第一章 5
この部屋にあるものを、ゆっくりと吟味した結果、私はそれらがとても好きだとわかった。
混沌はともかく、この部屋にある物の殆どを買い取りたい程だ。どこで売っているのかを検索かけようとして、それが出来ない事に気付く。それが三度ほど起こった。エンプティなのに、世界と繋がっていないこの体に、まだ慣れないみたいだ。
リンゴは、イヤフォンを付けて端末を操作している。彼女の話し方は特徴的で、リズムカルというか、テンポがいい。
「今の内に、わかっている事を共有しておく」ベルさんが直接話しかけてきた。
「はい」私も直接言った。返事をした時に反射的に頷いたが、ベルさんは、直接話す時に、相手を見る事はない。なにかの作業中であったり、動作の中、突然話しかけてくる。だから、周りの人は、ベルさんが会話をしている様には見えない。それがプロっぽくて格好いいので、真似をしようと意識しているが、まだ慣れない。実際にベルさんは、プロのエンプティパイロットなのだから、なにか利点があるのだろう。
「これ見える?」ベルさんは、視覚映像を共有してきた。私はそれを受け入れる。ベルさんが見ている視界が、私の視界に重なった。
「見えます。ちょっと待って下さい」私は直接答える。画面の範囲をどうわけるかで迷った。自分とベルさん、二人分の視覚映像が重なっているので、今は、把握出来ていない。ベルさんの映像が少しだけ透過しているのが、見えづらい原因なので、右目と左目で分ける事にした。
自分の視界が右目、左目を開けると、ベルさんの見ている世界が映る様にした。ただ、常にウィンクする必要がある。ウィンクを続けていると、今の映像を固定するか、と確認された。イエスを選ぶと、両目で見てもベルさんの映像しか映らなくなった。二秒間のウィンクで選択出来る様に最適化されたようだ。その設定を今後も続ける事を承諾した。これは、このエンプティだけでなく、他の量産型のエンプティにダイヴした時にも、共通するルールだ。今はベルさんの視界なので、自分の視覚情報は、携帯端末くらいの、小さな範囲にしか映っていない。
「はい。どうぞ」私は、ベルさんに直接言った。
私が今見ている映像は、ベルさんが見ているのと同じだ。視界の中に、灰色の球体が現れた。それが粘土を捏ねて伸ばしたみたいに変形して、文字になった。
『これが見えたら、イエスと答えて』と文字が部屋の中に現れた。それは、実際にホログラムの様に出力されたわけではなく、エンプティに標準搭載されている機能の一つだ。エンプティが開くメニュー画面が誰にも見えないのと同じで、本来であれば、自分だけが見える、お絵かきツールのようなものだ。私が見えているのは、文字も共有出来る様に、ベルさんが送ったからだろう。
「イエス」と私は直接答えた。ただ、この速度で、文字を作るのは、かなりの練度が必要になるだろう。ベルさんは、文字を表示させたのではなく、球体を変形させて文字を作ったのだ。普通であれば、本物の粘土で文字を作るのと同じで、一文字書くだけでも、数秒は掛かるだろう。それに、両手を立体的に動かして操作するのが一般的だが、ベルさんは、リンゴを見ているだけで、体が動いている様には見えない。
「ここでは、一般的な検索などの機能が使えない」ベルさんは、直接言った。「それは、アクセスを制限しているというより、独自のシステムで機能しているからだと思う。だから、外部から、ここの警備システムに侵入する事は、物理的な方法を使わない限り出来ないと思う。当然、こちら側からも普段のネットにはアクセス出来ないので、外部にいる人やエンプティと連絡を取る方法が無い。イオやラムネとの情報共有も出来ない。勿論、その利点もあって、外部の人間がここの情報を知る手段は、衛星映像を見るか、ドローンか昆虫型の偵察機を飛ばすしかない。でも、ここの警備システムは、飛行物体や、ある程度の速度で移動する動植物に対して、かなりの精度で検知出来るみたいだ。動く物体があれば、すぐに情報が伝達され、それを対処するシステムが作動する。だから、外部の人が、この山の深部まで探りを入れるのは、難しいと思う。それと、ネットには繋がらないけど、こうやってここのエンプティ同士の連絡は出来る。視覚や聴覚などの共有から、ネオンの現在地も知る事は出来た。ただ、マツリノ氏の警備に当たっているエンプティの情報はわからない。これは、僕らには開示していないみたいだ。でも、僕らの動きは、向こうに伝わっているかもしれない」
ベルさんは、スラスラと言った。この短時間で色々と調べていたようだ。
「それと、もうマップを開いた?」ベルさんは続けた。
「まだです」私は答える。
「さっき、ログインした中にあるから開いて」
私は、指を結んでメニュー画面を開いて、右手の人差し指で選択して、マップを探した。
「開きました」私は言った。
「大体の地形は、それでわかるけど、今の詳しい状況が知りたいから、ネオンには、後で、その辺を散策してもらう。それまでに、ある程度はマップを把握しておいて」
「わかりました」私は頷いてしまった。
キンギョさんは、この辺の山の全てを自分の土地にしているみたいだ。元々この辺りは、避暑地として人気の場所だった。山の中に屋敷が幾つもあるが、彼は、それを長い年月を掛けて土地ごと全て買い取った。
キンギョさんの私有地には、三つの山が繋がっている。山は、南北に並び、西側からのみ、車での侵入が可能な道があった。西側からの道は、大雑把に表すと『E』を左右反転させた様な形状だ。勿論、そんなに綺麗な道ではなく、山を削り作った道なので、左右にカーブしたり、クネクネしたりしているが、街からアクセス出来る車道は、その三つしかない。その道沿いに、昔のお金持ちが建てた屋敷や別荘が点在している。今は廃墟となっている建物もあるだろう。
そのどこかの屋敷にキンギョさんはいるらしい。その位置は、マークされてはいない。
私たちがいるリンゴの屋敷は、山の山頂を超えて東側に位置している。三つ並んだ山の北から一つ目と二つ目の間に緩やかな稜線があり、そこを超えた先に、この屋敷はある。ここまでも車でアクセスは可能だが、ここで道は途切れている。『E』の文字から、フォークの持ち手の様に一本だけ道があるわけだ。
この屋敷より東側は、少しすると傾斜が激しくなり、崖に近い角度になる場所も幾つもある。林道や登山道と言った道も無く、車でも、人が徒歩で登る事も不可能だろう。ただし、エンプティなら、問題なく山の東側からも、やって来るだろう。そこには警戒しないといけない。
逆に、この三つの山の山頂より西側は、傾斜が緩やかで、車道以外の場所からも、人が登る事は可能だろう。
戦車の様な兵器を運ぶには、車道が必要になるので、火力の高い武器を警戒するなら、稜線を超える道だけを警戒しておけば、リンゴの護衛は、務まるのではないだろうか。守りやすい位置に、リンゴの屋敷はある。
それに、この屋敷には地下シェルタがあるらしい。この部屋の外にあった、あの階段から下りれば、それがあると間取りに描いてある。危なくなれば、リンゴをそこに避難させればいい。シェルタを破壊する程の火力のある武器を、ここまで持ち運ぶのは、難しいのではないだろうか。
リンゴが突然、イヤフォンを外して、立ち上がった。
「食事が出来たみたい」リンゴは言った。誰かが彼女に伝えたのだろう。
でも、人よりも優れた聴覚を持つエンプティでも、そんな音は拾えなかった。




