第一章 7
私は、リンゴとベルさんに続いて、外に出た。
玄関には複数の靴があった。私が着ている黒いドレスや、ベルさんの服に合う様なヒールもあったが、まともに歩けない、とベルさんが言ったので、しぶしぶスニーカを履く事を許可してくれた。まともに歩く事は出来ると思うが、護衛に支障をきたすのだろう。
リンゴが食べ終えた食器はそのままだったが、ケンゾウさんが下げてくれるのだろう。
リンゴは、外に出る前に、端末のある部屋に入って、赤いパーカを羽織ってきた。
外に出ると、整備された芝生が広がっていた。屋敷とは別に建物があるが、車が中に入っているらしい。その車庫からは石畳の道があり、その先に門がある。そして、車道を進むと、山を越え東側のキンギョさんがいるエリアへと繋がる。
天気は良く、空と白い雲が綺麗だ。エンプティなので気温は、数字でしかわからないが、五月の中旬なので、過ごしやすいのではないだろうか。標高が高いから、少し肌寒いかもしれない。
芝生の向こうに歪な形の樹々が生えており、その陰から、人が現れた。こっちに向かって歩いてくる。黒のシャツに黒のパンツ、黒い革靴を履いていた。赤いネクタイと後ろで縛った長い黒髪。表情は喜怒哀楽のなにも表していない。
「あの人は?」ベルさんは、リンゴに言った。
「ポパイ」リンゴは答えた。
リンゴの話では、キンギョさんから派遣された護衛の一人だ。ベルさんと二人だけだと思っていたから、距離感がどうなるんだろう。
ポパイさんは、私とベルさんを交互に見ている。三メートル程の距離で止まった。
「そちらの二人は?」ポパイさんはリンゴを見ている。
「本日から護衛に付いたベルです。こちらは、ネオン」ベルさんが答えた。「護衛にあたって、情報を共有したいのですが、よろしいですか?」
「私はポパイです。よろしくお願いします。情報の共有は歓迎しますが、護衛の方法に関しては、自由にさせて貰います」ポパイさんは、予め釘を刺した。
「はい。構いません。この周辺は、既に見て回りましたか?」
「はい」
「そのデータを共有して頂けますか」
「わかりました。では、アドレスを」
ベルさんとポパイさんは、一定の距離のまま、殆ど動かなかった。ベルさんは、情報を受け取っているのだろう。
「ありがとうございます」ベルさんは、首だけのお辞儀をした。「僕は、リンゴの近辺の護衛をするつもりです。なにかありましたら、お知らせください」
「わかりました」ポパイさんは、鋭い眼差しでベルさんを見つめて、森の中へ消えて行った。
「ネオンにも共有しておく」ベルさんはこっちを見ている。ベルさんから動画が送られてきたので、それを再生した。視界の一部で動画が流れている。この近辺の映像らしい。
「自分の目でも見ておきたいから、とりあえず、このルートで歩いてきて」ベルさんは、画像を送って来た。それを見ると、マップにルートが示されている。十キロ以上歩く事になる。
「私、一人でですか?」私はきいた。
「僕は、ここを離れるわけにはいかないし」ベルさんは答える。
「ポパイさんの映像とも被っていますけど」
「だから、自分の目でも確かめておきたい」
それは、自分の目ではないだろう、と反論したかったが、命が掛かっているので、従う他ない。
「それじゃ、行ってきます」私は歩き出した。
「ああ。ホントに歩かなくていいから。もう少し、走って。細かく見ておきたいポイントは指示する」ベルさんは、直接言ってきた。
「わかりました」私も直接答えたが、ベルさんに背を向けて舌を出した。
少しだけ気に入らない。たぶん、仕事を任されたというより、雑用を押し付けられたからだろう。私を頼っているのではなく、ドローンの代わりに使っている。ロボットと同じだ。でも、それが仕事なのだろう。
ベルさんが示したルートは、しばらくは、車道沿いになる。車道は西に向かっているが、勿論、真っすぐな道ではない。迂回を重ねながら、標高を上げている。しばらく、走ると、稜線に出た。車道では、一番標高の高い場所だ。南北に、ここよりも高い山頂が見える。山と山の間の少しだけ標高が低い所に、道を造ったみたいだ。
