第一章 8
屋敷の前の綺麗な芝生に、僕とリンゴの二人でいる。
日差しは強いが、気温は高くない。リンゴは涼しい顔をしているが、エンプティなので、快適かどうかはわからない。
「エンプティのコツってある?」リンゴは、ストレッチの様に体を動かしながら言った。
「長くダイヴする事かな」僕は答える。
「他には?」
「誰にでも共通するのは、それだけだよ」
「誰にでも共通しない、ベルの持論は?」彼女は、すぐに返した。
「アシストに頼らない事かな」
「自立制御とか?」
「そう」
「なんで?」
「アシスト機能を使うと、その間、パイロットは体を制御出来なくなる。ロボットみたいに、決まった動きをするから、その隙を狙われやすい」
「でも、体の動きを任せられるから、他の事を考える時間にならない?」
「最近のパイロットの中には、アシストを多用する人も増えてきたね」
「ダメなの?」
「ダメじゃないよ。でも、世界ランカにはなっていない。プロとしては通用すると思うけど。ただ、これからは、優秀なアシストが増えて、そっちが主流になるかもね」
「そうなったら、切り替える?」
「身を引くよ」
「ふーん。いいじゃん」リンゴはニッと白い歯を見せた。
アシストは、パイロットの腕にバラつきがある事によって起こる破損事故から、エンプティの体を守る為に備わった機能だ。パイロットではなく、エンプティ自身の自己防衛本能といってもいい。
それなりの人なら、転んだ時に受け身をとるが、中には、手を付かずに転ぶ人もいる。そんな人がパイロットとなった時、エンプティの高価な体や、内部の機器に損傷が起こるだろう。そうなれば、パイロットを厳選する事になる。エンプティは、これだけ広く普及した分、反発もあった。その人たちが、エンプティにダイヴ出来ずに、楽しめないのなら、より一層受け入れがたいものになったはずだ。そうならない為に、転んだ時に、パイロットの反応が遅れたと判断すれば、勝手に体の主導権を奪い、受け身を取るのが、アシスト機能の一部だ。これは、エンプティの破損事故を、劇的に減らす結果となっている。
十メートルの跳躍が可能なエンプティには、必要不可欠な能力だ。これにより、老人がいきなりエンプティにダイヴしても、破損する事なく、遊ぶ事が出来る。
ただ、一対一で戦う様な場面では、このアシスト機能が命取りになる。右手だけで逆立ちしたまま、数メートルの垂直跳びが出来るほど、変幻自在なエンプティにとって、体の主導権を奪われ、決まった動きしかしない間は、的になるからだ。
それなりのパイロットを相手にする時は、このアシスト機能の隙を狙えばいい。だから、腕のいいパイロットほど、この機能を使わなくなる。
「あの屋敷にずっと住んでいるの?」僕は屋敷を見た。
「うん」リンゴは、ストレッチを続けたまま答える。
「キンギョさんも一緒に?」
「お父様は、いつも別の屋敷いる。一緒なのは、ケンゾウとナツ」
「ナツ?」
「メイド。可愛いよ」
「三人で暮らしているんだ。長いの?」
「まぁ。そう。ケンゾウが一番長い。小さい時から一緒にいるし。小さい時から同じ顔」リンゴは、自分で言って笑った。僕も笑顔を作った。エンプティなので、綺麗な笑顔が出来ているだろう。
「キンギョさんとは、良く会う?」
「そんなに。忙しいみたいだから。偶に屋敷に呼ばれる事もあるけど」
「どの屋敷に彼がいるか、知っている?」
「前にいたとこなら知ってるけど、今はそこにいないよ」
「そっか」表情を変えない様に意識した。
なんとかして、マツリノ氏とコンタクトを取りたい。ここだと、彼を守る事が出来ないからだ。
短い小さな悲鳴が聞こえた。
その後に、鈍い音と、それよりは高い音が続いた。
僕は音の方向を見た。
ポパイが消えて行った方角だ。リンゴを見ると、目が合った。彼女にも聴こえたようだ。
「少しだけ様子を見に行こうか」僕は提案した。
「うん」彼女は頷く。
「一応、離れないように」
「わかった」
僕は、ゆっくりと歩いた。視界の端に、ネオンの視覚情報を共有しているので、気になるポイントで指示も出した。ただ、ネオンに託した目的は、既に達成されたと言っていい。あれ以上の場所は、見つからないだろう。
