第一章 3
間接照明が灯るだけの、暗い部屋だった。
壁に沿う様にソファが並び、床には複雑な模様のカーペットが敷いてある。壁には絵や、大きな急須か小さなジョウロがある。ランプかもしれない。人が隠れる程の大きな置時計があり、木の質感からも、百年以上前のものだとわかる。部屋の中に、窓は一枚もない。
部屋のイメージを一言で表すなら、レトロだろう。私は、こういうレトロなものが好きだ。この部屋には、エンプティ用の垂直型カプセルが二台ある。一台は、私が出てきたので、今は空だ。カプセルの扉は透明で、中にいるエンプティを見る事が出来る。ディスプレィとしての役割もあるからだ。なので、もう一台の中に、エンプティが直立した状態で入っている。瞳を閉じているのは、それがエンプティの基本姿勢だからだ。
瞳を開けたままに設定する事も出来るらしいが、見られている感じがして、落ち着かないそうだ。
私は、自分の体を見た。黒いノースリーブのワンピースを着ている。膝上までの丈だ。軽そうな素材だが、レースや刺繍が細かくあしらわれている。上品できっと高いのだろう。壁際に大きな姿見があったので、そこで自分の姿を確認する。
日本人タイプのエンプティで、長い黒髪に黒い瞳。白い肌に目立つ赤い唇だった。部屋の中なので靴も靴下も履いていない。客観的に見ても、主観的に見ても、もの凄く綺麗で、服のセンスがいい。
全てのエンプティに共通しているのは、見た目では人間と見分けが付かない。ただ、もの凄く綺麗なので、人間じゃないかもと、思う程度だ。
鏡の前で体を動かして確かめた。
軽い。
動きが滑らかで、量産型とは明らかに違いがある。量産型でも不満はなかったけど、選べるならこっちを選びたい。高いのには理由があるんだ。立ち止まって、自分の姿を見る。
やっぱり綺麗だ。ずっと鏡を見ていられる。大きく綺麗な瞳を見る為に、鏡に近づいたが、そこで自分がエンプティだと思い出した。ズームして、鏡越しに自分の瞳を見る。綺麗な光彩の模様まで、はっきりと見えた。それに、ズームしてからピントが合うまでも早い。処理速度も量産型よりも高性能なのだろう。
音がして、カプセルが開いた。
その中から、エンプティが出てくる。
紺色の長袖のトップスに白い襟が付いている。赤い大きなボタンが特徴的だ。下は、白のロングスカートにカラフルな模様。模様は赤色が多い。栗色の長い髪はウェーブしている。瞳はブルーだった。そっちのファッションや見た目も、とても魅力的だ。なにより、エンプティなので、驚くほど綺麗だ。自分のエンプティとは違うタイプの顔なのに、綺麗は一つではないと教えてくれるみたいだ。
そのエンプティは、私を一瞬だけ見て、性能を確かめる様に体を動かした。
「ベルさんですか?私です」私は、右手を差し出した。握手をして、識別コードを送りあった。これで、目の前のエンプティがベルさんだと証明された事になる。
ラムネさんから送られた情報では、一体は日本製で、もう一体はドイツ製らしい。私のが日本製のエンプティなのだろう。
「可愛い恰好ですよね」私は直接言った。これは、口を開けて空気を振動させているわけじゃなく、任意のエンプティやイヤフォンやゴーグルを付けている人に、発せられる音だ。周りに人がいても、聞かれる心配がない。一度に百人と会話する事も可能だが、指示するだけならいいけど、会話となると音声が重なって聴きとれないだろう。それは、声に出した時と同じだ。
ベルさんは、一度も鏡の前には立たずに、腕や脚を上げたり回したりしている。
「動きやすいけど、スカートが長いと、引っ掛かって邪魔になる事があるし。それに、こういう高そうな服は、汚さない様に気を使うから、あんまり好きじゃないかな。あとで、着替えてもいいかきかないと」ベルさんは直接言った。
せっかく、可愛い服なのに、感想がそれじゃ、服もそれを着せた人も可哀そうだ。でも、遊びじゃないんだから、そうなのかもしれない。
ドアが二回ノックされた。
物理的に、指の骨をドアにぶつけた音だ。私は、ドアの近くにいたので、そこから離れて、ベルさんの近くに寄った。
ゆっくりとドアが開いて、そこにタキシード姿の老人が立っていた。その老人は、私たちをゆっくりと見た。
「本日は、お越し頂き誠にありがとうございます。私、執事のケンゾウと申します。早速でございますが、お嬢様のもとにご案内させて頂きます」そこでその紳士は深く頭を下げた。「もし必要な物がございましたら、可能な限りご用意させて頂きます。なんなりとお申し付けくださいませ」そしてもう一度、その老人は頭を下げた。そして、部屋の中には一度も入らず、手を示して私たちを導いた。ベルさんが先に動き、私はその後からついて行った。
「あの人は、生身の人間ですか?」私はベルさんに直接話しかけた。
「まだわからないけど、そうだと思う」ベルさんも直接答えた。
ベルさんは、人とエンプティを見分けられる、世界でも特異な能力を持っている。相手が、エンプティの様に十メートルも跳躍したなら、誰にだってわかるけど、人間と同じ動きをされたら、見た目では判別出来ない。ベルさんは、経験と観察眼で見分けているらしい。真似したって出来るものじゃない。
基本的に、エンプティは綺麗な若い女性や少女の姿をしている。でも、男性のエンプティや太った人や老人の姿のエンプティも、少ないけれどいる。特注で作る事が出来るらしい。
「今時、珍しいですね」私は言った。
