第一章 6
リンゴの部屋を出て、西側の玄関側の扉に、彼女は入って行った。
僕とネオンも後に付いて行く。部屋の中には、大きなテーブルに椅子が六脚あった。テーブルも椅子も、見ただけで高級だとわかる。ただ、装飾は豊かな椅子だが、座り心地はそんなにだろう。食事用の椅子とはそんなものだ。一時間か二時間、座る事を想定して作ってあるから、進化しない。目標が低いのだろう。志が低いと成長しない例として、ダイニングチェアを挙げればいい。
この部屋には、時計や骨董品の様な壺に置物、キャビネットまで、全て年季が入っていた。恐らく、この屋敷の元のオーナの趣味なのではないだろうか。この屋敷は、築七十年らしい。部屋の間取りや家具、地下シェルタに至るまで、どこか日本的ではない。元々は、海外の人が住んでいたのかもしれない。リンゴの部屋にあった置物の趣味と、屋敷の至る所にある置物や家具の趣味が違っているのが、そう考える理由だ。
入ってきたドアとは別に、部屋の右側、つまり北側の壁にもドアが一枚ある。そこから、ケンゾウさんが料理を運んで来た。リンゴは、テーブルの奥側の端に座った。食器の数と位置から、食事をするのはリンゴだけだとわかる。
豪華な食事がリンゴの前に並んだ。手の込んだ料理で、品数も多い。温めただけの料理ではなく、手作りだと思われる。全てケンゾウさんが用意したのだろうか。
「座ったら?」リンゴが僕たちを見て言った。彼女は、視線で自分の前の椅子を示した。
エンプティは、座る必要はない。立ち続けても疲れる事は無いし、逆立ちしようが、飛び跳ね続けようが、疲労する事は無い。エネルギィを多く消費するだけだ。だから、動かないのが一番燃費がいい。座る動作は、ほんの僅かにエネルギィを消費するだけだが、生身の習慣が取れないので、喋る時に座るエンプティは多い。それに、座るかどうかは、数歩分のエネルギィの違いなので、無視出来る誤差の範囲だ。
僕はリンゴの正面に座り、僕の左側にネオンが座った。
料理を運び終えた合図なのか、ケンゾウさんはお辞儀をした。そして、料理を運んで来た部屋の中に消えて行った。そっちにキッチンがあるのだろう。リンゴは、食事を始めた。
僕らは、その様子をぼんやりと眺めている。眺めているのは、外見だけの事で、警備システムをいじって確認していたし、視界の端には、マツリノ氏の土地のマップを開いて見ていた。
当然だけど、車道の至る所にカメラを設置しているので、そこを通ったなら、すぐに察知出来る。敵はそこ以外を通ってくるだろう。その場合、山の東側、つまり、リンゴの屋敷がある方から、エンプティやドローンが来る可能性も十分にあるが、暗殺の制約がどこまで通じるかによるだろう。相手の頭のネジが外れていない事を願うしかない。
「ベルとネオンの仕事はなに?」リンゴは、食事を半分食べた時に言った。
「リンゴの護衛だよ」僕は答えた。仕事に関する質疑は、僕が優先して答える様に、ネオンと示し合わせてある。二人の間で意見の違いがあっては、対象の信頼を無くす事になるからだ。これも、仕事の内だ。でも、それ以上の想いが、自分の中にあるだろう。
「どうやって護衛するつもり?」リンゴは、ドリンクを飲んだ。
「まだ、はっきりとは決めてないよ。これから周辺の情報を調べて、最適なものを選ぶつもりかな。それでも、リンゴの周囲に最低でも一人は配置しておくよ」僕は答える。
「ポパイみたいに、屋敷の外で見張るわけじゃないんだ」
「それも含めて、まだ決めてはいないよ」
「ふーん」リンゴはつまらなそうに料理を食べた。
「ベルってさ、それがフルネーム?」リンゴは飲み込んでから言った。
「違うよ」僕は答える。
「もしかして、有名?」
「さぁ。どうして?」
「こんな時期に来るんだから、それなりの人なのかなって。違う?」
「それなりの人かもね」僕は笑顔を作ってあげた。
「ホワイト・ベル?」リンゴは、少しだけ嬉しそうだ。
「うん」
「ふーん。凄いんだ」
「そうでもないよ」
「エンプティの事で、きいてもいい?」
「答えられる事なら」
「エンプティの利点ってなに?」リンゴは、すぐに言った。
「色々あるけど、一番は、思い通りに動く事かな」
「ヴァーチャルでも、同じじゃない?」
「そうだね」
リンゴは、僕の顔を不思議そうに眺めている。
「…それだけ?」リンゴは言った。
「なにが?」
「ヴァーチャルでもいいの?」
「好みの問題だと思う」
「ベルは?」
「僕はエンプティの方が好きかな」
「その理由をきいてるんだけど」
「ヴァーチャルは、もう少し後の方が楽しいと思う。今は、綺麗すぎるから」
「それはわかる。リアルと比べたときは?」
「体が不自由だよ。同じ姿勢でいるだけで、どこかが痛くなるし、すぐ疲れるし、重い物は持てないし、動きが遅くて、正確に動かない」
「あらら。可哀そうな体」リンゴは、ニッと笑って食事を再開した。
彼女は食べ終えて、ドリンクを飲んだ。
「でも、ノウハウは体に蓄積されないじゃん」リンゴは言った。
一瞬の思考の後に、さっきの話の続きだとわかった。
「そうだね」僕は頷く。
「それでも、いいの?」
「ずっとこの体でいたらいい」
「そんなだから、体が不自由になるんだと思う」リンゴは目を細めた。
「そうだね」
「やっぱり、変わってるね」
「なにが?」
リンゴは、ニッコリと笑った。
「外でなにか見たい」彼女は言った。
「いいよ」
「やった」彼女は立ち上がり、部屋の外へと向かった。
「その前に、一つだけ頼みがあるんだけど」僕は立ち上がって自分の服を見た。リンゴは振り返ってこっちを見る。
「この服だと、細い道を通った時に、邪魔になるかもしれない。だから、もうちょっと動きやすい服に着替えたいんだけど」
「なるほどね。うん。うん」リンゴは何度も頷いている。「いいわけないじゃん。可愛い服を着せて愛でるのが、エンプティドールの楽しさなんだから」リンゴは、悪戯っぽく笑った。
「まぁ、そうかな」僕も同意した。
自分の服よりもエンプティの服を優先させるのは、一般的だろう。運動性能に拘る僕の方が、マイナだと自覚している。