僕とリンゴは、芝生を抜けて、茂みの中に入った。地面や樹の上を常に警戒している。草を踏み抜いた痕があるのは、ポパイのものだろう。ポパイから共有された過去の視覚映像も、同時並行で処理している。ポパイは、リンゴの護衛を任されているが、かなり広い範囲を索敵していたようだ。着眼点も良く、リンゴの屋敷に攻め込むルートを幾つも見つけていた。
ポパイの視点は、護衛側というより、攻め込む側が重宝するだろう。逆に言えば、そこを警戒すれば、護衛をより一層強化する事が出来る。それなりに優秀な人材のようだ。
周りを見渡すと、誰もいないが、気になる物を見つけた。森に入って近くの所で、屋敷の入口も、さっきまでリンゴがいた場所も見渡せる場所だった。それは、エンプティの視力があればの話で、生身では、眼鏡かゴーグルがないと、遠くてはっきりと見えないし、屋敷側からも、その場所を注意深く見ないと、見えない位置だ。ただ、僕は、ポパイがその位置から、こっちを観察していたのを、知っていた。僕が気付いている事を、ポパイに気付かれない様に、そっちを見ていなかっただけだ。
この辺りには、立派な樹が生い茂っている。その内の一本の表面に、新しい傷があった。周りを警戒してから、その傷を注意深く見る。ナイフや刃物の傷ではなく、もっと、大きなものをぶつけた様な傷だった。たぶん、石か何かで、付けた傷だろう。それを勢い良く、樹にぶつけたのだ。
樹の周辺を見ると、それらしい石を見つかった。キャベツくらいの大きさだ。スカートの裾に気を使いながら、その石を掴んだ。これくらいの大きさだと、岩になるのかもしれない。石と岩の境界が曖昧だ。自分の中では、片手で持てるのが石、両手が必要か、持てないのが岩だ。生身なら、持ち上げるのが難しいので岩だが、エンプティの握力なら、楽々持てるので、石だ。
僕は、その石をしばらく眺めていた。
「なに?」リンゴが僕の横から、石を覗いた。
「なに?これ?」リンゴは、同じ質問をした。
「蜘蛛かな」僕は言った。
「これも蜘蛛なの?」リンゴは僕と、石を見比べている。
「検索出来ないから、種類や名前はわからないけど」
「違う。ベルにとっては、この蜘蛛の死骸も、蜘蛛と同じなのって意味」リンゴがジッと見ている。彼女の言葉の意味が良くわからなかった。石には、潰された蜘蛛の死骸がこびりついている。
リンゴの背後から、人が現れた。ポパイが歩いてこっちに来たようだ。
「どうかしましたか?」ポパイは言った。
「この辺りで音がしたので、見に来ただけです。何か気付きませんでしたか?」僕はきいた。
「いえ。反対のあっち側にいたので」ポパイは、屋敷から少し左側の森を指さした。嘘を付いているのは、明白だが、その理由がわからないので、黙っていた。
殺された蜘蛛は、昆虫型のロボットではない。生物だ。勘違いしたのだろうか?でも、嘘を付く理由が、やはりわからない。
「蜘蛛が殺されただけのようです」僕は、石に付着した蜘蛛の死骸を、ポパイに見せた。
ポパイは、目を見開き、短い悲鳴を上げた。
「大丈夫ですか?」僕はきいた。「すみません。昆虫は苦手でしたか?」僕は、石に付着した蜘蛛の部分を下に向けた。
「いえ。昔は平気だったのですが…」ポパイは、眉間に皺を寄せて、不快な表情を見せた。彼が見せた初めての表情が、嫌悪の表情だった。
大人になるにつれて昆虫が嫌いになるのは、よくある事だ。たぶん、子どもは昆虫が好きなのではなく、狩りの練習をしていただけだろう。その標的が昆虫だっただけだ。大昔は、昆虫で練習して、獲物を大きくしていき、やがて、動物を狩っていた。その狩猟時代のDNAが、まだ残っているのだろう。
「これをやった人に心当たりはありますか?」僕はきいた。恐らく、彼はノーと答えるだろう。その確信があった。
「いいえ。ありません」ポパイは、首を横に振った。
…。
思った通りだ。
でも、これをやったのは、ポパイ以外にいない。
「リンゴの護衛に付いたのは、自ら志願したのですか?」僕はきいた。
「どういう意味ですか?」ポパイは、首を傾げる。
「マツリノ氏の護衛から派遣されたときいたので」
「いえ。私の意思ではなく、それが依頼内容です」
「初めからその依頼内容だったのですか?」
「そうです」
