って、オークションに出してたの!」

「……」

「だから、文句を言いに来たわけ!」


 じっと私を見下ろす卓己の表情は、何一つ変わらない。

一切動じることのない彼に、逆に私がうろたえ始める。


「そ、それで! それで……。文句、言いに来た」

「文句は言えたの?」

「言った!」

「じゃあもうお終いだね」

「お、お終い?」

「うん。帰ろ」


 もう一度手を伸ばした卓己に、私は激しく頭を横に振った。


「まだ帰りたくないの!」


 そう言った私に、卓己はショーケースへ視線を戻した。


「ここに並んでいるのは、どれも吉永さんの作品ですよね」

「いいえ。そういうわけでもございませんよ」

「あはは。それはウソだ」


 卓己はゆっくりと、一つ一つに視線を落とす。

作品横に置かれたキャプションには、制作者の名前と製作年が書かれていたが、そこに吉永さんの作家名である『矢沢映芳』は少ない。


「見る人が見れば、ちゃんと分かりますよ。ここに並んでいるのは、どれも同じ一人の人間の手で作った作品だって。それぞれに作者の個性というか、特徴みたいなものが出ている」


 吉永さんの顔が、一瞬ムッと曇った。


「作風を変えたって、同じです。どれもみんな、素敵ですよ。これは全部、あなたの作品だ」


 卓己は姿勢を戻すと、吉永さんに向かって微笑んだ。


「もっと自信を持てばいいのに。あなたの悪いクセは、すぐ後ろ向きになることだって、よく言われてたじゃないですか。あなたにはあなたの良さがあるから、あきらめずに続けなさいって。そうやって恭平さんから、よく言われてましたよね」


 ガラスケースに触れていた卓己の手が、そこを離れた。


「自分をごまかしたり、卑下するようなことは必要ないんです。あなたはあなたのままで、十分評価されています。自分の作品が認められないのは、あなたの名前だからじゃない。他の人の名を使って自分を売ろうとしても、それがあなたの作品かそうでないかは、僕にはわかります。もちろん紗和子さんにも」


 卓己はもう一度、にっこりと微笑んだ。


「あなたのことは、いつも気にして見ていますよ」


 吉永さんはぐっと押し黙ったまま、横を向いた。卓己は私の手を取る。


「さぁ、もういいよ。帰ろう」


 卓己に引かれ、店を後にする。

すっかり日の暮れた街には、小雨がぱらついていた。


「あぁ、傘を忘れてきちゃった」


 卓己は今度は、その穏やかな笑顔を私に向けた。


「ま、いっか」


 しっとりと雨に濡れた街を、卓己と手を繋ぎ歩く。

泣いている私を、彼は一度も慰めたり振り返ったりしなかった。

泣きながら歩く秋雨の上がった夜の街は、キラキラと全てが輝いて、繋がれた手は何よりも温かかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