この稜線の辺りは、背の高い植物はなく、少しだけ霧が掛かっているが、街も見渡す事が出来た。景色が良くて気持ちがいい。車道の周りもピクニックが出来る様な広場がある。木材を切って作った椅子とテーブルが、柱と屋根だけの造りの雨避けの下にあった。最近のものではなく、少なくとも、三十年以上前のものだろう。
ここからは、山頂から東側のエリアになる。山の三つのピークが南北に並んでいるので、東西で分ける事が出来るのだ。車道を東側に下って行くと、突き当りでT字になっていた。ここからが、Eを反転させたメインの車道と繋がる事になる。繋がる位置としては、Eの横線の一本目と二本目の間になる。その道を右に曲がった。右手が山頂側となる。しばらく走ると、家が見えてきた。マップにある通りだ。
「その屋敷をしっかりと眺めて」ベルさんが直接言った。
「はい」
ちゃんと、私の視界を見ているようだ。直接話しかけるのは、空気を介して伝達しているわけではないので、距離は関係ない。
ベルさんに指示された屋敷の周りをグルっと回った。屋敷は、可愛らしい形をしている。最近まで、人が出入りした形跡はある。でも、今はガランとした雰囲気だ。
「その建物は、最近まで、使われていたらしい」ベルさんの声が聞こえた。今は、いないのだろう。
屋敷は周りから見るだけで、次へ進む様に指示があった。これがリアルの体なら、文句を言っていたが、エンプティなので、悪くはない。むしろ、楽しいくらいだ。自然豊かで、虫の鳴く音と、風で樹が揺れる音しか聴こえない。どちらもノイズカットする事は出来るが、癒されるので、このままにしておいた。
私が今いる組織は、生身の体で外に出る事が出来ない。組織によって軟禁状態となっている。だから、外の景色を見るには、ヴァーチャルかエンプティにダイヴするしかない。こうやって、外を歩くだけでも楽しい。
少し歩くと、左手に斜面が緩やかな所があり、その先に廃墟が見えた。
「そこもゆっくりと見て」ベルさんの声がした。
見るからに廃墟で、窓は割れ、建物外壁の塗装も所々で剥げていた。木造建築で、生身で中に入るには、床や壁が崩れそうで怖いだろう。廃墟の周りの草も手入れされておらず、腰の高さまで自由に伸びていた。
「屋敷の周りの草を踏まない様に、周りの樹に登ったりして、全体を把握して」ベルさんから追加の指示があった。私は返事をする。
私は、周りを見渡して、車道の反対側にある樹に向かった。枝が車道側に伸びていて、その上に乗れそうだからだ。枝の高さは、三、四メートル程で立派な樹だった。枝の真下まで来て、一度、二メートル程のジャンプをした。これの倍の力で跳べばいい。
踏み込んで、跳んだ。
跳び過ぎて、目当ての枝よりも上にある枝にぶつかった。
細かい枝や葉が顔や腕にあたる。
失速して、目当ての枝が近づいてくる。
少しズレていた。
腕を伸ばして、右手だけで枝に掴まった。
枝は、少し揺れて、沢山の葉を落としたが、右手の握力だけで、エンプティの体を支える事が出来た。生身の体ならあり得ない事だろう。跳躍力も素晴らしいが、握力も腕の力も凄い。右手だけで、体を持ち上げて、枝の上に乗った。これだけの事をしたのに、しんどいという感じではなく、歩くのと同じ様に疲れる事も、呼吸が乱れる事もない。
エンプティのほぼ初心者でも、こんな事が出来るのだから、プロのパイロットなら、登れない樹や崖はないのではないだろうか。
葉が少し遮っていたが、それでも、屋敷を上から見渡す事が出来た。ズームして、屋敷の中を覗くと、古い家具などは、そのまま屋敷の中にあるようだ。でも、生活感はない。大きな家具だけを残して、屋敷を去ったのだろう。
今はグレィに近い外壁だが、天井の近くの紫外線や雨が当たらない場所だけが、淡いグリーンだった。玄関にアクセスするには、三段程木製の階段を上る必要があり、そこは白く塗装されていた。ウェザリング加工というか、ただの経年劣化というか、時を重ねた小さな屋敷だが、これはこれで、魅力的だ。
私は、屋敷の全景をスキャンした。一応、仕事用だ。でも、あとで、ヴァーチャル上で展開したい。コレクションにはうってつけの見た目だ。その為には、他の角度も必要になる。
「別の角度からも見て」ベルさんからの指示だった。
「わかりました」私は、元気に返事をした。
もしかしたら、ベルさんも同じ目的なのかもしれない。