「三日前から任務を開始して、日の出ている時間帯の護衛を任されていた」僕は確認した。
「はい」
「その間、不審な人は見ませんでしたか?」
「はい」
「マツリノ氏の元で働いた経験はありますか?」
「今回が初めてです」
「専属のパイロットではなく、雇われたという事ですね?」
「はい」
「わかりました。ありがとうございます」僕は、ポパイにお辞儀をした。
「ここは問題ないみたい」僕はリンゴを見た。「戻ろっか」
「うん」リンゴは頷いた。
「では、私も」ポパイは、来た方角へ歩いて行った。
ポパイを見て、そういえば、どこかで見た事があるな、と思った。勿論、エンプティの外見や服装ではなく、歩き方や仕草や重心の位置などだ。
僕は、人かエンプティかを、かなりの精度で見分ける事が出来る。それに、エンプティの動きを見れば、そのパイロットが誰かもわかる。これは、特技に近いだろう。でもその代わり、人の顔や名前は、殆ど覚えられない。ピントの合う場所が、普通の人と違うのだろう。
でも、どこでポパイを見たのかは、今すぐに思い出せなかった。
僕は、蜘蛛が潰された石を、元の位置に捨てた。
リンゴは、その様子をジッと観察していた。
「なに?」僕はきいた。
「埋めないの?」リンゴは、動こうとしない。
「石を?」
「蜘蛛を」
「僕にはその習慣がないかな。埋めたいなら、ここで待つけど」
「理由をきいていい?」
「なんの?」
「埋めない理由」リンゴの表情は真面目なままだ。
「あの蜘蛛は、誰かに潰されて殺されたけど、そうじゃなかったとしても、蜘蛛が死んだ時は、土の中で死ぬわけじゃない。蜘蛛の死骸を見る機会が少ないから、どういった場所で蜘蛛が死んでいるのかは知らないけど、殆どは地上で死んでいると思う。だから、土に埋めるのは、自然的な考えじゃない。自然なままがいいかどうかの話じゃなくてね。土に埋めるのは、人間の感情の処理だけの問題だと思う。僕にはその処理が必要ないし、埋めた時と、そうじゃない時で、死骸が分解されるのに掛かる日数に、どれだけの違いがあるのかもわからない。あまり変化が無いし、環境を壊す原因にもならないと判断したから、埋める必要はないと考えたのかな。もし、全ての蜘蛛が、土の中で死ぬ習性があって、人間によってそれを阻害されたのなら、埋めたかもしれないけど」
リンゴは、僕を見つめたまま聴いていた。
「埋めるのは、感情の処理だけの問題?」彼女はきいた。
「蜘蛛の場合は、そう考える。もっと大きな生物が死んだ時は、別の問題があるかもね」
「どんな?」
「僕も詳しくは知らないけど、ある程度の大きさの生き物だと、腐って異臭がしたり、そこから病気なんかの二次災害にも繋がるんじゃないかな?だから、集団で生きる為には、埋める必要があった。日本で、人の場合は、その前に燃やしているけど」
「ふーん」
「あとは、親しい人や、可愛がっていた動物が腐って虫が集る様子を見るのは辛いだろうね。だから、埋める事でそれを遮断出来る。他には、宗教によって違いがあると思う。宗教も、昔は力が強かったから、従うしかなかったんじゃないかな。でも、これは、僕の個人的な考えだから、リンゴのしたい様にしたらいいよ」
「生きている蜘蛛と死んだ蜘蛛の違いは?」
「…質問の意味が、よくわからないな」
「生きている蜘蛛と、死んだ蜘蛛に違いはある?」リンゴは同じ質問をした。
「そりゃあるんじゃない」ジョークだと思ったので、僕は少しだけ笑ったけど、彼女の真剣な表情を見て、質問の意味を考えた。
「なに?」彼女はきいた。
「動くかどうか」
「それはベルにとって大切なこと?」彼女は、すぐに返す。
「僕にとっては、大切じゃない。蜘蛛にとっては、大切だろうけど」
「ベルにとっては、なにが違う?」
「…土の中に埋めた時に、罪悪感があるかないか」僕は答えた。
リンゴは、吹き出す様に笑った。
「面白い。いいじゃん。聴いた通りだ」彼女は屋敷の方へ歩き出した。
「誰から?」僕は、彼女の背中に言った。
リンゴは、振り返り、右手の人差し指を鼻の前に持ってきて笑った。
僕は、リンゴの指の先を見た。
宇宙旅行中の旅人か、樹の枝を這っている虫か、どこかの星に住む宇宙人か、気体で生まれた友人のどれかだろう。