それは、執事という職業だ。そんなもの、生身の人間がする必要はないのではないか。映画では、見た事がある。でも、掃除も洗濯も料理も殆ど機械がやってくれるので、その機械にセットする僅かな労働をしているのだろうか。エンプティですれば、疲れる事もないのに。
お金持ちの中には、執事や家政婦用にエンプティを所持している人もいる。椅子から動くのも嫌なのだろう。でも、確かに、ロボットじゃ掃除出来ない箇所はある。人間の為に作られた家具や家電なので、ロボットには複雑なのだろう。
部屋を出ると、少し広めの空間があった。エンプティに内蔵されている機能で、方角を確認する事が出来る。北側に下りの階段があった。踊り場で百八十度回転しているようだ。ここからはその先は見えない。
東西にドアが二枚ずつある。私たちが出てきたのは、東側の階段側の扉だ。南側には窓があるので、屋敷の大体の大きさがわかる。恐らく、私たちがいた部屋と同じくらいの間取りの部屋が、ドアの中に四部屋あるのだろう。ここは、その部屋へアクセスする廊下の様な空間になるはずだが、それにしては、幅が広い。それに、南側の壁に沿う様に、ソファが『コ』の字に置かれている。ソファの中央には、木製のローテーブルが置いてある。
変わった間取りだと思う。例えば、東西の四部屋に宿泊客がいたなら、今いるこの空間にそれぞれが出てきて、ちょっとした団欒が出来るだろう。ここは、そんなスペースなのかもしれない。廊下というよりロビィに近いのかもしれない。広さも、さっきの部屋と同じか、それ以上ある。
ケンゾウさんは、階段を下りて行った。ベルさんに続いて、私も下りる。
下のフロアの間取りも上と同じように、東西に二枚ずつ扉があり、南側には玄関があった。階段は、更に下へ続いている。玄関の扉と、窓の景色から、ここが一階だとわかるので、地下への階段なのだろう。
ケンゾウさんは、東側の階段側の扉を、右手の中指の骨を使って二階ノックした。彼は、古典的な鍵を腰のあたりから取り出して、鍵穴に入れた。扉をゆっくりと開けて、私たちに中に入る様に示した。
ベルさんに続いて、私も部屋の中に入った。振り返ると、彼は一度頭を下げて、扉をゆっくりと閉めた。彼は、お辞儀をする時に、目も閉じる癖があるみたいだ。
窓が一つもない薄暗い部屋だった。照明も人がいる最低限の範囲しか照らしていない。ただ、エンプティなので、僅かでも光があるなら、隅々まで見る事が出来る。
部屋の中は混沌としていた。物が多すぎるのだろう。テーブルや棚やキャビネットの上にも、所狭しと物が置かれている。その殆どが立体的な造形物で、動物や楽器をデフォルメしたミニチュアの置物などだ。手作りの様な歪さと味があった。初めは、それを綺麗に並べていたのだろう。でも、置くスペースが足りなくなり、仕方がなく、隙間に新しい物を置いたみたいだ。
他にも脱ぎ捨てた服や毛布、ゴミ箱から外れたゴミ。部屋の端にはベッドの脚の一部だけ見えているが、その上に置かれた衣類の山に隠れている。あとは、用途がわからない工具などが散らかっている。散らかっているのに、それらの混沌がモザイクアートの様に、調和が取れている。部屋の奥にいる人物を中心として、なにかしらの法則があるみたいに思えるのだ。ただ、本人以外にその法則はわかりそうにない。本人にすら、わからないかもしれない。
この部屋には、その一人しかいない。その人物は、背中を向けて座っている。端末を操作しているようだ。モニタは複数あり、彼女を囲う様にセットされている。
私たちが来たのに、一度も振り返る事はなかった。ベルさんは、部屋の中をゆっくりとスキャンする様に見ている。実際にスキャンしているのかもしれない。スキャンした映像は、ホログラムとして見る事も出来るし、ヴァーチャルの世界に展開する事も出来る。混沌としているが、私はこの部屋にあるものが、どれも好みだ。
「あの…依頼で来たものですけど」私は、声に出して言った。ずっとこのままだと、仕事をしている気になれないからだ。相手は全く反応しない。
「すみません」私は、もう少し声を張る。
ベルさんがゆっくりと歩いた。床が見える場所は僅かしかないので、人の行動を制限する力が、この部屋にはあるようだ。ベルさんは、飛び石の様に僅かに見える床の部分を、猫の様に軽やかに歩く。そして、座っている人にゆっくりと接近して、そっと肩に手を触れた。
「わぁ」その人物は、体をビクッと痙攣させた。ベルさんは、倒れた時に支えになる様に、サッと腕を添えたが、その必要はなかった。
「ああ。今、何時?そっか。ビックリした」彼女は、ベルさんを見てから、私にも視線を向けた。そして、耳から不思議なイヤフォンを外した。
「ごめん。ごめん。音楽聴いてたから、気付かなかった。ケンゾウも知らせてくれたらいいのに」彼女は、姿勢を正した。
「私、リンゴ。知らないかもしれないから、一応。なんて呼べばいい?」マツリノ・リンゴは、ニッコリと笑った。ハキハキとした発声だけど、声は高くて可愛い。
耳が隠れる長さの黒のショートヘアを、おさげに縛っている。綺麗な肌に可愛いらしい顔だった。まだ、幼さが残り、細見で体も小さかった。大きなサイズの白のTシャツに黒のハーフパンツを履いている。部屋着のようだ。
「僕は、ベル」ベルさんが名乗った。そして、こっちを見た。
「私は、ネイビィ・ネオンです」私は、挨拶をした。
「ふーん」それがリンゴの感想だった。
私は、彼女の耳にかかっている機械を見た。音楽を聴いていると言っていたから、イヤフォンなのだろう。でも、ズームして見たそれは、明らかにケーブルに繋がっていた。




