エピローグ 4
「このままだと、あなたは殺されてしまいます。リンゴと共に安全に移動する手筈は整っています。これが最後です」僕は言った。
「それはないと何度も言ったはずだが」マツリノ・キンギョは答えた。
マツリノ氏の部屋には、僕と彼しかいない。リンゴは、この屋敷のシェルタに一時的に入っている。彼にとって、ベイビィ・ブルーを見るのは、久しぶりの事だろう。
「どうしてですか?このままでは、確実に殺されてしまうでしょう」
「ああ。そうだろう。でも、人間はいつか死ぬ。そうじゃないか?」マツリノ氏は片方の眉を吊り上げた。
「ですが、今の時代、そのタイミングを自分で選ぶことが出来ます」
「私が選んで、そうしたんだ」
「…どういう意味ですか?」
マツリノ氏は煙草を咥えて息を吸い込んだ。煙草が赤く光り、灰となる。
「話を聴かせて貰えませんか?」僕は言った。
彼は、煙と共に大きく息を吐いた。
「私には、予定があった。カレンダには、事細かく予定が決められており、私はその通りに動く。最もやってはいけないことは、その予定を破ることだ。その予定は、神の予言だからだ。例えば、あの電池だって、もっと早く完成していた。なのに、カレンダには、発表の時期が記されていたから、私はその日まで待った。そして、ロボットの様に、私は遂行した。君との発表がそれだ。君を選んだのも私じゃない。神だ」マツリノ氏は、両手の平を見せる様な仕草をした。空から落ちてきた大きな風船を、優しく抱き抱える様な仕草だ。
神とは、エンプティを初めて創ったミクの事だろう。彼は、ミクの下で働いた事がある。ミクと眠り姫は繋がっているので、眠り姫の可能性もあるが、眠り姫は、人と話す事はないだろう。
「私は、その予定通りに動く為に、死ぬわけにはいかなかった。当時、これは私にしか出来ない事だと思っていた。私は神に選ばれた特別な人間だと思っていた。だから、今の警備システムを作り上げた。特別な私を守る為にだ」彼はそこで、ひきつった様に笑った。「私は城を築き上げ、スケジュールをこなした。若い時は、分単位のスケジュールがあったのに、一日の休みがある日も出てきた。そして、私の仕事は、徐々に無くなっていった。ただ、用済みになっただけだ。そうして、私には、莫大な金と、築き上げた城だけが残った。どうしようかとしばらく悩んだが、そもそも、私はロボットの様に動いてきただけで、自分で考えた事などない事に気が付いた」マツリノ氏は、煙草を吸ったが、むせて咳き込んだ。その姿は、老人そのものだった。
「子どもの時、公園の砂場で落とし穴を作ったことがある」マツリノ氏は、ぼんやりと煙草の煙を見ながら言った。
「スコップも持っていないから、手と足と木の棒で穴を掘るんだ。穴は、子どもの膝下くらいまで掘った。細い木の枝を探して、格子状にして、穴の入口に並べる。そこに落ち葉を敷いて、上から砂をかける。よく見れば落とし穴だとわかるが、普通に遊んでいる分には、気付く事もない。私は、それを一人で作った。二時間以上掛かっただろう。だが、それで満足する子どもはいない。私は、人が落とし穴に落ちる様子を見たくなった。だが、周りを見渡すと、他の子どもは、どこにもいなかった。遅い時間だったので、皆帰ってしまった。そのまま、落とし穴を残して帰るなんて、考えられなかった。私の見ていない所で、誰かがはまったら、意味が無いからだ。だから、私はどうしても、子どもを見つけなければならなかった。だが、誰も子どもは通らないし、段々と日は落ちていく。そこで、私は思いついた。自分で落とし穴にはまることを。自分で作った落とし穴に、自分ではまるのだ。でも、それをしないと、この落とし穴が正しく機能するのかがわからない。確かめないわけにもいかない。そうして、私は、日が落ちてから、完全な夜になって見えなくなる前に、公園で一人、自分で作った落とし穴にはまった。今回のも、それと同じだ」
マツリノ氏はそこで、ニタッと笑った。
「つまり、自分で作った警備システムが、どの程度機能するのか、それを確かめたいというわけですか?」僕はきいた。
「そうだ」マツリノ氏は頷いた。
「だったら、ターゲットは、あなたである必要はない。別の人を、ここに配置して、警備システムを確かめればいい」
「ああ。確かにその通りだ」
「なら……」
「私の命など、どうでもいい」マツリノ氏は遮る様に言った。「私は、空虚だった。カレンダには、今後の予定は一つも書かれていない。そんな時に、私の心を見透かした様に、神がまた、私の前に現れた。恐ろしい事に、神の姿は、昔からなにも変わらず、美しいままだった。そして、この子を育てろと言ったのだ。名前をきいても今はないと答える。私は仕方がなく、子どもを育てる事になった。それが、あの娘だ。親馬鹿と言われるだろうが、あの娘は天才だった。それがすぐにわかった。自分で考え、自分で行動している。私には無いものだ。そして、いつの間にか、私は、あの子の成長が楽しみとなり、生きがいとなった」
「あなたは、本当に、もう生きたく無いのですか?」
マツリノ氏は、僕の目を睨む様にと見つめた。黙ったまま煙草を大きく吸い込んだ。口から煙を吐き、煙草の火を灰皿で消した。
「私は、もういい。もう十分楽しんだ。特に、あの子が来てからの十年間は本当に楽しい毎日だった。全ての生物は循環する。草は枯れ、朽ちて、養分となる。それだけだ。もう、私の時代ではない。これからは、あの子が幸せならそれでいい。本当にそれだけだ。最後にこんなにも穏やかに気持ちになれるなんて、思ってもいなかった。神は私を見捨てたわけでは無かった。こんなプレゼントを貰ったのだから。それに、こんな贅沢な死に方はない」マツリノ・キンギョは、静かに微笑んだ。
「結果的に、あなたが、ムーンウォーク計画に変更を加える事を、その神は知っているのですか?」
「私が神の意思に背くはずもない。全ては、初めから決まっていたことだ」
「あなたが死ぬ事も?」
「そうかもしれん」
そして、僕は、マツリノ氏の部屋を出た。
長い廊下を歩き、隣の部屋へ入る。
もう、終わった。
もう、どうすることも出来ない。
その瞬間、この十二年が全て無駄になった。
そして、僕は、計画を変更した。
次は、Bだっけ?βだっけ?
どっちだっていい。
もう、マツリノ氏を助けることは出来ない。
この計画の為に生み出したホワイト・ベルも、もう用済みだ。これが、正規ルートの最後のチャンスだった。十年以上の年月をかけて行われたプロジェクトだ。
それが、終わった。
下らない仕事も、馬鹿馬鹿しい名声も、全てが無駄だった。
自分が用済みだとか、枯れ葉だとか、そんな下らない、老人の考えで終わった。もう、なにを言ってもきかないだろう。その頑固さが、老人の特徴だ。まるで、自分に酔っている様だった。
誰にも気付かれない様に溜息をついた。
思考を切り替えた。
これからは、別の案で行くことになる。勿論、正規ルートではないし、可能性も低くなる。
それでも、僕は、月に行かなければならない。
気が付くと、僕の前にリンゴがいた。
今はこの幼い命を守る。それが、今の僕の仕事だ。
また、積み重ねるしかない。
いつかは、月に届くのだろうか?




